28 ドイツなんか行かないでよ
康太と共にやって来たハンバーガーショップは学生や家族連れでいっぱいだった。
沙紀は翠台中学の生徒がいないことを祈りながら、店内の空いている席を探していた。
奥の方にカウンターの席を見つけると、手に持っているトレイを落とさないように気遣いながら運んでいき、テーブルの上にそれを置いて康太と並んで座った。
康太と二人っきりで店に入るのは今日が初めてだ。
時折ちらちらと二人の様子を伺い見る他人の視線に敏感に反応してしまう。
確かに彼は誰よりも目立つ。
もちろん松桜学院の制服のせいもあるが、それ以上に彼のきりっとした眉に涼しげな切れ長の眼、そして厭味のない知的な鼻筋に、優しく弧を描く唇。
どれをとっても非の打ち所がなくすっきりと整っているがために否応なしに目立ってしまうのだ。
と言っても、これらはすべて沙紀の母親の春江の受け売りで、沙紀自信はつい最近まで康太の何がどうかっこいいかなんて、全く気付いていなかった。
そんな人目を引く康太と一緒にいる自分が他人の目にどのように捉えられているのか、沙紀は気になって仕方がない。
今のこの状況は実は夢の中の出来事であって、大好きなチキンバーガーを食べ終わる頃には、幻だった康太は当然のごとくそこから消え去り、現実の世界に連れ戻されるのではないかと不安がよぎる。
「沙紀。合格おめでとう。俺も、なんか嬉しいよ」
沙紀が照り焼きしょう油味のチキンバーガーをほおばっていると、突然隣に座っている康太がそんなことを言う。
「う、うん。ありがと。こうちゃんも、おめでとう……って言ったらいいのかな? 」
「もちろん。そう言ってもわえると、俺だって嬉しいよ。松桜に受かった時よりも嬉しいかも」
特大ハンバーガーの最後の一口をポンと口の中に放り込み、包み紙をクシャクシャと丸めながら康太は本当に嬉しそうに目を細めた。
「そうなんだ……。でも、あたしは複雑な心境だよ。だって、松桜辞めることも、北高の受験のことも、ドイツに行っちゃうことも。何にも教えてくれなかったんだもん。こうちゃん、冷たいよ」
沙紀は自分の手の中にあるチキンバーガーの断面をじっと見詰めながら、言いようのない虚しさに頬を膨らませている。
「沙紀……。ごめん。悪かった。でも、言えなかったんだ。ドイツに行くこと……。これが言えないから受験のことも言い出しにくかったってのもある」
「そっか。そりゃあ、ドイツに行くってことは、つまり、日本の学校には通えなくなるってことだから、松桜は辞めなきゃ、だよね」
「ああ。けど、沙紀がどう思っているのかは知らないけど、北高は、ドイツ行きのあるなしにかかわらず、受験するつもりだったんだ」
「えっ? どうして? 」
「サッカーだよ。俺はどうしてもサッカーがやりたかったんだ」
「サッカー? いや、待って。今だって松桜でサッカー部だよね。別に北高じゃなくてもできるわけだし」
「それがそうでもないんだ。松桜じゃ、対外試合もほとんどないし、練習も週に二回ほどだし。なんか物足りなくて」
「そうだったんだ。あたしはてっきり、その……おじさんが、お仕事辞めちゃったから、学校も替わるのかと」
「沙紀もそう思った? 俺の親は、今もまだそれが理由で俺が気を利かしたと思ってるみたいだけどね。何度違うって言っても信じないんだ。けどな、沙紀。多分来年か、遅くても再来年には、俺、向こうに行かなくちゃなんないかも」
沙紀は手に持っていたチキンバーガーをトレーに戻し、康太の話を一言一句聞き漏らすまいと、彼の声に集中する。
「沙紀にこのこと話したら、すぐにでもドイツに行くことが決まりそうで、怖かったんだ。そうなったらサッカーどころじゃないけどな。友達とも離れ離れさ。もちろん沙紀とも、もうこうやって会うことすら……できなくなる」
本当だったんだ。康太が日本からいなくなってしまうことは。
もうすぐこうやって会えなくなる日が来る。
交換日記も出来ない。
沙紀はじっと見詰めていた自分の指先がだんだんぼやけて見えなくなると、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
あこがれの北高の合格証書を手にした最高に幸せなその日に、沙紀の今まで生きてきた人生の中で一番悲しい出来事に遭遇してしまう。
運命のイタズラなんて言葉で片づけるなんてことはできないくらい、あまりにも深く傷ついてしまった。
「さ、沙紀。泣いてるのか? 」
康太があわててタオル地のハンカチをポケットから出し、沙紀に渡す。
「これで拭いて」
「あ、ありがとう。で、でも、寂しいよ。そんなの嫌だよ。ドイツなんか行かないでよ……」
沙紀は康太の匂いのするハンカチを目に当てながら、尚もぐすぐす泣き続ける。
みんなが見てるし、康太も困っている。
だからこれ以上泣くのは辞めよう、と思っても、そう思えば思うほど、余計に泣けてくるのだ。
これではまるで、恋の終焉を迎えた中学生カップルの修羅場じゃないかと疑われても仕方がない状況だ。
完全に周りの視線は、康太が百パーセント悪者であるかのように冷たい。
そうじゃない、近い未来に起こりうる悲しい現実に打ちひしがれているだけなのに、と思っても、涙は止まらないし、見知らぬ人に理由を説明するわけにもいかない。
康太も居たたまれなくなったのだろう。
「沙紀、出よう。場所を変えよう。な? 」




