50 たのもしい背中
「そんなにもドイツに行きたくないってか? まあ、おまえの気持ちもわからんでもないけど。でもな、おまえはまだ高校生なんだ。誰がなんと言ってもまだ十六だろ? 親の言うことを聞かないとダメなんじゃないのか? 」
「それはわかってるよ。親に金出してもらって高校にも行かせてもらってる。でも、どうしても今の高校を辞めたくないんだ」
「なるほどね。松桜を蹴ってまで入った学校だもんな。そこで出会ったいとしいオンナがおまえを引きとめるのか……」
すべてにその話をつなげてくるのがあきらかにパターン化されてきたので、康太は軽く聞き流すことに徹する。
冗談をいちいち真に受けていたら身が持たない。
「だからここに住ませてもらえたら、お袋だって許してくれるかもしれないし……」
「それはどうかな? 姉貴はああ見えて実に頑固なんだ。義兄さんと結婚する時だって、親の大大大反対を押し切って家を飛び出したくらいなんだからな。それに、姉貴は俺を信用してない。おまえを俺に預けるなんて逆立ちしたってあり得ないに決まってるだろ? それにこの狭い部屋におまえと二人でどうやって暮らせって言うんだ。俺のハニーを連れ込むことも出来なくなる。その辺はどのような見解をお持ちで? 」
雅人の恋愛事情にまで考えが及ばなかったことは不覚だったが。
彼の信用のなさは、康太も夏子からいろいろ聞かされてわかっているつもりだった。
とにかく雅人のやることはユニークで予測がつかないことだらけだったのだ。
大学を出たあと、音楽放浪記を書くといって日本を飛び出し、二年程行方不明になった。
その後、突如帰国すると劇団を旗揚げすると息巻いてバイトに明け暮れ、ちょっと怪しげな仲間と共にアングラな世界を生きている……かと思いきや。
ある日突然シンガーソングライターになると言ってバンドを結成したのはいいが、結局誰にも認められず、数年後にはバンドも解散。
次は何を思ったのかこれまた急に教員になるといって採用試験を受け、熱意だけで受かってしまい現在に至る。
ほんとうに破天荒なその生き様は、子どもの頃の康太にとっては、面白くもあり、あこがれの存在でもあったのだが……。
「でも、雅人兄さんも今は真面目な社会人だし、お袋も前みたいに頭ごなしに兄さんのことを否定したりしないと思う。俺だっていつまでも子どもじゃないし、兄さんには迷惑をかけないよ。その、兄さんの彼女が来るときは、友だちのところにでも泊めてもらうし。それに家のことは俺が全部やるから、ただここに寝泊りさせてもらうだけでいいんだ。だから……お願いします。兄さんからもお袋に頼んで欲しい」
「おまえ、学校がそんなにいいのか? まあ、俺も高一の頃には、軽音に明け暮れて好きなことやってたクチだったからな。おまえもサッカー、やりてえんだろ? 」
「うん」
雅人も少しはまともな受け答えをしてくれるようになってきた。
今後の成り行きに期待が持てそうだ。
ところが、雅人の顔はどこかふてぶてしく、康太の真意を探るように全身を眺め回す。
「おまえ、何んだかんだ言っても。やっぱりオンナがらみなんじゃないのか? 違うとは言わせねえ。イケメンぶっちゃって、このーーーぉっ。俺に似て、モテモテなんだろ? ほれ、言ってみろ。場合によっちゃあ、おまえの力に……。ならないこともないぞ? 」
雅人は鼻の下を人差し指でポリポリとかきながら、ニヤリと笑った。
康太はまたもやそっち系の話を持ちだされたものだから、雅人にこれ以上目を合わせることもできず、下を向いたまま大きくため息をつくばかりだった。
「ははん。やっぱりな。こんにゃろ、いっちょまえに色気づきやがって」
「だから、違うって……」
「言い訳はいいから。俺だって、高校生の時があったんだ。おまえの考えてることなんて、すべてお見通しだって言ってんの。オンナと別れたくないってか? 」
「…………」
「おい、なかなか強情だな。そうか。オンナが関係ないなら、ドイツに行ってもらおっかなー。向こうの方がサッカーも本場じゃないのかい? いいチームがいっぱいあるらしいぞ。あこがれの選手も向こうに大勢いるって話だしな」
「…………」
康太の痛いところをついてくる。
にしても雅人の嗅覚の鋭さには脱帽だ。
「おっ、ちょっと心が動きましたか? え? どうなんだ、康太くん。カノジョと別れたくないんだろ? この際、すべてぶちまけてしまった方がすっきりするぞ」
「……まあ、そんなことも、ちょっとは……」
「ちょっとだと? 」
「あ、いや、かなり……です」
ああ。とうとう言ってしまった。
雅人の執拗な攻撃にはもはや康太の力量では太刀打ちできない。
「康太くん。ついにしっぽを出しましたね。素直でよろしい。そうとわかれば、話は早いぞ。今から、姉貴んところに行って、ちょっくらヒト暴れしてくるか。俺にいい考えがある……」
康太は雅人からヘルメットを受け取ると、善は急げとばかりに家を出て、雅人の愛車である大型バイクの後ろにまたがった。
康太の脳裏に一瞬、駅前の駐輪場に置いたままの自転車が思い浮かんだが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
明日はバスで通学して、帰りに駅に寄って自転車を取りに行けばいいだけだ。
雅人の気が変わらないうちに、是非ともそのいい考えを実行してもらう方が先決だろうと思い直す。
康太は何も言わずに、ただひたすらバイクのエンジン音と振動を全身で感じながら、雅人の背中に貼りついて夜の湿った風を受け止めていた。




