27 サプライズ
「ねえねえ、こうちゃん。一体何がどうなってるのかさっぱりわかんないよ。お願いだからあたしにわかるようにちゃんとわけを教えて! 」
納得がいかない沙紀は康太のブレザーの裾を引っ張って、歩みを制止した。
「わかったよ。それ以上引っ張るな。じゃあ、何から言えばいいでしょうか、お沙紀さん」
康太は沙紀の方に向き直り、おどけた口調てそう言った。
にしてもお沙紀さんって。いつの間に江戸時代にタイムスリップしてしまったのか。
「まずは、さっきの北高の封筒のこと。早く届けなきゃ。落とした人が困ってるよ」
康太はもう一度取り出した封筒を沙紀の目の位置まで持っていき、右上に書かれている名前を指し示しながら読み上げる。
「よしのこうた……。ちゃんと俺の名前が書いてあるだろ? だから俺の合格書類ってわけ」
「んもう、何言ってるのよ。そんなわけ、な、い……って…………」
沙紀は、その文字をよーく見てみた。確かに。書いてある。吉野康太と。
いやいや。そんなわけないよとばかりに、もう一度目をしっかりと見開いてその文字を読んでみた。
「よ、し、の、こ、う、た。書いてあるね、こうちゃんの名前。あははははは……」
沙紀は力なく笑うしかなかった。
「そうだ。俺、四月から北高生になる。前の推薦入試で合格したんだけど、俺達も今日、書類をもらう日だったんだ。どう? かなりのサプライズだろ? 」
沙紀は口をぽかんとあけたまま、康太の顔と封筒を交互に見た。
なるほど。とんだサプライズだこと……。
それでもまだ沙紀は、そんな夢みたいな不思議な話が信じられるわけもなく。
「おい、沙紀。 大丈夫か? 」
康太が沙紀の顔の前で何度か手を振ってみせる。
「あっ……。は、はい。だ、大丈夫だよ」
突如我に返った沙紀は、自分をのぞき込む康太の顔があまりにも近くにあるのに驚き、あわてて後ろに身を引いた。
「そんなに驚かなくてもいいだろ? 俺が一緒じゃ……嫌か? 」
沙紀は違う違うと一生懸命首を横に振った。
「ホントに? また昔みたいに、北高行くのやめた! とか思わない? 」
「そんなわけない。絶対にない。ただ、びっくりしただけ。だって、だって、こうちゃん。松桜は? そ、それに……」
ドイツは? と、喉のすぐ近くまで言葉が出掛かっているのに、やっぱり言えないのだ。
「松桜は今月で辞めるよ。だから高校は沙紀と一緒だ。でも偶然なんだ。おまえが北高受けるって知った時には、俺はすでに推薦入試の願書をもらってたからな」
沙紀は康太が今ここにいるからくりが少しだけわかったような気がしてきた。
それはやはり、ドイツのことがからんでいるんじゃないかと。
彼の父親が仕事を辞めてドイツに行くということは、つまり、今までのように会社から給料がもらえなくなるということだ。
沙紀は、康太が私立の松桜を辞めた理由がきっとそのせいなのだと子どもなりに理解した。
私学の学費は公立に比べてかなり高いというのも、このたびの高校受験を経験して、初めて知り得たことでもある。
「なあ、沙紀。なんでそんなにしょぼくれてんの? やっぱ俺と一緒じゃ嫌なんだ……」
「ち、ちがうよ。嬉しいよ。嬉しいんだけど、でも……。いつまで一緒に通えるの? 」
「いつまでって……」
康太の顔色が瞬時にして変わった。
「こうちゃん。もうちょっとしたら、日本からいなくなっちゃうんでしょ? 」
康太が口を閉ざしたまま身体を翻すと、再び駅に向って歩き始めた。
どれくらいそうやって歩いていたのだろう。
もう駅前のスーパーがすぐそこに見えてきた。
もしかして聞いてはいけないことだったのだろうか……。
康太の背中が無言の抗議をしているようで、沙紀はそれ以上何も聞けなくなってしまったのだ。
高架をくぐり、線路の南側に出た所に改札口がある。
康太が買ってくれた切符を黙って受け取り、沙紀は行き先もわからないまま電車に乗り込んだ。
車両内のドアの前に立った沙紀と視線を合わせると、康太がふっと笑った。そして。
「そっか。ドイツのこと、知ってたんだ……。そのことも含めて後で全部話すから」
「こうちゃん……」
彼はさらりとそんな悲しいことを言う。
ああ。やっぱり本当のことだったのだ。彼はドイツに行ってしまうのだ。
「そうだ、沙紀。家に連絡した? 合格のこと」
「うん。手紙読む前に、高校の電話ボックスで」
「なら問題はないな。今から大森台まで行く。沙紀の好きなチキンバーガー、一緒に食べよう」
「大森台って。あのハンバーガーショップ? 」
大手チェーン店とは違った、個人のお店がやっている小さなハンバーガー屋さんだ。
康太の母親である夏子先生が時々買ってきて、お裾分けしてくれる。
「ああ、そうだ。だから今日は俺に付き合って。……いいだろ、たまには俺とデートすんのも」
沙紀の耳元をくすぐるように、腰をかがめた康太の声が優しく響く。
そういえばデートなんて初めてだよな……とおぼろげに康太の言葉を繰り返していた沙紀だったが。
その意味を理解したとたん、沙紀は真っ赤になって俯いてしまった。




