40 友の反乱
康太視点になります。
複雑な思いを巡らせている康太をよそに、キャプテンは尚も続ける。
「そういうことだ。今から一年も練習すれば、充分対外試合でも通用するだろう。どうだ。やってみないか? これは監督の指示でもあるんだ」
「…………」
康太は返事に困ってしまった。ここでノーの返事をすればどうなるのだろうか。
最悪の場合、サッカー部に在籍すること自体難しくなるのは、あながち間違ってはいないだろう。
ピアノが弾けなくなる日も来るかもしれない。でも、サッカーは絶対に辞めたくない。
究極の選択を迫られた康太が決意も新たに口を開きかけたその時だった。
「待って下さい! キャプテン、吉野はキーパーはできません」
「はあ? どういうことだ? 」
「こいつは……その……。ピアノ弾きです。だから……。キーパーをすると、指が……」
二人の間に割って入ったのは、伊太郎だった。
康太に助け舟を出したのだ。
周りの部員達は皆一様に不思議そうな顔をして、康太を見た。
キャプテンもとまどっているのか、顔をしかめて康太ににじり寄る。
「ピアノ弾き? どういうことだ? そんな有名なピアニストがこの北高にいるなんてことは何も知らされていないが。おい吉野、ちゃんと説明しろ! 」
部長の顔色が俄かに変化するのを康太は見逃さなかった。
もうそれは困惑ではなく、あきらかに怒りに変わりそうな形相が窺える。
「あっ……キャプテン。すみません。俺はピアニストでもなんでもありません。趣味のピアノ弾きです。だから、キーパーやります。やらせて下さい」
康太は、今ここでキーパーは出来ませんなどと言えるはずもなく、潔く頭を下げた。キーパーをやります、と。
昔からあこがれていたキーパーの道が開けた瞬間でもある。
指のけがなど恐れていてはどのポジションも出来ない。
ところが伊太郎はまだ引き下がらなかった。
「で、でも! キャプテン! 吉野は音楽の先生も驚くくらいの実力派で、こいつからピアノは奪えません。だからお願いします。キーパー以外で是非、起用してください。なんなら俺のポジション譲ります。だから……」
「おいおい、おまえたち、いったい何なんだ? まあ山本も、そんなに必死になるな」
「でも、本当にこいつにはピアノが大事で。サッカーもピアノも、どっちも両立できる人間です。だから、お願いします……」
伊太郎はまだキャプテンにすがりついていた。
「山本はああ言っているが。吉野、どうなんだ」
「大丈夫です。キーパーやらせてください。お願いします」
「わかった。ならキーパーでいいんだな? 」
「キーパーが、やりたいんです。子どもの頃からの憧れでした。一からやるのは大変だと思いますが、先輩や監督の指導を仰ぎながら、頑張って行きます」
「そうか。そこまで言うのなら、この選択は間違っていないと思う。ただし……。ほんとうにおまえが山本の言うようにピアノ弾きなら、こっちの一存でおまえの将来をつぶすわけにはいかないからな。俺は音楽のこともピアノのことも、さっぱりなんだ。ん……。どうしたものか。よし、ちょっと俺について来い」
「は、はい……」
康太は何が何だかわからないまま、キャプテンに返事をする。
いったいどこに連れて行かれるのだろう。監督のところに直談判しに行くのかもしれない。
「では後の発表は副キャプテンから聞いてくれ。吉野、行くぞ! 」
そう言ってその場は副キャプテンに引継がれ、康太は校舎内に誘導されて行く。
職員室の前を通り、中へ入るのかと思いきや、そこは見向きもせず素通りしていく。
康太はキャプテンの行動がまだ理解できないままだった。
大きな背中をしたその人は無言のまま、つかつかと進んでいく。
このまま階段を上がり、そこの行きつく先と言えば。
多分……。音楽室だ。
ドアの前に差し掛かると、なじみのあるピアノの音色が康太の耳に響いてくる。
このタッチは。そしてこの曲。ああ、これは……。
もう間違いない。沙紀が弾いているのだ。ピアノを。
康太は自分がここに連れてこられただけでも驚いているのに、どういうわけか室内から沙紀が演奏していると思われるピアノの音まで聴こえてくるのだ。
あまりにも様々なことが一気に押し寄せる現実に、危うくめまいを起こしそうになる。
あの間のとり方とテンポ。聞き間違えるはずがない。
康太はそれが沙紀のスケルツオであると確信していた。
「吉野、ちょっとここで待っててくれ。この中に俺の親友がいるはずなんだ。ちょっとそいつの力を借りる」
キャプテンはそう告げると、力任せに音楽室のドアを開けて中に入っていった。
これほど音楽室に不似合いな人物もいないだろうと思われるくらい大股で荒々しく歩いていく。
「横田? なんか用か? 」
誰かが中から顔を覘かせると同時に、今まで聴こえていたピアノの演奏もぴたっと止まる。
「ああ星川……。練習中にすまない。ちょっと頼みごとがあって……」
星川と呼ばれた視線の鋭い背の高い男と、筋肉質で頑強なサッカー部キャプテンという、見るからに異質な二人の密談が、今まさに康太の目の前で始まろうとしていた。




