30 夢じゃないよね
言ってしまった。とうとう言ってしまった。
沙紀は夏休みからずっと心の奥底に秘めてきた康太への思いを、やっと口に出して言えたのだ。
胸はありえないくらいドキドキして、膝から下がガクガク震えて立っているのもやっとだ。
「沙紀、本当なのか? 俺でいいの? やっぱり辞めとくとか言わない? 」
康太は自信なさげな目で沙紀に何度も確認する。
「辞めとくなんて言わないよ。こうちゃんこそ、ホントにあたしでいいの? 松桜にはもっときれいな人がいっぱいいたでしょ? あたしなんてちっとも女の子らしくないし、生意気だし、それに。美人じゃないし……」
「何言ってんだよ。俺は沙紀がいいんだ。どんなに美人の才女が周りにいたとしても、俺は沙紀じゃなきゃ嫌だからね」
「こうちゃん……」
「沙紀だって化粧して、巷の女子高生みたいに髪をクルクルとかしたら、それなりに女の子らしくなるさ。俺は、沙紀の中身がいいの。みかけなんかどうでもいいよ」
髪をクルクル? みかけなんかどうでもいい? そ、それって……。
沙紀はやや複雑な気持ちだったが、この際、康太が見かけより中身重視だったことに素直に感謝するべきなのだろう。
「あっ……でも、沙紀は誰よりもかわいいぞ。俺は昔からそう思ってたから。男っぽいところも全部ひっくるめて好きなんだ。男の俺よりも潔くて、リーダーシップがあって、スポーツ万能。松桜にはそんな女子はいないよ。今のままの沙紀でいいから。こうやってそばにいてくれたらそれでいいから」
康太があまりにも日頃聞きなれないことを次々と言う物だから、沙紀は身体じゅうがこそばゆくて、いたたまれなくなる。
「こうちゃん……。も、もうそれくらいでいいよ。わかった。こうちゃんの気持ちよーくわかったから。これからも仲良くしてね」
「あたりまえだろ。今まで以上に仲良くなるんだ。俺たち。じゃあ、今日から沙紀は俺のカノジョってことで」
「そっか、そういうことなんだ」
沙紀は何やら深く感動してしまった。こうやって、カレシ、カノジョが出来上がっていくんだと、今までの謎が解けて行く。
「じゃあ、こうちゃんはあたしのカレシなんだね。カレシってこんな感じなんだ」
「ああ、でも、まだ信じられないよ。沙紀とこうなるなんて夢みたいだな。なあ、ためしに俺のここ、つねってみて? 」
康太は腰をかがめて右頬を沙紀の前に差し出す。
本当につねってもいいのだろうか。沙紀はややためらいがちに、そっとつねってみた。
「おい。そんなんじゃ夢かどうかわかんないよ。もっと強く。ギュッとやってくれ! 」
ならば、遠慮なしにと、親指と人差し指にありったけの力をこめて、ギュギュッと引っ張るようにつねってみた。
「いってえーー! おまえ、手加減なしかよっ! ひょえー。痛かった」
康太は沙紀と繋いでいる手を離してつねられた頬をごしごしこする。
「ごめん。そんなに痛かった? 」
康太のあまりの痛がりように、沙紀はちょっとばかりやりすぎたかなと、後悔し始めていた。
「ああ。でも俺が強くって言ったんだもんな。沙紀のせいじゃない」
「ほっぺが赤くなってるよ……。こうちゃん、ごめん。ほんっとにごめん。でも、こうちゃんがもっと強くっていうから、つい……」
沙紀は康太の頬が赤くなってきたのを見て、申し訳なさでチクリと胸が痛んだ。
「あははは。でも、おかげで夢じゃないって証明できたわけだし。ところで沙紀。この痛みが取れる方法がひとつだけあるんだけど……」
「そうなの? なら、どうしたらいい? ハンカチ、濡らして冷やそうか? 」
「いや……。もっといい方法があるんだ」
康太はまだ額に皺を寄せながら、痛そうに頬をさすっている。
沙紀は、康太のたくらみに気付かないまま、真剣にどんな方法があるのだろうかと考えていたのだ。
「どうすればいいの? 教えて? あたしにできることなら何でも言って」
そして、康太がニヤリと笑って、沙紀を見た。人差し指を頬にトントンと当てながら……。
「ねえ沙紀。ここに、キスして」
「…………」
目が点になった。
今、なんて言った? キス……。 キスって言ったよね?
そして、額も耳も顔中真っ赤になった沙紀が康太に向って叫んだ。
「あ、あ、あ、ありえないっ! こうちゃんの、バカーーーーーーッ! 」と。
翠台までどうやってたどり着いたのだろうか。
当然、康太のどさくさに紛れたとんでもな願いなど、聞き入れる耳を持たない沙紀は、プリプリ怒ったまま康太の前方を足早で歩いていた。
後ろからは 「沙紀、ごめん。冗談だよ。機嫌直してよ、ねえ、お沙紀ちゃん! 」 とデビューしたての新人カレシが何度も何度も謝りながらついていく。
そして、ついに次の坂道を上れば家というところまで帰って来た時だった。
突然立ち止まった沙紀が、後ろを振り返り、大きくため息をつく。
「しょうがないなあ。もう、謝らなくていいよ。……こうちゃんって今日から、あたしの……か、カレシ……なんだよね? 」
「ああ、そうだよ」
「じゃあ……」
そう言って、沙紀が康太の腕に手を添えると、すっと背伸びをして……。
赤くなっている頬に唇を寄せた。ポチにするよりも優しく、そっと。
沙紀は高鳴る胸を全身で感じながら、彼に初めてのキスを贈った。




