21 カタオモイ
「えへへへ。あたしいったいどうしちゃったんだろう? 泣いたりしてごめん……」
泣いたのが恥ずかしくて、ごまかすように笑ってしまう。
「こっちこそ、ごめん。俺が泣かせてしまったから」
「こうちゃんのせいじゃないって。あたしが、一人で思い悩んでただけ。こうちゃんが誰と付き合おうが、誰かを好きになろうが。どんなことがあってもこうちゃんは、こうちゃんだしね」
「ああ。でも俺は、さ……」
「んん? 」
「あ、いや、何でもない」
何か言いたそうにしていたけど、結局康太はそれ以上、何も話してはくれなかった。
「変なこうちゃん。でももうあたしは大丈夫だから。なんか、すっきりしちゃった。おっと、大変だ。暗くなってきたね。そろそろ帰ろっか」
「そうだな。もう夏も終わりだな。日暮れが早くなったから」
「うん。それじゃあ、あたし、先に帰るね……」
沙紀は泣き顔を康太に見られたのがことのほか気まずくて、視線を合わせないまま立ち上がった。
別々に帰るのも、暗黙の了解。
付き合ってもいない康太と一緒のところを誰かに見られて、噂されることだけは避けたい。
「おい、沙紀! 待てよ」
「何、こうちゃん」
帰りかけたその時、康太のストップがかかる。
「なあ、たまには一緒に帰らないか? 別にこそこそする必要なんてないだろ? 俺たち……」
「ま、まあ、そうだけど。親に見られなければ、別にかまわないけど……」
どういった心境の変化だろう。沙紀は少し驚いたが、康太が一緒に帰ろうと言ってくれたのだ。悪い気はしない。
康太と並んで歩くのは何年ぶりだろうか。沙紀はドキドキする胸の鼓動を気付かれないようひたすら隠しながら、康太の歩調に合せて歩く。
知らない間ににやけてしまう自分にとまどいながらも、時折り口元にギュッと力をいれて彼に悟られないように注意する。
途中知らない人に「兄弟ですか? 」と声を掛けられ、少なからずショックを受けた。
やっぱり康太とは二人で並んで歩いていても、当然のごとく、恋人同士に見えないようだ。
落ち込む沙紀をよそに「はい、そうです」と声高らかに返事をする康太をはっとしながら沙紀は覗き見る。
なんで、はいそうです、なのか。
あたしたちはキョウダイなんかじゃないよ、と訂正したい衝動に駆られる。
恋人同士が無理ならば、せめて友人だと説明して欲しい。もう黙っていられない。
「ち、違います! あたしたち……」
と、せっかく弁明を開始したというのに。
「雑種なんですけど」
何と言うことだろう。康太はあたしたちは兄妹だと認めた上に雑種扱いまでするなんて。ところが。
「右側のコロが兄で、こっちのポチが弟です」
「そうですか。よく似てるから、きっと兄弟だろうなって思っていたんですよ。この頃は涼しくなったから散歩も楽ですね」
「はい」
「それじゃあ。さようなら」
「さようなら」
知らない人が笑顔で去って行く。その人もやっぱり犬を連れていて……。
そうなのだ。それは犬の散歩仲間のすれ違いざまのあいさつの一環だったのだ。
「沙紀……。おまえまさか、俺達が兄妹って言われたとでも? 」
「ち、ちがうよ! そんなわけないじゃん。あははは……」
本日二度目の沙紀のごまかし笑いが、夕暮れの川沿いの道に虚しく響き渡った。
沙紀はさっきから気になっていることがあった。
康太がなぜ美ひろの告白を断ったのかということ。今なら聞けそうな気がする。
いくら美ひろのことが好きでなくても、嫌いでないのなら普通付き合っちゃうでしょうと思ってしまう。
翠台中学イチの美女と噂されている美ひろからの告白だ。なんともったいないことをするのか。
でも、それもこれも康太が断ってくれたからこそ、のんきにそんなことが言えるのであって……。
ではいったい、どういう理由で断ったのかが気になる。他に好きな人がいるのだろうか。
真実が知りたい。沙紀は意を決して話を切り出した。
「ひろちゃんって、ほんと勇気があるよね。今回のことで見直しちゃった。あたしなんか好きな人がいても告白なんて出来ないよ……絶対に」
「俺もそんな勇気ないさ。女子の方が精神面も強いんじゃないのか? 」
「そっかな。……ねえ、こうちゃん。どうしてひろちゃんのこと、断ったの? ひろちゃんってさ、学校イチの美人だし、優しいし。どこにも断る理由なんてないと思うけど」
ただ聞いただけなのに、沙紀の心臓はドクドクと大音量で早鐘を打ち始める。
「そう……だな。確かに、昔から人気者だよな。でもな、だからって、好きになるとは限らないし」
「でも、付き合って行くうちに、好きになるってこともあるだろうし。もしかして、こうちゃんには、その、誰か好きな人がいるのかな、なーんちゃってね」
言ってしまった。もし好きな人がいるのなら。
それはそれで大問題だ。ここはいないと言って欲しい。
「沙紀の予想が当たってるかも。俺はその誰かさんに片想い中。だから断った」
「そ、そ、そうなんだ」
沙紀は瞬時に力を無くし、ガックリ項垂れる。
でもそんなところを康太に見られるわけにはいかない。
直ちに姿勢を正してより一層、軽やかに歩き始める。
そりゃあそうだ。沙紀が康太を好きなように、康太だって誰かを好きなのはあたりまえのこと。
必死になって自分に言い聞かせるのだが、やっぱりショックは隠せない。
こんなことなら聞かなければよかった。知らない方がよかったのにと、自分の浅はかな行動を悔いる。
どうかこのまま康太がどこかの誰かさんに告白する勇気を持たないでくれますように……と心の中で祈ることしかできない。
コロにひっぱられるようにして、康太が小走りになる。
そしてそのコロを追いかけるようにしてポチが駆け出したのだが……。
ポチのリードを引いていた沙紀は突然の痛みに地面にしゃがみこんでしまった。
右膝の鈍い痛みだ。
沙紀は一学期までは陸上部の短距離選手として活躍していたのだ。それも市内の中学生記録を所持したこともあるほどの選手だったりもする。
ところが七月の中学最後の大会で膝を傷めて以来、時折痛みを感じ、ひどい時には歩くのさえ困難になってしまうことがあった。
自分でも認めたくないこの事実を他人に知られたくない。康太にはもっと知られたくなかった。
その後すぐに三年生は部活を引退したので、学校の顧問や担任は彼女がいまだに膝の故障を抱えたままであることは知らないのだ。
沙紀も両親にはもう治ったと嘘をついていて、通院も辞めている。
そ知らぬふりで通学しているのだ。
「おい、沙紀! どうしたんだ? 」
後方でうずくまっている沙紀を見て心配そうに康太が駆け寄って来た。
「ああ、こうちゃん。大丈夫だよ。ポチのリードが足にからまっちゃって」
どうにかその場をうまく取り繕って、何でもないよと笑顔で康太に話す。
「沙紀はいつまでたってもドジだな。ポチは誰かさんに似て、お転婆ワン子だからな。ってポチは男の子だからワン男か。ご主人様を困らせちゃだめだよ。おいでポチ……さあ、いい子だ」
康太はかがみこんでポチの頭を撫でてやると、沙紀からリードを受け取り二匹をうまく操りながら歩き始めた。
今回の痛みはひどくはなかったようだ。
沙紀はすっと立ち上がり少し足踏みして足の調子を確かめると、よしっ、と気合を入れ直し、康太のところまで駆け寄って行った。
あと少しで家の前に着く。二人で並んで歩くのもここまでか、と思ったその時だった。
康太の家の前の門灯が逆光になり、そこにいる人物の顔がよくわからなかったのだが、聞きなれた声が二人の耳に届くや否や、それ以上先に進めなくなってしまった。
「沙紀、おかえりなさい! なかなか帰って来ないから今迎えに行こうと思ってたのよ。こうちゃんと一緒ならそう言ってくれればよかったのに、ふふふ……」
春江が意味ありげな笑いをまじえながらそんなことを言う。
「う、うん……。河原でたまたま一緒になっちゃって……。ねぇ、こうちゃん? 」
「ああ……そうなんだ。たまたま一緒になったんだ。……ってなんでうちの親までいるんだよ? 」
春江が立ち止まって話していたのは夏子だったのだ。
「あのね相崎さんちもお父さんの帰りが遅いんだって。だから夕飯を一緒にって誘っていただいてたの。私もさっきまでレッスンがあったでしょ? 何も夕飯の用意ができてなかったから助かるわって話してたのよ。ふふふ……。たまたま一緒になったお二人さんの帰りが遅いのでちょうど心配してたところ。あなたたち、たまたまの割には、とても仲良くご帰還だわね」
たまたまをやたら強調する二人の母親に言い返す言葉も見つけられず、黙ったまま康太からポチのリードを受け取る。
これから沙紀の家の食卓で繰り広げられるであろう遠まわしのひやかしの試練に、ただただ恐怖心を抱くばかりだった。




