52 恋わずらい
沙紀視点になります。
夏子がドイツへと旅立った次の日、沙紀は学校の門のところで自転車を停めて、康太が出てくるのを待っていた。
本当に久しぶりに一緒に帰れるのだ。
最後に康太と一緒に帰ったのはいつだったのだろうと記憶をたどってみるが、それは思い出すのも困難なくらい、随分前だったように思う。
特に夏休みの間は部活の終わる時刻もまちまちで、ますます一緒に帰るのは不可能かと思われたが、夏子の出国をあまりにも嘆き悲しんだ沙紀を元気付けようと、康太が今日のデートを約束してくれたのだった。
先に部活が終わった沙紀は、図書館で時間をつぶし、そろそろサッカー部の練習も終わる頃だろうとポプラの元に向かう。
幸い合唱部の部員達はとっくの昔に帰っているので、ここで待っていても怪しまれない。
十分ほど待っただろうか。
頭から水をかぶったのかと思うほど汗でびしょぬれになった髪の康太が、白い歯を見せ、とびきりの笑顔を貼り付けてこっちに向ってくる。
「お待たせ!……まだ四時過ぎか。夏の夕方は長いし、まだまだ時間はあるな。さてどこに行こうか? 」
「どこでもいいよ。だって、こうちゃんと一緒に帰れるなんてホントに久しぶりなんだもん。それだけで充分だよ。でもさ、高校ってどうしてこんなに忙しいんだろうね。合唱部の休みはお盆の三日間だけなんだ。こうちゃんは? 」
「俺は試合だから盆休みもないけど……」
「ええ! そうなの? ってことは、一日も休みなしってこと? 」
「そうだけど。でも、野球部や、ラグビー部、それに陸上部との兼ね合いもあるから、グラウンドを使えない日もあるし。丸一日練習って日ばかりでもないから、まあ、こんなもんだと思うけど」
「宿題とか間に合いそう? 」
「ああ、それなんだけど。ちょっと、無理かも。夏休みの後半でなんとか追い上げるよ。数学は中学で習った範囲だから問題ないけど、現代社会のレポートとか古文の問題集はきついな……」
康太はスポーツタオルで汗を拭きながら言った。
日焼けしているせいか、いっそう精悍な面差しに見える康太にじっと見つめられると、沙紀はそのまま彼を真正面から見ることが出来ず、思わず視線をそらしてしまう。
最近こんな場面が多くなった。
康太に告白されたのが忘れもしない合格発表のあの日。
その頃も彼のことが好きでたまらないと思っていたが、今はその時以上に重症の恋の病に罹っていることを沙紀は充分に自覚していた。
けれど彼は沙紀のことをどう思っているのだろうと、ふと不安になることがある。
──こうちゃんはあたしを見ても、何とも思わないのだろうか。
──もしかして告白された時がピークで、今は好きだという気持ちもすでに後退しているとか。
──それとも、別に好きな人ができた……とか。
まさかそんなことはないと信じたいが、彼の心の中を全て知ることは不可能だ。
が、連日のハードな部活は他の誰かとの密会の時間など与えてはくれないだろうし、昨夜もドイツに行ってしまった夏子先生との別れを思い出し落ち込んでいたら、夜遅くまでメールで励ましてくれた。
彼に限って、沙紀を裏切ることなどないと結論付けたのだが。
沙紀が下を向いてあれこれ考えを巡らせていると、康太も当然無言になる。
そんな沙紀の様子に康太も不信感を持ち始めたのだろうか。
「なあ……沙紀。最近、何か変だぞ。まあ昨日のお袋たちのこともあるから今日は仕方ないけど、その前から少し変だ。俺がせっかくずっと日本にいるって決めたのに、沙紀ときたら、どこか上の空だったろ? 」
康太は不満げにそんなことを言う。
「ええっ? 上の空だなんて……。ないない。ありえないって。あたしがどれだけ嬉しかったかわかる? こうちゃんが高校生の間はドイツに行かない、あの家に残るって聞いた日、一晩中、ベッドの中で泣いてたんだから」
「あの頃はまだ沙紀の気持ちが伝わってきたし、何も心配はしてなかったさ。俺が言ってるのは期末試験が終わってからのこと。なんか俺に対して冷たいし、もう俺のことなんて嫌いになったんじゃないかって、ふとそんな風に思うこともある」
全てを見透かすような康太の真っ直ぐな目で見つめられると、目を合わすことすら出来なくなる。
沙紀はまたひとつ心臓をトクンと鳴らして俯いた。
「ほら、また……。沙紀、どうしていつも目をそらすんだよ! やましいことがないんだったらこっちを見ろよ」
「ええ? そ、そんなあ……」
不特定多数の人物が往来する校門の所で言い合いのようになった二人を、遠巻きにするように様々な部活を終えた生徒達が次々と横を通っていく。
「ちょっとここじゃーまずいな。いつもの河原まで行く? 」
沙紀はこくんと頷くと、康太に続いて自転車を走らせた。
いつもの河原に着くと、対岸で水遊びをしている親子連れが帰り支度をしているところだった。
犬の散歩やウォーキングをしている人もちらほら見える。
木陰の雑草の少ないところに腰を下ろした沙紀は、こっそりと隣に座る康太を盗み見た。
さっきまで濡れていた康太の髪は、自転車に乗って風を受けたせいかすっかり乾いて、いつものようにさらさらに戻っていた。
男子にしては長めのまつ毛を物憂げにゆっくりと上下させながら、川の流れでも追っているかのように、遠くを見ている。
そして、突然、沙紀の方に振り向くのだ。
「さっきの事だけど、俺、ちょっと言い過ぎたかも。ゴメン。でも……」
「あ、あたしがこうちゃんのこと、嫌いになるわけないよ。誤解だよ。だって、前よりずっと……」
沙紀は誤解を打ち消すため、思っていることを言いかけたのだが、途中で言葉を呑みこんでしまった。




