35 小さなうそ
康太視点になります。
「ただいま……」
沙紀よりわざと少し遅れて家に帰った康太は、夏子のいるキッチンへ入っていった。
「おかえり。入学式の後は大変だったわね」
「ああ。俺もびっくりした」
「なんだかあなたたち長くなりそうだったから、相崎さんと先に帰っちゃったのよ。ごめんなさいね。一緒に食事なんて言っておきながら……」
「別に。あれじゃあ、すぐに帰るのは到底無理だし」
康太は冷蔵庫から牛乳を出し、グラスに注いで一気に飲みほした。
「せっかくのみんなそろってのランチだったのにね。残念だったわ。康太も本当は楽しみにしてたんじゃない? 」
「……別に」
「もう、康太ったら、別に、ばっかり。昔はあんなに沙紀ちゃんと仲がよかったのにね。康太がお父さんの事を気遣って北高に進学するって決めてくれてから、また、沙紀ちゃんと同じ学校に通えるようになったっていうのに。何を恥ずかしがってるんだか」
「はあ? 別に恥ずかしがっちゃいないけど」
こうなったら夏子の話は長くなるのが相場と決まっている。
早いところ、二階に上がってしまおうと思うのだが。
「ねえ、康太。それにしても沙紀ちゃん、立派だったわね」
「ああ……」
「って、ちゃんと聞いてる? 春休み中に原稿考えたって言ってたわね。文章もメリハリが効いてて、簡潔で良かった。さすがよね。私のピアノの教え子なんだって、あそこにいた保護者のみんなに自慢したいくらいだったわ」
俺が原稿作ってやったんだよ……と言いたいのをぐっと堪えて、康太は鞄から保護者あての書類を出し、食卓テーブルの上に載せる。
「ところで康太。お昼ご飯は食べたの? 」
夕食のシチューをかき混ぜながら、心配そうに夏子がたずねる。
「ああ……食べた。……今日はレッスン休み? 」
康太はあまり昼食のことにこだわって欲しくなかったので、話の矛先をさりげなく変えてみた。
「ええ、休みよ。……お昼食べたって。……誰と食べたの? もう新しいお友達ができたのかしら? 」
康太の努力もむなしく、また昼食の話題を蒸し返される。
母親というものは、どうしてこんなにうざったいものなのか。
二階に上がるタイミングを失ってしまった康太はしぶしぶ答える。
「いや。その……。友達というか。そうだ。俺、サッカー部に入部したから。それで、その新入部員達と、駅前で適当に昼飯を済ませた。ほら、山本伊太郎。小学校の時の仲間だった。あいつも一緒なんだ」
我ながら完璧な返答だったと自己満足に浸りながら、キッチンを去ろうとしたその時だった。
「あらーっ、伊太郎君。なつかしいわね。でもね、サッカーもいいけど。くれぐれも指には気をつけてね」
康太がサッカーをするのをあまり快く思っていない夏子は、たまにそうやって釘を刺すようなことを言う。
「だからサッカーは足だっていつも言ってるだろ? 俺だってそれくらい考えてるさ。だから野球もバスケもバレーも選択肢から外したんだ」
「それはそうだけど。でもね、ぶつかることもあるでしょ? 指が動かなくなったら、辛いのは康太自身なんだから……」
それは百も承知だ。
体育の授業でも、十分に気を付けている。
「そうそう、ついさっき沙紀ちゃんも帰ってきたみたいだったわね。康太も一緒かなと思ったんだけど違ったのね。どうせ同じところに帰ってくるんだから、時間合わせて一緒に帰ってくればいいのに……」
「え……。なんであいつと一緒に帰って来なきゃなんないんだよ。クラスも違うし、俺達、別に関係ないし。そこのプリント類、あとで見といて。いろいろ書くところもあるし。明日提出だから、よろしく」
康太は夏子に動揺した顔を見られないうちにと、あわてて二階に駆け上がっていった。
「おかしな子ね。もうすぐ夕食だから下りてらっしゃいよ! それと、サッカーもいいけどピアノもそろそろ本腰入れないとね! バラードは仕上がったの? エチュードは暗譜した? 」
下から夏子の声が康太の後を追うようにして響いてくる。
いつものことだからと返事もしないが、さすがにピアノのことは堪えた。
今日の入学式で聴いたあの先輩の演奏に刺激されたのは否定しない。
松桜にはあのような弾きてはいなかった。音楽教師ですらあそこまでの技術は持っていなかった。
受験という名目でこの数カ月は遊び半分だったピアノにも、そろそろ本気で取り組まなければいけないなと思わせるのに十分な演奏だった。
そんなことを思っている矢先の夏子の冷静さを装った怒りのたっぷりこもった激励の言葉だ。
暗譜は完璧だ。しかしバラードの仕上がりには納得していない。
夕食後は練習優先だなと予定を立てながらも、さっきの夏子の沙紀にこだわった会話が気になる。
もしかして、気付かれてるのだろうか。かまをかけられた気もしないでもない。
沙紀の母親にも交換ノートの現場を押さえられたことがあるだけに、康太の心は穏やかではない。
夏子がどういう意味で沙紀のことを話題にしてくるのか気になるところだが、どうであれ、まだ当分は沙紀との関係は誰にも知られたくない。
今後もポーカーフェイスを徹底させるべく、決意を新たにするのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
このぽーかーふぇいすは、生まれて初めて書いた小説になります。
当初はブログにてポツポツと書いていました。
そして、こちらの投稿サイトを知り、まずはこんぺいとうを皮切りに、次々と投稿させていただいた次第です。
初稿は文体も定まらず、膨大なテーマをうまく処理することもできず、反省点ばかりでした。
今回、大幅に改稿し、時代背景も現在に沿わせながら、改訂版として再投稿しています。
まだまだ未熟な筆者ですが、どうか最後までお付き合いいただけますように。
どうぞよろしくお願いいたします。




