53 夕日に染められて
「ずっと……何? 」
また康太が不安そうな目をしてこっちを見ている。
彼にこれ以上懸念を抱かせることは沙紀の望むところではない。
今の気持ちをありのまま伝えることにしようと心を決めた。
「あのね、こうちゃん。あたしね……。実は、前よりずっと、ずーっと。こうちゃんのこと、好きだよ。多分こうちゃんがあたしを思ってくれているより何十倍も、何百倍も……」
今度は康太が黙り込んでしまった。沙紀のあまりにも赤裸々な告白にドン引きしてしまったのだろうか。
「こうちゃんこそ、あたしのことなんて、もう何とも思ってないんじゃないの? あたしはこうちゃんが……好きすぎて。だから恥ずかしくて、とてもじゃないけど、顔をじっと見るなんてこと、できないよ」
「…………」
沙紀は身体じゅうの勇気をふりしぼって、心の中の思いをすべて康太に伝えたのに、康太はそれでも何も言わずに黙りこくったままだった。
やっぱり迷惑だったのだろうか。
「ねえ、こうちゃん。どうして何も言ってくれないの? そっか。やっぱこういうの重いよね。迷惑だよね? 昔みたいに普通の同級生でいた方が良かったのかな、あたしたち……」
「良くない。普通の同級生なんて、もう戻れない……」
康太は、手元の草をむしりながら、ボソっとつぶやく。
「へ? 何て? 」
「だから言ってるだろ? 良くないって。昔のようなただの同級生にはもどりたくないって……」
「こ、こうちゃん」
地面についている沙紀の手に康太の手が重なる。
「俺を見るのが恥ずかしかっただって? 沙紀……。それって……」
「それって? 」
「かわいい……」
「か、かわいい? このあたしが? 」
「うん……」
「あたしのどこが? こうちゃん、おかしいよ。変だよ」
「変でもいい。誰が何と言っても沙紀が世界で一番かわいい。俺がそう思うんだからそれでいいんだ」
「こう……ちゃん……」
「なあ、沙紀。泣いて頼んでくれたんだろ? 俺がドイツに行かないようにしてくれって。それで、おばちゃん、俺を預かってもいいなんて言ってくれたんだよな。おじちゃんだって、二つ返事で了解してくれたって聞いた! 」
康太は沙紀の手を握り締めながら語気を強める。
沙紀は怯みそうになりながらも、うんと頷いた。
「それを聞いたとき、俺がどれだけ嬉しかったか……。沙紀に俺の気持ち、わかる? 」
「うん。少しなら、わかるよ」
「そうか。でもな、お袋にそうと悟られるのは悔しかったから、ふーんなんて言って、聞き流してるフリしてたけどな。本当に嬉しかったんだ。でも、いくらなんでも親戚でもないのに、そっちで預かってもらうわけにはいかないし」
「水臭いよ。そりゃあ、親戚じゃないけど、あたしたち、その、一応恋人同士、なんだし。遠くに住んでるほとんど会わない親戚よりよっぽど近い存在だよね。それに、こうちゃんのおじさんと、あたしの父だって親友同士だし。うちで預かるって両親が話してるのを聞いて、あたし、飛び上がるほど嬉しかったんだから。でも、現実的には、いろいろと無理があるけどね」
「確かにな。沙紀と同じ部屋に暮らすわけにもいかないしな」
「そ、そうだよね。それはちょっといくらなんでも、恥ずかしすぎる……」
「だな。伊太郎の冷やかしが本物になるところだった」
「ホントだ。山本君の言った通り、あたしたち、結婚しちゃうところだったね」
「ああ、ほんとに」
たとえ一緒の部屋でなくても、壁一枚向こうに彼がいると思うだけでドキドキするだろうし、ご飯も一緒に食べて、同じお風呂に入って、おやすみなさいの、きききき……キスをして。それで、それで……。
「うん……」
「……うん……」
これって、かなりまずい状況ではないだろうか。
いろいろ妄想が膨らんで、ますます、彼と目を合わすことが出来ない。
「あ…………」
「…………」
「…………」
つないでいた手もあわてて離してしまい、またもや二人して無言になる。
結婚とか。簡単に口走った自分を瞬時に後悔した。
この沈黙がますます恥ずかしさを助長してしまい、振り出しに戻ってしまうのだ。
「なあ、沙紀」
「な、なに? こうちゃん」
やっと、彼が話しかけてくれた。
時折り蚊が足元にやってくるけど、それすらも今日はほとんど気にならない。
「丁度いいタイミングで、雅人兄さんが同居の件を提案してくれて」
「そうだったね」
「あんなに真剣な兄さんを見たのは初めてだった。一生懸命、お袋を説得して日本脱出を阻止してくれたんだ。ピアノのことは兄さんが責任を持つと言ってくれた。親元を離れることで、男はますます自立して、強くなるとも」
「そっか。いいお兄さんだね」
「うん。とにかくあと二年半は沙紀と一緒にいられるんだ。なのに沙紀ときたら、どこか冷たくて、つれなくて、俺、どうしようかって、真剣に悩んでたんだぞ」
「こうちゃん……」
すると、康太の顔が急に沙紀に近付いて来て、耳元で優しい音がした。
それは……。
沙紀が小さい頃、父親が抱っこしながらしてくれたあの音と同じだった。
唇が頬に触れて、微かに小さく吸い付くようなあの音。
そしてほぼ同時に、好きだ、とも聞こえた。
耳まで真っ赤にした康太が恥ずかしそうにそっぽを向いて、沙紀の隣に座っている。
それは、西の空に沈みかけた夕日の色が康太の耳に反射しているのか、はたまた彼の心の中の幸せ色がにじみ出ているのかはわからなかったが、沙紀の頬がほんのりピンクに染まったのは、間違いなく康太のキスのせいだ。
沙紀の心は幸せ色に満ち溢れていった。




