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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第二章 ベートーベン ピアノソナタ 悲愴
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22 康太と伊太郎     

康太視線になります。

 年が明け、推薦入試の朝を迎えていた。緊張しているのか、いつもより早く目がさめた康太はベッドの中で窓の方に視線を向けた。

 窓の向こう側のもう一つの窓の奥で、沙紀が眠っている。

 窓や壁が無ければ、手を伸ばせば届きそうなすぐそばに康太の想い人がいるのだ。

 出来ることなら沙紀にひと目会ってから受験会場に行きたかったのだが、そんなことをすれば北高受験がばれてしまう。

 何度本当のことを言ってしまいそうになったことか。

 必死で堪えて今日まで過ごして来たのだ。あと一ヵ月後の一般入試の日までの我慢と自分に言い聞かせて、沙紀への思慕の情を心の奥底にしまいこんだ。


 北高の受験には二種類の方法があって、そのひとつに二月の初旬の推薦入試がある。

 その日が今日だ。

 部活で優秀な成績を修めた者や、生徒会やボランティアで活躍した者。

 あるいは、文句なしの学力優秀者や、一芸に秀でた者などが有利になる受験だ。

 康太はこの推薦入試にかけてみることにした。

 十二月の模試ではなんと一位になり、手ごたえを感じてもいた。

 迫り来る入試の時刻にますます緊張感が高まりながらも、気持ちを引き締めるため玄関側の窓を開け、冷たい朝の空気を吸い込み、何気なく外に目をやったその時だった。

 右隣の家の玄関ドアが開き、中から沙紀が出てきたのだ。

 康太の心臓がトクっとひとつ跳ね上がる。

 外から見えないように少し部屋の中に下がり、そっと沙紀の姿を追った。


「急がないと早朝学習会に遅れちゃう! じゃあ、行ってきまーす」


 康太の視線に気づくことはないまま沙紀はいつものように元気よく家から駆け出していく。

 その時、沙紀の背中に天使の羽のような白い物が見えたような気がした。

 ふわりと身を翻し、凍てついた朝の空気を融かすような、とびきりの笑顔をそこに残していく……。

 康太は、彼女の笑顔に出会えただけで、もう充分だった。


 午前中の教科テストも無事に終わり、後は昼食後の面接を残すばかりだ。

 難問もなく、どれも完ぺきに解けたと思う。沙紀に借りたあの問題集の威力は断トツだった。

 昼の休憩タイムになり、様々な中学の制服を着た面々が康太を好奇の目で見ているのだ。


「ほら、見て。あの制服。松桜だよね」

「あの子、松桜じゃない? 」

「なんで、松桜の子がいるの? 」


 誰もが不思議そうに康太を遠巻きに見て通り過ぎていく。

 その時、教室前方のドアのところから誰かが声を掛けてきた。


「あれ? 吉野? 吉野康太か? 」


 素早く走り寄り康太の前に立ちふさがる人物は、やはり困惑の表情を浮かべている。


「伊太郎か? おうっ、久しぶり! もしかしておまえも北高? 」


 その人物は、康太の小学校の同級生、山本伊太郎だった。


「ここにいる連中は皆北高に決まってるだろ?……っていうよか、おまえ。なんでここにいるんだよ? 」


 小学生時代に同じサッカーチームで全国大会への切符を手にした二人が思わぬ再開を果たしたのだ。

 康太は黙ったままニヤリとした。


「えっ? 康太、おまえ、もしかして。松桜クビになったのか? 」

「ああ……。ちょっとやらかしてしまって……」


 真顔で訊ねる伊太郎を少しからかってやろうと、康太は話を合わせて、わざとしょげてみせる。


「いったい何をやらかしたんだ? 勉強がハードすぎてついていけなかったとか? それとも校則違反か? 」

「……クックックッ! 」


 いつまでも騙され続けている伊太郎に思わず笑いがこみ上げてきて、もうこれ以上耐えられなくなっていた。


「あははは! 悪い悪い。別に学校をクビになったわけじゃないんだ。どうしてもここでサッカーがやりたくて……。本気でサッカーに打ち込みたかったんだ。そのためならこうやって受験しなおすしかないだろ? 松桜ではサッカーをやるにも限界があるしな」

「なんだ。そうなのか。ってことはまたおまえと一緒に組めるってことだよな? 夢みたいだな。まさかおまえが北高受けるなんて、今の今まで知らなかったし……」 

「当然。誰にも知られないように、こっそり受けたんだから。でも今日でバレちまったな」


 沙紀に知られるのも時間の問題かと思われたのだが……。


「誰にも言ってないのか? ……そうか。で、あとは面接だけだな。お互いがんばろうぜ」


 伊太郎は何か考えているような様子で康太の顔を見ていた。 


「なあ、伊太郎。おまえたしか、相崎沙紀と同じクラスだよな? 」


 突然の康太の問い掛けに、伊太郎は目を見開いた。


「ああ、そうだけど。それが何か? 」

「俺、実はあいつにもここの受験のこと言ってないんだ。結婚してるのに、不思議だろ? あいつ、ずっと実家に帰ったままで、別居が続いて……」

「お、おい。まだそんなこと言ってんのか? あの時は悪かったよ。俺も幼かったんだ。もう勘弁してくれよ」


 康太は小学校の時の伊太郎の仕打ちを忘れはしない。

 けれど、沙紀があれほど落ち込んだにもかかわらず、康太は意外と平気だった。

 というよりも、そんなに悪い気はしなかったと言うのが本当のところだ。

 今になって思えば、もうあの頃から沙紀のことが好きだったのだろう。

 噂を立てられて、嬉しいと思う自分がいたのだ。


「ごめん、ごめん。ついあの事を思い出してしまって。許せ、伊太郎。で、いろいろあって受験のことは松桜から口止めされてる。だからあいつには黙っていてくれるか? もちろん、他の同級生にも」

「ああ、わかった。誰にも言わないよ。もうあの頃の俺じゃないんだから。任せてくれ」

「ありがとな、伊太郎。じゃあ、午後も面接、頑張ろうぜ」

「ああ、絶対に一緒に合格しような。そして、サッカー、やろうぜ」

「おうっ! 」

 

 面接の始まりを知らせるチャイムがなり、伊太郎は再び自分の待機場所へと戻って行った。


 数日後康太のもとへ通知が届き、沙紀よりも一足早く北高の合格切符を手に入れることになった。

 伊太郎も合格したと聞いた。

 康太は四月からの新生活に期待と希望と、そしていずれ他国へ渡ってしまうかもしれない不安を抱きながら、静かに沙紀の受験を見守っていた。


 

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