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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第四章 ショパン バラード 第一番
59/188

57 隣のお兄さん風なおじさん

沙紀視点になります。

 沙紀は家に帰ってからも、朝学校でまどかに言われたことが頭から離れなかった。

 康太とのウワサの件だ。

 学校内では徹底的に他人同士を装っていたし、秘密を守るにはまずは身内にばれないようにという掟もしっかり実行してきた。

 まどかはもちろん、両親にも知られないように康太との付き合いには神経を使ってきたつもりだった。

 なのに……。

 まどかのとんでもない妄想にも辟易したが、それ以上にいったいどれだけの人が沙紀と康太の関係に気付いているのだろうと不安になり、授業中も全く身が入らない。

 まどかも言っていたが、確かに康太はよくモテる。

 彼狙いで入部したサッカー部のマネージャーの数はとっくに飽和状態で、家まで押しかけてくる子も後を絶たない。

 夏休みにも誰にアドレスを聞いたのか頻繁にメールが送られてきて困っているとこぼしていた。

 部活が終わって自転車置き場に行くと、待ち伏せされていたこともあるという。

 このままだと誰か他の人に康太を奪われてしまうのも時間の問題なのかもしれないと思う。

 いっそのこと、みんなに本当のことを言ってしまったほうがいいのだろうか……。

 学校でも家でも堂々と二人の仲を公表してしまおうか……。

 などと沙紀は本気で悩み、今後の身の振り方をどうしようかと一日中そのことばかり考えていた。


 合唱部は今秋に開かれる全国高等学校合唱コンクールの練習に忙しい。

 といってもコンクールに出場するメンバーは三年生中心で、男子を除いて一年生が選ばれることはまずない。

 逆に言えば、男子は慢性的に人数が不足しているので、よほどの理由がない限り一年であってもメンバーに選ばれるという特典がある。

 コンクールに出たかったまどかはこの現実を嘆き、なんで男子に生まれなかったのだろうと真剣に不満を口にしていた。

 もちろん沙紀はコンクールメンバーではないので、以前より早めに家に帰れるようになっていた。

 ウワサの真実を早く康太に確認してみたいのだが、彼はまだ部活が終わらないのだろう。

 部屋の電気は消えたままだ。


 いったい、サッカー部の誰があのような噂を立てているのだろう。

 まさか、また伊太郎が? 

 いやいや。それはないと思う。

 康太の話では、彼がキーパーに推薦された時、伊太郎が身体を張って阻止してくれたとも聞いた。

 学校内の伊太郎も、昔のようなおしゃべりでひょうきんな雰囲気はすっかり封印され、サッカーに打ち込んでいる真面目な姿しか見られない。

 そんな彼が、今さら康太を冷やかすようなことはしないと断言できる。

 それに伊太郎はバス通学だ。河原にいるところを見られた可能性はゼロに近いと思う。

 北高一の部員数を誇るサッカー部ゆえに、そのうちの誰かが目撃したというのなら、それはもう不可抗力としか言いようがない。

 川沿いを通って自転車通学をする生徒は大勢いる。

 今後はあの河原ですら、密会は出来ないということなのだろう。

 もう家の中でしか会えないなんて、世も末だ。


 康太は今回のウワサをどのように捉えているのだろうか。 

 彼もきっと辛いに違いない。

 沙紀は、彼が早く帰って来ないかなと、開け放した窓から網戸越しに隣の康太の部屋をチラチラと窺っていた。

 すると、沙紀の願いが通じたのだろうか。

 部屋の電気が点き、人が動く気配がするのだ。

 いつもより帰宅時間が少し早いような気がしたが、もうこれ以上待っていられない沙紀は、虫取り網を握り締めると、リズミカルに窓をコンコンコンと叩いた。

 ところが何も返事がない。そこには康太がいるはずなのにどうしたのだろう。

 もう一度同じようにコンコンコン、コンコンコンと叩いてみた。すると……。

 しばらく間が開いた後、窓がスーッと開いたのだ。


「こうちゃん! お帰り! 今日は早かったね……」


 その時沙紀と目が合った人物は……。


 康太ではなかった。


「なーーんだ! 隣の沙紀ちゃんか。泥棒かと思って、びっくりして腰が抜けるところだったよ。ところで、康太になんか用? あいにくまだ帰ってないんだけどね……」


 にいっと歯をむき出しにして、わざとらしい笑顔を見せる、最近隣人に加わったばかりの大きな男の人がそこに立っていた。

 その上、がはははと豪快に笑い飛ばすものだから、どうしたらいいのか皆目わからない。

 まさか康太以外の人が窓から顔を出すとは思ってもみなかった沙紀は、驚きのあまり口をパクパクさせるばかりで言葉が出てこなかった。


「沙紀ちゃん? 大丈夫? もしかしていつもこうやって、おたくら逢引してんの? いいねえ、若いモンは。何か伝言でもあるかい? お兄さんが伝えてあげるよ」 

「な、な、ないです。す、すみません……。となりのおじ……おじさん……」


 なんとか返事が出来たものの、隣人は沙紀の声を聞くなり顔をしかめて、物憂げな表情になる。


「あのねえ、沙紀ちゃん……。俺、まだおじさんじゃないんだよね。独身だし、三十二才になったばかりだし。ちょっとショック。うーん……。そうだ! マサトって名前で呼んでくれないかな? 」

「そ、そんなあ。年上のよく知らない人に向って呼び捨てになんかできません! 」


 当然だ。康太のおじさんには違いないけど、沙紀には何も関係のない人だ。

 その人に馴れ馴れしく呼び捨てにするなんて、失礼すぎる。


「そうかい? じゃあ、せめてお兄さんと呼んでおくれ、あ、雅人兄さんでもいいし、雅人お兄様でも……」


 沙紀は雅人の話を全部聞き終わらないうちに、おもいっきり強く窓を閉めると、そのまま机の上に突っ伏した。

 どうして康太ではなく、あんな人があそこにいたのか沙紀には納得のいく答えが見つからなかった。

 勝手に康太の部屋に入るな! と思ってみたところで、面と向って言えるはずもなく。

 その夜康太が帰って来て、彼の顔を見るまでは、沙紀の怒りと自己嫌悪は収まることはなかった。


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