54 どこかのお騒がせカップル
「沙紀、沙紀、沙紀ぃ! 大変なことになってるよ! 」
二学期が始まってまだ数日しか経っていない九月の朝、沙紀が学校に着くなり、まどかが何やら騒ぎ立てている。
情報通のまどかのことだ。また新ネタを引っさげてやってきたのだろうが、それにしても朝っぱらから尋常じゃないテンションの高さに気持ちがついていかない。
どうせいつものように、タレントの誰かと誰かがくっついただの、どこかのインディーズバンドがメジャーデビューだの、そういったたぐいのことだろうとのん気に構えていた。
「まどかちゃん、おっはよー。朝からめっちゃ元気じゃん。で、今日は何? 」
朝練のため音楽室に向かいながら、沙紀はまどかにのんびりと訊ねてみる。
「もうっ。沙紀ったらホントお目出度いんだから! そんな悠長に朝練行ってる場合じゃないってば! 」
「まどかちゃんったら、何をそんなに興奮してんの? あたし、また何かやっちゃった? 小笠原先輩が何か言ってた? 」
「あーのーねえ。小笠原先輩じゃないってば。沙紀のこと、校内で噂になってんのよ! 」
「はあ? なに、それ。相崎沙紀、朝寝坊して、自転車で大爆走! とか? 」
「んなわけないでしょ。沙紀ったらこれだもんね……。ホントに何も知らないの? 」
「知らないよ。ねえねえ、いったい何? どんなウワサ? 」
うわさと言えば、あまりいい思い出はない。
まさかあの時の二の舞? いやいや、そう何度も結婚させられることはないだろうと思ったのだが。
「沙紀と吉野が、デキてるってウワサ! 」
「…………」
吉野とはもちろん康太のことだ。
沙紀と康太がデキてる、つまりそれは二人が付き合っているということ。
沙紀は、へえ? そうなんだ……とまるで他人事のようにまどかの話を冷静に受け止めていた。
「コラ! 沙紀、聞いてる? 」
「あっ、うん。聞いてる……」
沙紀はようやくそれが自分の身に振りかかっている危機的状況なのだと理解し始めた。
「サッカー部の奴らが勝手に言ってるらしいんだけど、もうびっくりしたのなんの! でもあたし言ってやったよ。沙紀は吉野とはデキてないって。あいつら何もわかってないんだよ。あんた達が隣同士に住んでるってことを誰かが嗅ぎ付けて、怪しいって言いふらしたんだって。河原でいちゃいちゃしてるのを目撃したってやつもいるってさ。吉野は大きさで目立つけど、沙紀は標準体型だし、髪型だってよくあるセミロング。どこかのお騒がせカップルと見間違えたんだよ、きっと」
「そ、そうだね……」
「沙紀っ! そうだね……なんて言ってる場合じゃないよ。違うなら違うとはっきりさせなきゃ! なんてったって、あたしが一番この学校で沙紀と吉野のことを知ってるんだからね。だってさ、沙紀には別の謎のカレシがいるんだもんね。サッカー部のマネージャーにはちゃんと否定しておいたから」
まどかの鼻息は廊下中に響き渡るほどの荒さだった。
ここは否定してくれたまどかに礼を言うべきなのだろうか? 沙紀の心境はとても複雑だった。
まどかの運んできた新情報は、サッカー部の連中が言うとおり、まさしく真実以外の何物でもない。
それを捻じ曲げて違うと否定しなければならないなんて。
河原でいちゃいちゃしていたお騒がせカップルは、多分……いや絶対に康太と自分だと確信し、あきらめにも似たため息をつく。
二人だけの世界なんてあるわけがないのだ。
どこかで誰かが見ているんだってことは肝に銘じておこう。
「それとね、もうひとつニュースがあるんだ」
得意そうに口をとがらすのは、最強のとっておきのネタを披露する前に、必ずまどかが取るしぐさである。
これ以上どんな怖い話があるというのだろう。
「昨日学校の帰りに、青山さんにばったり会ったんだ」
「ひろちゃんに? 」
「そうだよ。沙紀って、確か青山さんと仲良かったよね。彼女東高で、バリバリ勉強してるっぽい」
「う、うん。それは知ってるけど……」
美ひろとは、去年の夏の康太との一件以来、遊ぶこともなくなった。
その彼女が一体どうしたというのだろう。
「青山さんもびっくりしてたよ、吉野のこと」
「えっ? 今まどかちゃんが言ってた、あたしとこうちゃんの噂のこと? 」
「ほらほら……。だから言わんこっちゃない。そうやって、こうちゃんとか言うから、皆にあらぬ疑いを掛けられるんだよ」
「そっか。でも、昔からこうちゃんはこうちゃんだし……。それに誰にでもそう言ってるわけじゃないもん。まどかちゃんにだけだよ。でも、これからは気を付けるね」
「その方がいいよ。で、青山さんがびっくりしてたのはそのことじゃなくて、吉野が北高に進学したってこと。だって、松桜から編入みたいなもんでしょ? 天下の松桜だよ。どう考えたって偏差値だって向こうの方が上だし、大学の進学先も北高とは比べ物にならないっていうしね」
「それはそうだけど……」
「彼に限って何かヘマをやらかして松桜から追い出されたってことも考えられないしって、不思議がってた」
「そ、そうなんだ。でも、隣に住んでるあたしだって合格発表の日まで知らなかったんだし……」
沙紀はあの一生忘れることのできない合格発表の日を思い出していた。
あの日は本当に驚かされっぱなしの一日だった。
あこがれの北高の合格を手にして、そして……。
康太に告白されたのだ。
「沙紀? 何、ニヤニヤしてるの? 思い出し笑い? 」
おっといけない。沙紀は目の前のまどかの存在を忘れるところだったのだ。
あの日のことはこうやって時折思い出すけれど、いつも決まって無意識のうちに顔の筋肉が緩んでしまうのだ。




