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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第五章 ウェルナーの野ばら
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67 こわーい先生

 学校で解散したのち、沙紀は自転車を押しながら川沿いの道をまどかと一緒に家に向かって歩いていた。

 さっきの星川の爆弾発言について話しが尽きないため、まどかがバスに乗るのを辞めて沙紀に付き合ってくれているのだ。


「それにしてもびっくりだよね。まさかあの園長先生が、星川部長のお母さんだなんて……」


 部長が幼稚園に来ていたことだけでも驚きだったのに、二人が親子だなんて、誰が予想できただろう。

 沙紀はもう何度この言葉をつぶやいたかしれない。


「園長先生、すごくきれいな人だったね。お母さんってことはあたしたちの母親の年齢とそんなに変わんないはずだよね。なのにあの若々しさとありえないほどの美貌! おまけにすっごく優しそうだった……。いいなあ。あんなに素敵なお母さんがいて……」


 まどかがうっとりとした目をしてどこか遠くに視線を泳がせながら話し続ける。


「あのね、沙紀。あたしさっきから思ってたんだけど、あの園長先生って吉野先生に似てない? 声とか雰囲気が。そっくりな気がするんだけど」


 突然康太の母親の話しに変わる物だから、沙紀はやや慌てふためいた。

 でもここでまどかに心の揺れを感じ取られる訳にはいかない。

 大きく息を吸い込んで、ゆっくり答える。


「そうだね。そう言えば、なんとなく似てる気はする……かも」


 そうか。そうだったのだ。

 どこかで見たことがあるような気がしたのは、まどかの言う通り、夏子に似ていたからかもしれない。

 そして、根本的なもの……。例えば音楽に対する向き合い方も似ているような気がする。

 沙紀がまだ小さかった頃、高校生の音大受験生と分け隔てなく同じ様に接してくれた。

 沙紀の音楽の種のありかにいち早く気付き、水をやり、肥料をやり、大切に育ててくれたのも夏子だった。

 きっと園長先生も、幼稚園の子どもたちのそれぞれの心の種を、大切に育てているんだろうと想像がつく。


「ねえねえ、まどかちゃん。あたしたちって、幼稚園の先生のことや子どもたちのこと、何もわかってなかったよね? 」

「うん。ホント、そうだね。あたし保育士になる自信、なくしちゃったよ。だって、保育園にも三才児や四、五才児はいるわけだしさ。あたしなんかピアノが弾けるったって、ソナチネがやっとだよ。それに歌だってみんなと一緒だからこそ歌えるけど、あの園長先生が望むような教え方はきっとできないよ。あああ、夢破れたり! ってとこかな……」


 まどかはガックリと項垂れる。


「でも、あの風の森幼稚園の子ども達って幸せだよね。ますます幼稚園の先生になりたくなっちゃった。テストが終わったら、進学先の大学について調べてみようかな? ねえ、まどかちゃんも一緒に調べようよ。ね? そんなに落ち込まないでさ」

「うん。まあ、世の中広いし、いろんな保育園や幼稚園があると思うから……。あたしみたいなのでも役に立つことがあるかもしれないしね。がんばってみよっかな」

「そうそう、その調子! 一緒に頑張ろうよ! 」


 二人は顔を見合わせてクスっと笑った。


「でもさ、ちょっと不思議に思ったんだけど」


 まどかが沙紀に訊ねる。


「え? 何が? 」

「あのさ、沙紀ったら、さっき言ってたよね。ピアノのレッスンで先生に怒られてばかりだって」

「あ……。う、うん」

「吉野先生って、そんなに怖かった? あたしにはめっちゃ優しかったよ。練習が出来てなくても、次は頑張ろうねって、励ましてくれてたし。でも沙紀には厳しかったんだ。なんか信じられないけど」

「あ、ま、まあね……」


 おっと、いけない。

 確かに夏子先生は誰にでも優しかった。

 いつも生徒の身になって考えてくれてたし、褒めてくれることの方が多かった。

 怒られてばかりなのは。息子であるあいつが先生になってからだ。

 今回の伴奏については及第点をもらったが、普段のレッスンではにこりともせず、やり直しを命じられるばかりで最後は言い争いで終わるという、悲惨な内容だ。

 沙紀はもちろんまどかには何も言っていない。

 康太に直接レッスンしてもらっているなんて、言えるわけがない。


「それと、沙紀は今はもうレッスンには行ってないはずだよね? だって吉野先生、旦那さんの仕事の都合で海外に行ってるって。うちのお母さんが言ってたけど」

「あ、そうそう。そうだね」

「だから、吉野は今、親戚の人と暮らしてるって聞いたよ。沙紀は隣だから知ってると思うけど」

「う、うん。知ってる、知ってる。うちも親がそんなこと、言ってたかな……」


 ああ。どうしてさっきはあんなことを馬鹿正直に答えてしまったのだろう。

 余計なことを言わずに、先生にはいつも楽しく指導してもらっています、などと適当に流しておけばよかったと反省する。


「もしかして、沙紀。他の先生、紹介してもらったとか? 」

「あ、うん。紹介してもらったんだ」

「へえ、そうなんだ。その先生が厳しいんだね。合唱部では小笠原先輩に、家ではピアノの先生に。沙紀もいろいろ苦労するね」

「大丈夫だよ。それくらい。ははは。あはははは……」


 沙紀はとにかく笑ってごまかすしかこの場を収める方法が浮かばない。


「で、どんな先生? 怖いってことは、かなりおじさんとか? それともおばさん先生? 案外大学生とか」

「そうそう。大学生だよ。音大の学生、かな? 」

「かな? って。変な沙紀。そっか、若いのに怖い先生もいるんだね。まあ、がんばりなよ。せっかく今まで続けてきたんだし。今辞めちゃうともったいないよ。そっか。じゃあ、あたしも紹介してもらおっかな。だって、幼児教育とか初等教育ってピアノが必須科目じゃん? また習って基礎からやり直さなきゃね。だからさ。紹介してよ、その先生」

「え? そそ、それは無理だよ」

「なんで? 」

「だって、先生はとっても忙しくて、それに、無理を言ってレッスンしてもらってるから。今は生徒を増やせないって……」


 なんでこんなことになるのだろう。

 嘘に嘘を重ねて、収拾が付かなくなるとはまさしくこのことだ。


「そっか。じゃあ仕方ないね。ま、沙紀さえよかったら、時々、あたしのピアノの先生になってよ。ちょっとは真面目に練習しよっかなって、今はメラメラ心が燃えているんだ。それに、そんな怖い先生はあたしには向かないかも。おだてられて、これでもかってくらいもっともっとおだてられて、やっと木に登るタイプだもん、あたしって」


 よかった。あきらめてくれて。

 沙紀はホッと胸を撫で下ろすと同時に、とんでもない嘘をついてしまったことを、今夜にでも康太に知らせておかなければならないと思った。


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