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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第一章 ショパン 子犬のワルツ
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4 りんごケーキ

「あの……」


 夏子がためらいがちにまだ何か話かけてくる。


「よろしかったら、お茶でもご一緒しませんか? 」


 お茶でもご一緒に? 春江の目が瞬時にきらりと輝いた。


「あら、いいのかしら。素敵だわ。一度ゆっくり吉野さんとお話してみたいと思ってたのよ」


 春江は夏子の誘いに浮き足立ってしまう自分を抑えられない。

 子どもの年も近いしきっと話も合うだろうと、以前からそう思っていたのだ。

 やっとその時が来た。


「よかった。じゃあ、あとで家に来てくださいね。実は今ケーキを焼いてるんです。用意が出来たらまた声をかけますね」


 夏子は目を細めてにっこり笑うと、再び庭に面したリビングの窓から部屋に戻っていった。


「お茶にケーキ。ああ……なんて素敵な響きなんでしょう! せっかくのお誘いだもの。ここはお言葉に甘えておじゃましてもいいわよね? 」


 一人で庭にいるにもかかわらず、思わず声に出してしまうほど、春江の心は弾んでいた。

 吉野さんに聞かれなかっただろうかと恥ずかしくなる。残りの洗濯物を大急ぎで干し終えるとエプロンをはずし、徹の実家から春江と沙紀宛に送ってきた梨をいくつかかごに盛ってお裾分けとして持って行く準備を整える。

 髪にブラシを当て、口紅を薄く引き直すと、ちょうどタイミングよく庭から誘いの声が聞こえてきた。


「相崎さーん! 用意ができたからどーぞいらしてください」

「はーい。すぐにお伺いしますね! 」


 春江は庭に向って大きな声で返事をした後、戸締りを確認し、バタバタと大急ぎで玄関に向った。

 いくら目と鼻の先の距離と言っても、初めての訪問なのだ。

 一応外出用のサンダルを履いて、身なりを整え、改まった気持ちで吉野家のチャイムを鳴らした。

 初めて訪れた隣の家は、春江の家と同じ間取りとは思えないくらい、どこかヨーロッパ調な落ち着いたたたずまいをかもし出している。

 インテリア雑誌からそのまま抜け出てきたような空間だった。

 客間として使われているリビングはピアノレッスン室も兼ねているようで、壁の厚い防音設備が施され、十畳強はある居室に、でんと据えられたグランドピアノにしばし圧倒される。


「ここではなんだか落ち着かないからダイニングの方で……」


 と夏子に先導されて入ったダイニングは、ここも改装したのだろうか。アイランドキッチンになっていた。


「まぁ! このキッチン使いやすそう。あこがれちゃうわ」

「入居したばかりでリフォームなんて贅沢かなって、少し迷ったんですけど。でもアイランドキッチンにしてよかったと思ってます。子どもたちの様子もよく見えるし、動線がスムーズで料理も時短でできるの。仕事をしてるので、ほんと助かってます」

「へえ、そうなんだ。うちと同じ間取りだなんて思えない。なんか広々してますね」

「まだ家具とかも揃ってなくて。殺風景なので、少しずつ整えていこうと思ってます」

「殺風景だなんて、そんなことないわ。厳選されたものだけ置いてて、それがまたアクセントになってて。とってもいい感じ。もしかして、インテリアコーディネーターの資格とか持ってらっしゃるとか」

「いいえ、とんでもないです。自己流で」

「すごいわー。なんかね、ヨーロッパのお家みたい。もしかして、海外暮らしの経験があるのかしら」

「あ……。その……」


 夏子が口ごもる。これは聞いてはいけないことを訊ねてしまったのかもしれない。


「あら、やだ。ごめんなさい。いくらお義兄さんと親しくさせてもらってるからって、プライベートなことまであれこれ聞くなんて。私、吉野さんを困らせてしまったみたいで。本当にごめんなさい」

「いえ、いいんです。あの、学生の時に、ヨーロッパに留学してたことがあって。少しはその時の経験が役に立っているかもしれません」


 そう言って夏子が微笑んだ。


「なんか夢みたいなお話。またゆっくり聞かせてくださいね」


 春江は、ケーキの甘い香りが漂うキッチンの前で、何ともいえない幸福感を満喫していた。

 夏子の用意してくれたケーキは、りんごとレーズンの入ったパウンドケーキ風のものだった。

 しっとりとした口当たりで、中はふんわりとしたそのケーキは、りんごの甘酸っぱさが口の中に広がり、ほんのり甘くてとてもおいしい春江好みの味だった。


「おいしいわ、このケーキ。吉野さんって何でも出来ちゃうのね? 」

「そんなことないですよ……。でもね子どもたちはこんな手作りのケーキよりも、スナック菓子やチョコの方がいいみたいなの。男の子ってそういうところ、ちょっぴりがっかりなんです」


 夏子は、本当に残念そうにそんなことを言う。


「うちの沙紀は女の子だけど、吉野さんちと同じようなものよ。どんなに手の込んだ料理をしても、別に何も興味を示さないしね。とにかく早く食べて、誰よりも早く遊びに行くことばかり考えているんだもの」

「ふふふ。沙紀ちゃんって、本当に活発でどんなことにも一生懸命よね。うちの康太も初めは、お隣さんは女の子だから一緒に遊べないだろうってあきらめてたんだけど、今ではどんな男の子の友達よりも沙紀ちゃんと遊ぶ方が楽しいって言ってるわ。かけっこも得意だし、自転車も上手だって。鉄棒も一番高いところで逆上がりが出来るんだよって、まるで自分が出来たみたいに自慢してたわ」


 春江は苦笑いを隠せない。そうなのだ。

 こうやって聞くと、沙紀はとてもいい子のように聞こえるし、実際学校でも先生から同じように褒めてもらえるのだが……。

 見かけは女の子でも、中身は誰よりも男の子。

 食べっぷりも遊びっぷりも、そして見ているアニメまでもが男の子そのものだ。

 戦隊物や、スポーツ物など男の子の好むものばかり見ている。

 巷の女の子はかわいいキャラクターグッズを欲しがるのに、昨年の沙紀のクリスマスプレゼントは、音が出てライトが点滅する変身ベルトだった。

 マントとトランシーバーのような受信機もセットで欲しがった日には、春江は自分の子育てにすっかり自信を無くし、その後数日間激しく落ち込んだことは一生忘れないだろう。 


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