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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第五章 ウェルナーの野ばら
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60 風の森幼稚園

沙紀視点になります。

「相崎さん! 何ぼーっとしてるの。ちゃんと声出して! 」

「あ、はいっ」

「もっと真剣にやらないと、周りが迷惑だわ」

「すみません」

「ほんっとに手がかかる人。こんなんでこの先続くかしらね。それでなくても、あなたは一年生の中でも一番初心者で、基礎も何もあったもんじゃないんだから。みんなの足を引っ張ることだけはやめてよね」

「わかりました。今後、気を付けます」


 相変わらず小笠原の沙紀への攻撃は収まることは無かった。

 沙紀は夕べ康太に聞いたウワサの真相が頭から離れずに、小笠原に注意されるまで本当に上の空で歌うどころではなかったのだ。

 今日ばかりは小笠原にたてつく気持ちは微塵もない。

 全くもって、言い訳のしようもないほど、練習に身が入っていなかった。


 昨夜遅くに康太からいつもの合図があり、噂の真相を聞くことが出来た。

 メールではなく、直接窓越しにコンタクトを取る時は、どちらかが緊急事態に直面していることが多い。

 沙紀が康太に会って直接話したかったのと同様、康太も同じ気持ちだったようだ。

 彼の知っている内容はまどかの話と大差はなく、仲間に沙紀との交際を否定してどうにか信じてもらえたと苦笑いをしていた。

 そして河原で一緒にいたところは、弁明のしようがないほどはっきりと目撃されていて、それだけは認めざるを得なかったことも知らされた。

 あんなところを見られていたなんて、衝撃的だった。

 もしかして、彼からのキスまで見られていたとしたら、それはもう絶体絶命。

 ただしそれは回避されたようで、何やら真剣に話しこんでいたな、とだけ言われたらしい。

 いちゃいちゃしていたというのは、回り回って尾ひれが付いたうわさ話の典型的な結末だったようだ。

 そのあとはメールで数回やり取りをしてベッドに入ったのだが、残暑の厳しさもあって、とても眠れる状況ではなかった。

 沙紀がずっと気に病んでいる理由は、別のところにもあった。

 それは、隣のおじさんだかお兄さんだか知らないが、康太の叔父で同居人の雅人が二人の関係を知ってしまったという想定外のハプニングだ。

 でも雅人は口が堅く、誰にも言わないと約束してくれたので、今までどおりで大丈夫だと言い切った康太に、沙紀は言いようのない不安を抱いていた。

 自分のことを雅人と呼び捨てにしろだの、お兄様と言えだの、ふざけているとしか思えないその人の口が堅いだなんて、とても信じられない。

 それに沙紀がピアノのレッスンで康太に指導してもらっている時、雅人も同席することがある。

 付き合っていることがバレてしまったとあれば、これからは雅人に色眼鏡で二人の様子を観察されそうで、非常に気まずいことこの上ない。

 どんな顔をしてレッスンを受けろというのだろう。

 考えれば考えるほど恥ずかしすぎて、レッスンも辞めてしまいたくなる。

 沙紀はなんとか今だけでもそのことを忘れようと姿勢を正し、歌うことに集中してみた。


 しばらくして室内がざわつき始めた。

 音階を奏でていたピアノが止まり、ずっと一年生を睨みつけていた小笠原までもが視線をドアの方に移して、何やらそわそわしているのだ。

 沙紀は皆が見ている方向に首を動かし、いったい何事かと背伸びをして覗いてみると……。

 手に山のような印刷物を抱えた星川が、こっちに向って歩いてくるではないか。

 そしてそれを近くの机にドサッと置くと、空いている机のスペースに半分だけ腰を掛け、腕を組んで話し始めた。


「ちょっと連絡事項がある。こっちに集まってくれ」


 多分小笠原もこのことは知らされていなかったのだろう。

 しきりに首を傾げながら、星川の様子を窺っていた。

 一年生とてそれは同じだ。

 滅多に顔を合わすことのない部長御自らのお出ましに、不安と緊張でどの顔も強張っているのがわかる。


「実は今度、期末テストの最中なんだが、合唱の公演依頼があった。まあ、毎年やってるんで知ってる人もいるかもしれないが。北高から西に二キロ程行ったところに風の森幼稚園というのがあるんだが、そこへ行って子どもたちに向けて合唱を披露して欲しい」

「ええっ! 」

「幼稚園? 」

「ど、どういうこと……? 」


 沙紀はもちろん一年生は皆知らなかったようで、お互い顔を見合わせて、口々に驚きの声を上げる。


「静かに。それで、早速なんだが。ピアノ伴奏を相崎、君に頼みたい」


 突然名前を呼ばれた沙紀は、一瞬ためらいがちに後ずさったが、星川の鋭い視線が沙紀を射抜くと……。


「は、はい。わかりました。あの、わたしでよければ、伴奏やりま……」


 頭で考えるより先に、やりますと答えていた。

 ところが黙っていられない人物がここに一人いるのを忘れてはいけない。


「ちょっと待って! ねえ、部長! どうして一年生なの? それも合唱未経験の相崎さんに伴奏まで。あたしたち三年で行けばいいじゃないですか。去年だって三年生の先輩達が行ったのよ。今年はあたし達が行く番。一年生にはまだ早すぎるわ! 」


 沙紀の返事を遮るようにして、小笠原が肩で息をしながら割り込んできたのだ。

 小笠原の口調が次第に熱を帯びていく。

「今も練習に身が入らない人がいて、注意したところです。そんな態度の一年生に何が出来るって言うの? 部長、考え直してください! 」

「いや。今年は一年に行ってもらう。昨年より曲数も増えているし、難易度も上がっている。俺達三年はコンクールの練習もあるし、これ以上幼稚園のために時間を割くのは無理がある。去年とは形勢も違う。全国制覇を狙うためには、今回は一年生に行ってもらうしか方法がないんだ。それに」

「それに? いったい何だと言うの? 部長、ちゃんと説明してください! 」


 普段はあまり部長には噛みつかず従順な小笠原が、大きく取り乱している。



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