49 青春の悩み
康太視点になります。
翌日康太は部活を終えると、家とは反対方向の街へ行くため、駅に向っていた。
駅の駐輪場に自転車を停め、目的地の切符を買い、ためらうことなく電車に乗り込んだ。
果たして最後の砦は康太の意向を汲んでくれるのだろうか。
康太は色よい返事をもらえるまでは毎日でもそこに通う覚悟で真正面から攻防戦に挑むつもりだった。
その要塞とも言えるマンションは、最寄の駅から徒歩十分くらいの比較的便利なところにあった。
ロビーの入り口で部屋番号のボタンを押す。二度、三度と繰り返し押し続け、中からの返答を待った。
まだ、帰ってないのだろうか。しかしこれも想定の範囲内だ。
康太は砦の司令官が帰ってくるまで、何時間でも待つ用意は出来ていた。
これしきのことであきらめられるものかと。
最後の望みの鍵を握る人物は夏子の弟の雅人以外に誰もいないのだから。
康太は彼の携帯番号は知らない。
おそらく夏子は知っているかもしれないが、事が事だけに母親に番号を訊ねるわけにはいかない。
内密にミッションを遂行する必要があったので、待ちぼうけもいたしかたない。
かれこれ一時間くらいそこに立っていただろうか。
途中、不審に思ったのか、管理人が康太に何の用かと訊ねてきたが、303号室の住人の甥だと説明してあっさりと納得してもらった。
というのも、雅人と康太は兄弟と間違われるくらい風貌がよく似ていたので、管理人も、ああ森山さんの……と意味ありげな笑いまで浮かべて詰め所に戻っていく。
「おい! おまえ、もしかして康太か? 」
マンションの門柱に寄りかかり雅人の帰りを今か今かと待っていた康太は、暗闇の中、爆音と共に発せられるその聞き覚えのある声の主の方をじっと見た。
バイクにまたがり話しかけてくる大男は間違いなく雅人だった。
「雅人兄さん。……おかえり」
「こいつ……。ちょっと見ない間にまたでかくなりやがって! こんな時間に何の用だ。どうせ姉貴に叱られでもしたんだろ? ええ? 図星か? 」
はい、そうです、と肯定しない限り許してもらえないだろうほどの、自信に満ちた雅人の断定ぶりにたじろぎながらも、康太はきっぱりと言い放つ。
「いいや、違うよ。今夜はどうしても聞いてほしいことがあって、その……」
「なにいっ? 子どものくせに、えらく思わせぶりなことを言いやがって。よし、おまえの青春の悩みとやらに付き合ってやろうじゃないの。俺について来い! 」
そのまま右折してマンションのゲート前にバイクを乗り付けた雅人の後を追うようにして、康太は敷地内の駐輪場に小走りでついて行った。
雅人は夏子の弟で康太の叔父にあたる。
彼は夏子と歳が離れているためまだ三十代前半で、康太にとっては叔父というより兄のような存在だ。
もちろんまだ独身の雅人は、そのやんちゃで豪快な外見に全く似合わない、このおしゃれなデザイナーズマンションに住んでいるのにはわけがあった。
ここの近くには音大があり、大抵はそこの学生達がこのマンションの大口顧客になっている。
というのも、グランドピアノを置けるように床補強と防音が施された設備になっているため、小学校の音楽教師をしている雅人にとっても願ってもない物件だったのだ。
背に腹は替えられぬと、同じ広さの他の物件より割高なここを選ばざるを得なかったという経緯がある。
もちろん、設置してあるグランドピアノもレンタルだ。
ピアノ室の片隅のソファに座った康太は、椅子に腰掛けた雅人と向き合う形になっていた。
「で、康太くん。何の相談だ。オンナの尻拭いか? 」
本当に小学校の教師なのかと疑いたくなるほどの露骨な物言いの雅人に、康太はややげんなりしながらも気を取り直し、話の核心部分から切り出すことにした。
「来年の春にはお袋と翔太と一緒にドイツに行くことに決まったんだ」
「おお、そうか。お袋ね。おまえもママのことをそんな風に呼ぶようになったのか」
「はあ? ママだって? 誰がママなんて呼んでたんだよ」
「まあいいじゃないか、康太くん。これはね、言葉のあや、と言うものだよ。そうか、ドイツか。いよいよなんだな。それで? おまえのオンナが、行かないでーーとか言って、泣いてすがるのか? 」
「兄さん、いい加減にしてくれよ。そんなわけないだろ」
と否定しながらも、ドイツなんか行かないでよと泣いていたあの日の沙紀の顔が浮かぶ。
悔しいが、雅人の推測は当たっている。
「じゃあ、おまえが未練たらたらなのか? 寝ても覚めてもかわいいカノジョのことで頭がいっぱい、胸いっぱい……」
「そ、そんなんじゃなくて……」
これも大当たりだが、今話したいのはそんなことではない。
「俺、ドイツに行きたくないんだ……。だから、ここに一緒に住ませて欲しい。雅人兄さん、頼むよ。この通りだから……。ここに俺を置いて下さい。お願いします」
康太はソファから降りて、床に頭をつけて頼み込んでいた。
「お、おい! おまえ、何土下座なんかやってんだよ。顔を上げて! 」
「兄さん、お願いします」
尚も康太は頭を床にこすりつけて、懇願し続けた。




