表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第四章 ショパン バラード 第一番
60/188

58 愛のスリーパーホールド

康太視線になります。

「おめえ、おっせえなあ! 今何時だと思ってるんだよ」


 康太は学校から帰ってくるなり雅人の先制パンチを食らった。

 玄関脇の時計の針はすでに九時を回っている。

 サッカーの練習は7時には終わっていたのだが、部員達に沙紀との噂の真相を追究され、なかなか帰してもらえなかったのだ。

 河原での密会を目撃していた先輩に詰め寄られ、彼女と一緒にいた事実は認めたものの、付き合っていることは否定し続けた。

 隣に住んでいる同級生であり子どもの頃からの腐れ縁で、そこに色恋は存在しないと力説したが、どこまで信じてくれたかは定かではない。

 壁に耳あり障子に目あり、とはよく言ったもので、地域内にいる限りどこも安全な場所はないのだと痛感した一日だった。


「兄さん、遅くなってごめん。晩飯、先に食ってくれてても良かったのに」

「何言ってんだよ。取りあえずは今、俺達はたった二人の家族なんだぜ。晩飯くらい一緒に食わねえでどうするんだ」

「……悪かったと思ってる」


 雅人はこういうところ、律儀だったりする。

 夕食の準備をして、空腹のまま待ち続けてくれたことに、感謝しかない。


「まあいいさ。男には男の付き合いってなもんもあるからな。おい、手、見せろ」


 これも最近の日課の一つになりつつある康太の手のチェックだ。


「どれどれ……。大丈夫だな。よしっ! 絶対無理すんなよ。おまえがキーパーやってるなんてこと姉貴にバレてみろ。俺の立場もないし、おまえ、間違いなくドイツにしょっ引かれちまうからな。それにしても、キーパーとはな……。なんでキャプテンが免除してやるって言ったのにまだやってるんだ? おまえの本分は学生であると同時に、ピアニストの卵でもあるんだぞ? 」


 雅人は康太の手のひらをパンと叩きながら、理不尽な思いをぶつけてくる。

 彼も康太の音楽性を高く評価している一人だ。

 なのに無謀にもサッカーを続ける康太に怪我があっては大変と、毎日同じ事を言う。


「ピアニストって……。誰がそんなこと決めたんだよ。俺は別になってもならなくても……」

「おまえなあ、せっかく持って生まれた才能ってものを、そんな簡単に捨てるなよ。小さい頃から必死で練習やってきたんだろ? 遊びたいときも我慢してピアノに向かっていたんだ。それをあっさりとあきらめるな」

「それはそうだけど。でも、我慢していやいや練習したことはない。練習がいつも楽しかったと言えばうそになるけど、辛くはなかったし、ピアノを弾くこと自体が俺にとって遊びの一つだった。それに……」


 沙紀に、すごいよ、こうちゃんじょうずだね、と言ってもらうためなら、何時間でもピアノに向かっていられたのだ。


「それに、なんだ」

「あ、いや、別に……」

「オンナにモテるってか? まあ、どんな理由で練習してようが知ったこっちゃないが。それより何より。俺も姉貴も成しえなかったことがおまえなら出来るかもしれないんだ。ためしてみないうちから決め付けるなよ。高校の間は黙っててやるが、卒業したらコンクールにも出るんだぞ。これだけは譲れないからな。でなきゃ、誰がおまえの面倒なんか見るか! いいな! 」

「わ、わかったよ。ただ、俺はピアノに負けないくらいサッカーも好きで、だから、キャプテンや監督の期待にも応えたいんだ。なのに、怪我を恐れて我が(まま)なんて言ってられないだろ? それに今のキーパーグローブはかなり安全性を考慮して作られてるから、昔より突き指も爪の損傷も少ないはずなんだ。衝撃の吸収力も半端ない。あと、ピアノやってるが故に得する面もあるし」

「何だよ? フィールドでピアノの何が役に立つってんだ? ベートーベン弾いたら、敵が怯むってか? ショパンなら聴いてうっとりして攻撃性が薄れて、その隙を突いて攻めるとか……。おまえ、寝言は寝てから言え! 」

「何も、コートのど真ん中でピアノ弾くとは言ってないよ……。そうじゃなくて、指が一本一本独立して動くし、柔軟性もある。ボールを掴む時もぶれずにすっぽり受け止められるってことだよ。最近伊太郎のシュートも結構止められるようになったんだ。FWの時とはまた違ったおもしろさがある。今は無理でも、そのうちきっと試合に出てやるからな……。その時は兄さんも見に来てくれてもいいぜ」

「見に来てくれてもいい……? えらい生意気な口の聞き方じゃないか? お兄様、どうか見に来て下さい、だろ? このバカヤロウが。そうなったら隣の沙紀ちゃん連れて行って応援してやろうじゃないの。おまえの大事な大事な誰よりも大事な沙紀ちゃんを! 」


 雅人の口元がニヤリと意味ありげに弧を描く。


「な、な、なんで沙紀なんだよ。べ、別に連れてこなくてもいいから」


 あたふたする康太をよそに、雅人は夕方の出来事をこと細かに話し始めた。


「……てなわけでな。まあ、おまえの部屋に勝手に入ったのは謝る」

「別にかまわないよ。仕事で必要ならどれでも持って行ってくれていいよ」

「そうか。そのふところのデカさに感謝するぞ。それと、おまえの大事な沙紀ちゃんをからかったのも悪かった。でもな、おまえ、水臭いぞ。前から怪しいとは思ってたけど、アレがおまえのオンナだろ? 違うのか? こうちゃん、なんて可愛い声で呼んでたぞ」

「いや、だから、彼女はその、ただの同級生で……うぇっ! ゲホッ! 」

「もう言い訳はいいから。康太君、素直になりなさい」

「離してくれ! は、離せよ! 」

「姉貴には言わないからな。これは男の約束だ。ほらどうだ。これで本当のことを言う気になっただろ? 」


 優しげな言葉とは裏腹に、雅人にスリーパー・ホールドを決められた康太は、頭を腕で抱え込まれたまま尋問を受け続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ