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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第三章 メンデルスゾーン 無言歌集より 春の歌
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26 ポプラ並木

 相崎沙紀様


 北高合格おめでとうございます。(多分合格だよな) 

 今からちょっとしたサプライズを用意しています。

 すぐに北高の校門前に来てください。

 必ず一人で来るように。

 吉野康太



 沙紀はそこに書いてある短い文章に釘付けになった。


 サプライズ。

 校門前。

 一人で来るように。


 この三つのキーワードが沙紀の頭の中を何度も行き来する。 

 そしてあたりを見渡した。

 他校の生徒が数人いるだけで、沙紀の見覚えのある人物は視界に入って来ることはなかった。


 もう一度、康太の書いた文章を読んでみる。

 一字一句見逃すことのないように、ていねいに読み解く。

 が、しかし。何度読んでも同じだった。文章が増えることもないし、減ることもない。

 紙を裏返しても何も書いていないし、小さな封筒の中も細工はされていなかった。


 沙紀は正直なところ、がっかりしていた。

 ありえないことかもしれないが、実はもしかして……と、あることに期待していた。

 合格発表までは絶対に見るなと言っていたあの夜の、康太の幾分はにかんだような横顔が印象的で、このお守りの中身がラブレターに近い物ではないかと予想していたのだ。

 実際はこのような短い手紙で、意味不明な内容だったことに落胆を隠せない。

 沙紀は、あまりにも事務的なこの文面に、かなり志気をそがれていた。

 校門前? ならばそこに康太が待っていて、合格おめでとうとでも言ってくれるのだろうか。

 でもそのためだけにわざわざここまで来るなんてことは、まず考えられない。

 今日も康太は普通に松桜学院に登校しているはずなのだから。


 もしかして……。不合格だった時のために親が手を回していたとしたら。その可能性も捨てがたい。

 康太がドイツに行ってしまうと立ち聞きした日から今日までの期間、沙紀が激しく落ち込んでいるのを入試への不安だと誤解した両親が、娘を励ますために康太を使ってこんなことをしくんだのでは、とも考えられる。

 沙紀はさまざまな場面を想定してこの後の展開に備えることにした。

 でももし文面どおり康太が校門付近で待ち伏せしているとすれば、それはそれで願ったり叶ったりなのかもしれない。

 彼に合格の喜びを一番に報告できるなんて、これ以上の幸せはない。

 それにドイツ行きのことを問いただすチャンスでもある。

 沙紀はどこか腑に落ちないままグラウンドを横切り、足早に校門を目指した。

 

 校門の両脇にはポプラ並木がある。

 とても古い木だ。

 学校創設時から植えられているというから、すでに五十年以上は経っている。

 葉がすべて落ち、まだ寒そうに幹がむき出しの状態ではあるが、沙紀が秋に学校見学に来た時にはそれは見事な黄金色に輝いていた。

 スペードの形をした葉を数枚拾って、その時持ち合わせていた歴史資料集にはさんで持って帰ったのだ。

 そのうちの一枚を康太との一番最近の交換日記のページに貼り付けた。

 合格しますようにとの願いを込めて。


 校門付近をきょろきょろと見渡してみたけれど、沙紀の想い人の姿などどこにも見当たらない。

 やっぱり、違ったんだ。本人がこんなところまで来るなんてことは絶対にありえないよね、と自嘲気味に作り笑顔を浮かべ、ため息をついた時だった。

 七、八メートルくらいの間隔を空けて植えられている校門から西に三本目のポプラの木の幹に、もたれるようにして誰かを待っているような人影が見え隠れする。

 沙紀ははっとしてその人物を注視すると、そのよく知る人のもとに一目散で駆け寄って行った。

 彼の出現がたとえ親の差し金であったとしても、今はそんなことを言ってる場合ではない。

 素直に嬉しかった。康太がそこにいることが本当に嬉しかったのだ。


「よお。その顔は合格だな。……おめでとう」

「あ、ありがとう……」


 よく知っているはずの康太が、全く違う人物に見える。

 一目で松桜学院の生徒だとわかる緋色のブレザーとストライプのネクタイを身につけ、沙紀に特上の笑顔を向けてくれているその人は、まぎれもなくいつもの康太であるはずなのに……。

 これまできちんと制服を身にまとった彼を目にすることがほとんど無かったせいか、その姿はとても新鮮で、尚且つ何度も繰り返し眺めてしまいそうになるほどカッコよく映った。


「あたし、なんとか合格出来たみたい……。で、でも、こうちゃんこそ、どうしてここにいるの? 」

「どうしてだと思う? 」

「わかんないから訊いてるんだし」

「あのお守り、見てくれたんだ」

「そんなの見たに決まってるよ。ちゃんと約束守って、ずーっと見たいのを我慢して我慢して。やっと今手紙を読んで、慌ててここまで来て。なら本当に本物のこうちゃんがいて。もう、何がなんだかわかんないよ」

「そうか、それは悪かった」


 どこか楽しそうに声を弾ませている康太がにっこりとしながら沙紀を見下ろしている。


「ねえねえ、どうして? なんでこうちゃんがここにいるの? 心配して見に来てくれたの? もしかしてうちの親の差しがね? こうちゃんの学校は? 創立記念日? こんなところにいてもいいの? 」


 沙紀は息つく暇もないほど、康太を質問攻めにする。


「ははは……。そんなにびっくりした? 俺の期待通りだ。ああ、よかった。もし沙紀に驚いてもらえなかったらどうしようってそればかり考えてたよ。なあなあ、沙紀。これ見て! 」


 康太が沙紀の目の前に突き出したのは、北高の校章が印刷された大き目のグレーの封筒だった。

 沙紀ははっと息を飲み、自分のカバンの中にある封筒を覗き込んだ。

 同じ物がちゃんと入っている。沙紀が落としたわけではないようだ。


「私のはちゃんとあるから。誰が落としたのかな。早く事務室にでも届けてあげなくちゃ」


 今ごろ落とした本人は青ざめているかもしれない。

 沙紀は康太の手にある封筒を受け取ろうとしたのだが、彼は再び自分のカバンの中にそれを入れてしまった。

 ええ? いったいどういうことだろう。後で彼自身が届けに行くのだろうか。


「まっ、そういうわけさ。さあ、行こう」


 康太がいきなりそんなことを言うものだから、沙紀はあわてふためくことしかできない。


「ど、どこに行くの? バス停はそっちじゃないよ! っていうか、いったいどういうこと? 」


 家に帰るのとは正反対の方向に行こうとする康太を沙紀は必死になって引き止める。


「いいから。黙って俺に付いてくればいい。電車に乗るぞ」

「電車? 」


 電車の駅まで歩くとここから二十分ほどかかる。

 翠台中の生徒はほとんど誰も電車は利用しない。バスの方が便利だからだ。

 なのにどうして電車なんだろうと沙紀は訝しがってみるが、康太は何食わぬ顔で駅に向かって颯爽と歩いていく。


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