20 助けて、宇宙人
沙紀視点になります。
沙紀はベッドの上で枕を抱えて寝転がり、うんうん唸っていた。
時計を見ると五時過ぎ。まだ隣人が帰宅した気配がないところを見ると、今ごろちょうど美ひろとバッタリ会って告白を受けているのかもしれない。
今日学校で美ひろが決意表明をした。ダメもとで、康太に告白すると。
そして結果がどうあれ、明日からは受験勉強に専念する……とそれはもう見事なまでにきっぱりとした態度で言い切った。
沙紀はこれまで自分の方がしっかりしてて、言いたいことは包み隠さず何でも言うタイプだと信じて疑わなかったのだが、今日ばかりは美ひろの毅然とした態度が頼もしくかっこよく見えた。
「がんばってね! 健闘祈る! 」なんて、心にもないエールを送って校門で別れたのだが、家に帰り着いてからは、机に向かってみても勉強がはかどるはずもなく、沙紀は二人の状況が気になってこうやってベッドの上でのた打ち回っているというわけだ。
「康太のヤツ。今ごろきっと、ひろちゃんの告白に鼻の下を伸ばして、ニヤついているんだろうな。あああ、なんでこんなことになってしまったのかな。夕べ、あたしもこうちゃんが好きだって言えばよかった。そしたら、ひろちゃんだって、こんなに急に告白するなんて言わなかっただろうし。もうだめだ。この世の終わりだよー! 今すぐ、宇宙人が地球を占領して、人類皆、外出禁止にしてっ! そしてひろちゃんとこうちゃんが出会わないようにしてください! 宇宙人様、どうかお願いします……」
枕で口元を押さえつけながら、もごもごと独り言をつぶやく。
沙紀は自分がどれほど康太のことが好きだったのか、今ごろになって嫌と言うほど思い知らされる。
時すでに遅しなのだが、往生際の悪い沙紀は、最後は宇宙人にまで助けを求める始末だった。
泣きたい気分で枕に突っ伏していた所に、窓をつつく無粋な音が沙紀の部屋に響く。
康太だろうか?
沙紀はベッドから飛び起きると忍者のごとく素早く窓を開けた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……。今いいかな? 」
長袖のカッターシャツを肘のところまで折り曲げ、首もとのネクタイを緩く結んだ制服姿の康太が肩で息をしながら沙紀に話しかける。今帰ったばかりのようだ。
「うん、いいよ。窓越しじゃなんだから。よかったら、こっちに来る? 」
きっと美ひろのことだ。そんなデリケートな内容を窓を介して話すなどもってのほか。
ここは誰にも聞かれないように慎重に事を運ぶ必要がありそうだ。
「いや……。いつもの河原で会いたい」
「そっか。わかった。昨日のあそこだね。じゃあ、後で」
沙紀は急いでジャージに着替えると、ポチを連れて散歩に行くと春江に言って、あわただしく家を出た。
河原には夕暮れがせまっていた。
土手のセイタカアワダチソウが花芽を付けて、背丈をぐんぐん伸ばし始めている。
そこから下を見下ろすと、もうすでに康太がコロと一緒に河原を走り回っているのが見えた。
沙紀もかなり早く家を出たつもりなのに、康太の素早さにはまたもや完敗だった。
ポチの鳴き声に気付いた康太は沙紀の立っているところまで駆け上がってきて、コロと共にセンダングサの繁みの傍に腰を下ろした。
さっき見た時と同じ制服のままの康太は、どこかまぶしくて、肩が触れ合うかどうかの至近距離にいながらも、沙紀はなかなか彼を凝視できないでいた。
ネクタイだけはずされた胸元に汗が滴って光っているのが見えた瞬間、沙紀の心臓がドクっと大きく脈打つ。
「……今日、青山に会った」
ふいに降ってきた康太の声に、再び沙紀の心臓が暴れ出す。
やっぱり、美ひろのことみたいだ。
「ふーん。そうなんだ……」
沙紀はとうとう来たなと思いながらも、いかにも今初めて聞きましたというようにしらばっくれて答えた。
「ふーんって。なあ沙紀、青山から何か聞いてるんだろ? 」
康太の鋭い視線が突き刺さる。沙紀は康太の洞察力にはいつも舌を巻いているのだ。
今日も間違いなくやりこめられそうだ。
「い、いや、別に……。あっ、そうだ! こうちゃんに彼女がいるかどうか聞かれた……かな? 」
あまりの重圧感につい沙紀の口が緩んで、夕べのことを全部しゃべってしまいそうになる。
「それで? 」
まだ、これくらいではダメらしい。
「多分だけど。こうちゃんには彼女はいないと思う……って言っておいた。間違ってないよね? 」
「まあな。それで? 」
ま、まだ、説明不足とでも? もっといろいろ言わないといけないのだろうかと、沙紀は焦り始めていた。
「……それだけ、だよ。本当にそれだけ……」
沙紀は、康太のいる方向とは全く反対の方を見ながら、上ずった声で小さく返事した。
すると康太の手が沙紀の両肩を捕らえ、彼の方に向かせて尚も尋問が続く。
「ねえ、沙紀。こっち向いて……。青山にがんばって告白しろとか、応援するからとか言ったんじゃないのか? えっ? どうなんだ! 」
図星だった。そのとおりだ。沙紀は観念したように、康太を上目遣いで遠慮がちに見ると、コクコクと何度も頷いた。
「やっぱりな……」
がっくりしたように沙紀から手を放した康太は、今度は彼がそっぽを向いて、小さい子どものようにセンダングサの黄色い小花をちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返し、拗ね始めた。
沙紀も負けてばかりはいられない。
「友だちなら、それぐらいのこと、誰だって言うよ。……多分」
口をとがらせて精一杯言い訳をするが、沙紀だって、言いたくて言ったわけではない。
本当なら美ひろに、がんばってとか、健闘祈ってるなんて言いたくなかったのだ。
「それじゃあ俺は、沙紀に対して悪いことをした訳だ。残念ながら青山の気持ちには応えられなかったよ。あいつのことは好きでも嫌いでもないし、なんとも思ってない……。おまえの大事な友だちの期待に添えなくて悪かったな。それでも沙紀は青山のために手を貸すのか? 俺にあいつと付き合えって言うのか? 」
康太が怒っている。声を荒げることもなく、感情の起伏を一切表に出さずに一気にしゃべり続けるその態度こそが、彼の最大限の怒りの表れなのだ。
康太は何もわかっていない。
沙紀が美ひろの告白宣言で、どれだけ悩んだかなんて、康太には永久にわからないのだから。
「あたしが夕べ、どんな気持ちでいたか、こうちゃんにわかる? ひろちゃんの思いが実って欲しい気持ちと、こうちゃんがどこか遠くに行ってしまうような不安な気持ちとに挟まれて、悲しくて、辛くて、涙が溢れて。夜も眠れなくて……。ひろちゃんはあたしのこと信じて全てを話してくれたのに……。あたしったら口先ばかりで、本当はひろちゃんにこうちゃんのこと取られてしまうような気がして、寂しくて、悔しくて、どうしようもなくて……」
沙紀は自分がいったい何を口走っているのか、何が何だかわからなくなっていた。
話せば話すほど口からこぼれ出るのは、康太への深い思いばかりだ。
涙は次々と滝のように溢れるし、鼻はぐしゅぐしゅになるし……。
結果的には昨夜から思っていたことを、涙とともに全部吐き出すようにして康太にぶちまけているだけなのだが、客観的にみれば、沙紀の言っていることは充分に康太への愛の告白だったりする。
普段あまり弱みを見せない沙紀が、あまりに泣きわめくものだから、康太はオロオロするばかりで、ほんのわずかたりとも告白の真髄に気付かないようだった。
「おい、沙紀。泣くなよ。わかったよ、わかったから。昨日も言ったけど、俺は沙紀のそばから離れないから。他の誰かに取られるなんてことも、ありえないから」
康太の手が沙紀の背中に添えられて。
優しくなでてくれる。
泣くなよ。俺はずっとそばにいるから。と繰り返しささやきながら……。
沙紀は嬉しかった。美ひろには申し訳ないが、自分に味方をしてくれた姿の見えない宇宙人にちょっぴり感謝したくなって、涙を拭い見上げた茜色の空に、ありがとうと心の中でそっとつぶやいた。




