29 両想い
そう言って、店を出るよう促される。
沙紀は半ば強引に店から引きずり出されると、商店街をゆっくり並んで歩き始めた。
康太に泣き顔を見られてしまったことがこの上なく恥ずかしかった。
せっかくデートだと言って楽しい時間を企画してくれた康太に申し訳なくて、時折、ハンカチの隙間から彼の様子を窺う。
そんな沙紀と隣の康太の目がふと合う。そのとたん、沙紀はまたハンカチで目を隠す。
そして……。商店街の通路に埋め込まれたテラコッタタイルのわずかな目地の段差につまずいてころびそうになった。
「おい、沙紀。危ないぞ。前が見えてないんだろ? さあ」
沙紀の前に康太の右手が差し出された。
その手が何を意味するのかわからず、立ち止まってじっと見ている。
「ほらっ、ここにつかまって」
康太に言われるまま沙紀は左手を差し出すと、彼の大きな手に自分の手を滑りこませた。
これで転ぶこともないだろう。
片方の手でカバンとハンカチを持ち、とぼとぼと歩き始める。
けれどカバンがあるせいで、なかなか涙を拭えない。
「沙紀、カバンも貸して」
康太が持ってくれるらしい。
「あ、ありがと」
彼の機転のおかげで身軽になった沙紀はこれで思う存分涙を拭うことができる、と安心したのも束の間。
急に今の状況を客観視する余裕が生まれてしまった。
左手が。左手が。
彼の手にすっぽりと覆われている。
これって、もしかして……。手を繋いでるってことでは。
なんということだろう。恋人同士でもないのに、こんな状態のままでいいのだろうか。
次第に恥ずかしさで我慢できなくなり、つないでいる手をほどいて引っ込めようとしたけれど、康太はそれを許してくれなかった。
逆にさっきよりしっかりと握られてしまったのだ。
「なあ、沙紀。小さい頃はよくこうやって手をつないだよな。もう二度とこんなことはないと思ってたけど……」
康太は何を思ったのか昔のことを語りだした。
「う、うん。で、でも。もう転ばないし。誰かに見られるかもだし」
「見られるの、いや? 」
「そうじゃないけど。ちょっと恥ずかしい」
「うん。確かに恥ずかしいかも。でも、俺はこのままがいい」
「こうちゃん……」
しばらく何も話さず、商店街から住宅地に入って行った。
戻り寒波がやって来たとニュースで言っていたとおり、冷たい風が吹き抜けて行く。
小さな雪まで風に乗って飛んで来た。
ぶるっと身震いするけれど、彼の手は予想外に大きくて、温かい。
「こうちゃんの手、あったかいよ」
彼の手のぬくもりが沙紀の心まで温かく包んでくれる。
「沙紀の手もあったかくて、柔らかい」
まさかこんなことになるなんて思ってもみなかったから、沙紀の気持ちはその甘さについていけない。
つないでいる手はもちろんのこと、全身がとろけてしまいそうになる。
「いつもはコロやポチが一緒だから、こうやって歩けないもんな。たまにはいいだろ? 二人だけってのも」
さらりと言ってのける康太の言葉がどれだけ沙紀の心をかき乱しているのか彼はわかっているのだろうか。
沙紀はこのまま死んでしまってもいいと思った。
天にも昇る気持ちというのはきっとこのことを言うんだと、さっきつまずいた偶然にただひたすら感謝していた。
住宅街を過ぎると、川沿いの道に出る。
このままずっと西に向かうと沙紀と康太の住む翠台にたどりつくのだ。
電車の駅で二駅分。歩くと四十分以上はかかるだろうか。
「寒いけど、このまま歩いて帰る? それとも電車がいい? バスもあるけど……。沙紀はどうしたい? 」
「うーーん。歩こうかな。ポチの散歩でこの近くまで足を延ばしたこともあるし……。景色もいいよね、このあたり」
「……ああ、そうだな」
「こうちゃんはどうしたい? 歩くの嫌? なら電車でもいいよ」
「うん、そうだな……」
「って、ねえ、こうちゃん! 大丈夫? なんか、答えになってないけど」
その時だった。康太が急に立ち止まり、手をつないだまま沙紀の方に向き直る。
「なあ、沙紀……。俺。沙紀のこと……好きみたいだ」
それはあまりにも突然の告白だった。
いったいどんな顔をしてそんなことを言っているのだろう。
けれど恥ずかしすぎて、彼を直視できる状態ではない。
沙紀の反応を待っているのだろうか。康太が沙紀をじっと見ている気配を感じる。
何を言えばいい? どう返事すればいいの?
沙紀は康太の手をぎゅっと握り締めると、うつむいたままとても小さな声で言った。
「こうちゃん……。あたしもこうちゃんと同じ気持ちだよ」
「そうか。で、どんな気持ち? ちゃんと言ってくれよ」
今度は康太が沙紀の手をぎゅっと握り返してきた。
もう逃げられない。
沙紀は勇気をふりしぼって顔をあげ、彼をまっすぐに見た。そして。
「あたしも……。こうちゃんが……好き。大好きだよ」
ついに。
言ってしまった。