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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第四章 ショパン バラード 第一番
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43 居残り組

 音楽室でのピアノ騒動からひと月たち、沙紀は高校生活にもようやく慣れてきた。 

 星川の巧みな誘いと康太の押しもあって、結局沙紀は合唱部に入部することになった。

 あの日康太の演奏が終わった後、もう一度何か短い曲を弾いてみるようにと言われた沙紀は、気分も新たに習いたてのショパンのエチュードを披露した。

 けれどそれについては何の講評もなく、是非合唱部に入部するようにとだけ言われ、その後小笠原を通じて再三入部を勧められた結果、このようなことになってしまったのだ。

 沙紀の両親も康太の母親の夏子も、沙紀が合唱主体の部活に入ったと聞いてかなり驚いていたが、一番びっくりしたのは、もちろん沙紀本人だった。

 まさか自分が歌を歌うようになるだなんて、想像すらしていなかったからだ。

 だが沙紀は、意外にもあっさりと陸上部への未練を断ち切れたことに、少なからず驚いてもいたのだ。


 あと一週間で中間考査だというのに、部活が休みになる気配はない。

 それは康太のサッカー部も同じだった。

 沙紀のパートは小笠原の事前通告どおりソプラノに配属された。

 自分では今までずっとアルトだと思い込んでいて、中学校の校内合唱コンクールでは、いつも低音部を担当していたのだ。 

 しかし毎年ピアノ伴奏を任されていたので、結局は歌わずに済むことがほとんどだったから自分声の高さまで気が回らなかったということなのだろう。

 新入生全員が発声練習中に一人一人の声を徹底的に調べられ、沙紀はいともあっさりとソプラノに配属された。

 そんなはずはないとパートリーダーに申し出たのだが「まあ。何言ってるの? 相崎さんはれっきとしたソプラノよ。上の(ゲー)まで楽々じゃない」と言って相手にされない。

 ここで言うGとは、高音部のソのこと。

 先輩達がいとも簡単にドイツ読みで音を言うのにも沙紀はやっとのこと、慣れたばかりだった。

 それにしても歌らしい物はまだほとんど歌ったことがない、というか合唱なのにこんなに発声練習ばかりするとは思ってもみなかった沙紀は、まだこの部活が楽しいとも自分に合っているとも判断しかねていた。

 果たして発声法がこのままでいいのか、あるいは、もっと根本的な部分で自分の声が本当に使い物になるのかどうかなど、不安ばかりが沙紀を襲う。

 他の新入部員が皆堂々としていて、とてもきれいな声で歌っているように思える。

 ダメならダメと早いうちに言ってもらわないと部員みんなに迷惑かけてしまうのではないかと、沙紀は内心、気が気でない。

 そんな日々の中、小笠原の沙紀への風当たりが日に日に強くなっていく。


「相崎さん! もっとお腹の底から声を出して! あごを出さない! あああ……。それじゃあ、ひっこめすぎ! 何度言ったらわかるの? 」


 小笠原の一言一言に過剰に反応し過ぎて、沙紀はもう歌うどころではなかった。

 パートリーダーである二年の水田杏子(きょうこ)は、自分を差し置いて口出ししてくる小笠原に不愉快な思いを募らせているのは、沙紀の目にも明らかだった。

「相崎さんはとても努力しています、どうか発声指導は私に任せて下さい」という水田先輩のフォローも、小笠原の耳には届かない。

 ここでは先輩の言うことは絶対なのだ。誰も逆らうことなどできない。


「では今日はここまで。皆さんは高校生のための合唱組曲の譜読みをして、明日までに階名で歌えるようにしておいて下さい。相崎さん。この後、音楽準備室に来ること。いいわね」


 沙紀の心臓がドキッと鳴ると同時に、胃の辺りがキリキリと締めつけられるように重苦しく痛む。

 小笠原に居残りを命じられるのはもう何回めだろう。昨日も一昨日も呼ばれている。

 沙紀が隣の準備室に行こうとするとまどかが声を掛けてきた。


「沙紀、また居残り? 」

「う、うん……」

「小笠原先輩、なんかひどくない? 沙紀って、目をつけられてるんじゃないかな……。どうしてだろうね。先輩に何かした? 」

「ううん、何も……」

「何だろうね。あ、もしかして、前のピアノテストの時。沙紀ってめっちゃピアノうまいじゃん? それで妬まれちゃったとか」

「そうかな……。でもね、ショパンのエチュード弾いた時は、部長は何も褒めてはくれなかったし、完全にスルーされた。ボロボロだったんだ」

 

 沙紀が弾いた黒鍵のエチュードは、散々な結果だった。

 テンポもアップして勇んで弾いたことがアダになり、ミスタッチばかりで救いようがなかった。

 そんな散々な結末を見ていた小笠原が沙紀に嫉妬するなどありえないと思う。


「ねえ、まどかちゃん。理由はそんなことじゃなくて、あたしが合唱初心者だから、早く皆に追いつけるように手助けしてくれてるんだと……思う」


 沙紀は昨日の小笠原の執拗なまでの発声練習を思い出していた。

 あれはきっと、初心者である自分を励まし、歌唱力の基礎を叩き込むためだったんだ……と言い聞かせる。


「なら、いいんだけど。辛くなったら言ってよ。あたしが無理やり沙紀をここの部に連れて来ただけに、なんか責任感じちゃうよ。いざとなったら星川部長に直訴してあげるからね! 」

「ま、まどかちゃん。いいよ、そこまでしなくても。あたしなら大丈夫だからさ。た、大変! 早く行かないと先輩に怒られちゃう。まどかちゃん、先に帰ってて。終わるの何時になるかわかんないし」

「わかった。それじゃあ、また明日ね。沙紀、がんばってね! 」

「ありがと。じゃあね、バイバイ……」


 沙紀は次々に帰っていく部員達の後姿を見送ると、ひとり音楽準備室に向った。


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