39 とまどい
康太視点になります。
高校に入学して二日目の放課後、康太は練習用のウエア―に着替えて、学校のグラウンドでボールを追い、駆け回っていた。
康太はこの日を待っていたのだ。
広いグラウンド。活気ある先輩たちの動き。そして輝かしいこれまでの対戦成績。
そのどれもが誇らしく、そして康太の心を躍らせるのに充分だった。
今日からあこがれの北高のサッカー部員として存在することが許されるのだ。
たとえ日本に残れる時間がわずかであったとしても、力の限り走り続け、サッカー漬けの日々を心行くまで味わってやろうと意欲満々だった。
本日のメニューは新入部員同士による紅白戦だ。
フィールドの周りをキャプテンをはじめ二、三年の面々が取り囲んで、一年生の動きをチェックしている。
サッカー部は北高きっての花形運動部でもある。
入部希望者数も半端ない。三十人近くも入部に名乗りをあげ、ポジションの争奪戦がすでに始まっていた。
康太は小中学校で揺るぐことのなかったFWの位置をなんとかキープし紅白戦に臨んだ。
普段の自主トレの成果と天性の勘の良さで卒なく試合をこなし、得点も一点挙げてまずまずの仕上がりで手ごたえを感じてもいた。
この後、A、Bの二チームに分けられ、それぞれ独自に練習を進めていくシステムになっている。
Aチームはメジャー、Bチームはマイナーに例えることもできる。
レギュラーに選ばれるためには、まずこのAチームに入らなければ何も始まらない。
そして二年、三年のチームとも戦って、監督、キャプテンの判断でレギュラーメンバーが決められていく。
どの新入部員も真剣そのものだった。
四十分程のショート試合を終了すると、全員集められ、キャプテンにより今後のポジション及びクラス分け、あるいは全く歯が立たない人物には、入部すら辞退させる宣告を言い渡されるのだ。
一番に呼ばれたのは伊太郎だった。
康太が推薦入試の時にばったり出くわした小学校時代のサッカー仲間の山本伊太郎は、真っ直ぐに前を向き、はいと大きく返事をした。
結果は。申し分なくAチームのFWだ。
前評判も高かっただけに、新入部員全員に納得の表情が見られる。
そして二番目。みんなの顔が一瞬にして強張る。
次は自分だと信じて疑わない者、いや、最後でもいいから是非ともAチームに呼ばれたい者、Bチームでもいいから、とにかく入部許可だけでももらいたい者など、それぞれの思惑が交錯する中、キャプテンの声がフィールドに鋭く響いた。
「吉野康太」
「はいっ」
呼ばれた。それも伊太郎の次に。
康太はほっと胸を撫で下ろすと同時に、キャプテンの怪訝そうな表情を目の当たりにし、次第に不安感に苛まれていく。
いったいどんな審判が下されるのだろう。
「おまえ、松桜からだって? とんだ変り種だな……。確かあそこは目立って結果を出すようなチームじゃなかったはずだ。でもおまえほどの選手が埋もれていたなんて、全く、宝の持ち腐れもいいところだな……」
キャプテンのとまどいの原因は康太の出身校だったのだ。
再びほっとしたのも束の間、またもやキャプテンの顔が曇り始めた。
康太としては、今日は思っていたよりも身体が柔軟に動いたし、得点も挙げられた。
きっとこのままAチームとして推薦されるだろうと確信していたのだが……。
「……吉野。おまえ、身長どれくらいある? 」
キャプテンの思いがけない質問に戸惑いながらも、184くらいですと告げ、返答を待った。
「そうか。まだ伸びそうだな」
「あ、はい。去年の夏休みから急に伸び始めました」
「それに、動きもいい。もちろんFWとしてもこの上なく将来性も感じる。しかし……だ。チーム全体として見るとFWの希望者及び経験者は今のところ十人以上いる。その中には中学の時の大きな大会で活躍した者も何人か混ざってる。でもキーパーは二人しかいない。その二人よりお前のほうが背もあるし、見たところいい手をしている。かなり大きいな……」
「あ……」
康太は自分の手を広げてじっと見入った。
確かに、大きい。伊太郎と比べてみても、あきらかに康太の方がひと回り大きく見える。
キャプテンはこの期に及んで何がいいたいのか。
心音がありえないほどの音量で鳴り始める。
まさか。キーパーをやれとでも?
康太はキャプテンの真意をさぐるようにして今言われた一言一言を心の中で反芻してみる。
そして……。
「キャプテン。それは、俺にキーパーをやれと……。そういうことでしょうか? 」
意を決して聞いてみるが、それは康太にとっては寝耳に水な話だ。
ピアノ弾きがキーパーというのは、ある意味致命傷でもある。
小学校の時、緊急事態で代わりにキーパーをやったことがあった。
実はこの頃、康太はキーパーにあこがれていたのだ。
それでコーチにキーパーがやりたいと直談判をしたのだが、身体が小さかったことや、チーム一の俊足だったこともあり、けんもほろろに却下された過去がある。
ところがある日、不運にもキーパー担当の仲間が二人ともインフルエンザにかかり、急きょ康太にチャンスが巡ってきた、ということがあった。
意気揚々とキーパーを勤め上げたのだが……。
瞬発力と跳躍だけは誰にも負けない康太だったが、腕をゴールのポストにぶつけて、おまけに敵の蹴ったボールが康太の指先をかすめ突き指を負った結果、その後一ヵ月間はまともにピアノに向かうことができなかったのだ。
苦い思い出でもあるが、負傷したことを除けば、とても楽しい試合だった。
ところが。それをこの北高サッカー部でやるということは、ピアノはもうあきらめろと言われているようなものだ。
今後の練習では毎日超高校級のシュートを受けるのだ。怪我は避けられないだろう。
やりたい。でも指のことを考えれば出来ない。
康太の心は右へ左へと大きく揺れ動いていた。




