19 同級生
康太視線になります。
色とりどりのリュックや手提げカバンを持った学生が、定期を片手に駅の改札に押し寄せる。
サラリーマンの帰宅ラッシュの時刻にはまだ早いが、翠台には五つの小学校と二つの中学を抱えるほどの人口があり、近隣の町にもバス便で繋がっているため駅の乗降客は沿線中でも特に多くなっている。
今日は楽しみにしていたサッカー部の練習の日だったが、野球部の試合が近いため運動場の割り振りがサッカー部に回って来ないという理不尽な仕打ちを受けた。
せめて空いているスペースで自主練をしたいと申し出たが、顧問も不在ということで呆気なく却下される。
いつもより二時間も早く帰宅させられ、落胆のため息と共に電車を降りた。
家に帰ってピアノの練習でもしようと思うが、あいにく今日は母のレッスン日と重なっているためそれも叶わない。
康太は不機嫌さを全身にまといながら人の流れに沿って駐輪場に向かっていた。
今ではあまり使う人も見かけなくなった電話ボックスを横切り、あと少しで自転車を停めた場所にたどりつくという所で、誰かに呼び止められた。
「吉野君」
電話ボックスの周囲を見回したが、声の主は確認できなかった。
「吉野君、久しぶり」
「青山……」
彼の前に姿を現したのは小学校の同級生の青山美ひろだった。
「吉野君、今、学校の帰りなんだ……」
「ああ、そうだけど」
「元気だった? 」
「うん、まあね」
沙紀の友人でもある青山とは低学年の頃はよく一緒に遊んだものだった。
しかし、沙紀のあまりにも激しい遊びっぷりに付いていけず、その様子を眺めているだけということも多かったはずだ。
それに。
色白で美人だという仲間たちの意見も多く、青山が好きだと言う同級生がそこかしこにゴロゴロしていたのも懐かしい思い出だ。
「青山も今から帰るの? でも中学校は駅とは違う方向だろ? 」
「あっ、そうだね。……そうそう、さっき本屋に用事があって、一度家に帰ってから、制服のままここまで来てたの」
「そっか。まあ元気そうで何より。じゃあ、また」
そう言って一人で自転車置き場に向かおうとしたのだが。
「吉野君! あの……。よ、よかったら、途中まで一緒に帰らない? 」
再び引き止められた康太は、まさか青山がそんな風に声をかけてくるなんて思ってもみなかったので、不思議そうにまじまじと彼女を見詰めた。
「ご、ごめんなさい。吉野君も忙しいよね。迷惑だったかな? 」
「いや。本当なら部活で遅くなる日だったけど、急に休みになって。まあ、どうせ同じ方向に帰るんだし、別にいいよ」
ややとまどいを感じながらも、康太は青山の提案を受け入れた。
青山と話をしたのは何年ぶりだろう。六年生の時以来かもしれない。
小さい頃から一緒に遊んだ仲なのだし、たまにはこんなのもいいかもしれないなと、康太は前カゴにカバンを載せ自転車を押しながら歩き始めた。
家までは歩いても二十分ほどだ。
ところが一緒に帰ると言ったものの共通の話題もなく、何も話すこともないまま家の近くの公園に差し掛かった。
先に沈黙を破ったのは青山だった。
「吉野君……。あの……」
突然立ち止まって何か言いたげな青山に倣って、康太も仕方なく歩みを止めた。
つい先日まで公園中に響き渡っていたセミの鳴き声はすっかりなりを潜め、その代わり草むらからどこか悲しげなコオロギの鳴き声が聞こえてくる。
母親が公園で遊んでいる子どもに帰っておいでと呼んでいる。
康太はなんとなく青山の様子が変だと、さっきから気付いていた。
これはもしかしたら……と、今にも彼女の口から発せられるであろう言葉に予感めいたものはあった。
康太は今目の前にいる青山が気になっていた時期が過去にあったのを思い出していた。
それはまだ小学校の低学年の頃だっただろうか。
おとなしくて、優しくて。いつでも自分の味方をしてくれる青山にほんのりと恋心を抱いていたのだ。
ただし、それはまだ本当の恋とまではいかない、ほのかな淡い思い。
次第に康太の心には別の女の子の存在が大きく占めるようになり、いつの間にか青山は、康太にとってただ単に沙紀の親友という捉え方しか出来なくなっていた。
だからというわけではないが、康太には青山の考えていることがなんとなくわかってしまうのだ。
彼女が大きく深呼吸をする。そしてとうとう。
「あの。好きです。吉野君のこと」
「…………」
「どうしても言いたくて……。わたしの気持ちを吉野君に知ってもらいたくて……」
予想していたこととはいえ、即座に気の利いた返事が出来るほど康太もまだ大人ではない。
「ああ……。そうなんだ」
康太にはこれが精一杯の返事だった。
「吉野君。好きな人……いる? 」
ひとつ大きな壁を乗り越えたであろう青山は、緊張感が少し緩んだのだろうか。
しっかりと康太を見ながら、こんなことまで訊ねてくる。
「えっ? あっ。……ごめん。……好きな人……いるよ」
康太の心に浮かんだのはただ一人。青山には悪いが嘘はつけない。
康太は本当の気持ちを伝えた。
「そ、そうなんだ……。それは、わたしじゃない他の人なんだよね? 」
「うん……。ごめん、青山。実は俺の片想いなんだけど、彼女との関係は大事にしたいと思っているんだ」
「そうだよね。気にしないで。でもね、吉野君の好きな人がちょっぴり羨ましいな。いつかその彼女さんと両思いになれるといいね」
「ああ。そうだな。ありがとう」
「あの……。今日はこうやって吉野君と話せてよかった……。ありがとう。じゃあ、また……」
青山は、泣いているような笑っているような複雑な笑顔を康太に向けて、その場から駆け出して行ってしまったのだ。
康太はやるせないようなため息をひとつつくと同時に、忽ち虚しい思いに襲われる。
こうやって女子から告白されたのはもう三回目くらいになるだろうか。
手紙や電話とかも入れればもっとその数は多くなるが、康太が一番望んでいる相手からはこんな風に告白されることは……まずない。
じゃあ、青山のように自分から彼女に告白するべきなのか。
康太は自問自答を繰り返す。そして行き着く答えはいつも同じだ。
いずれドイツに行ってしまう自分には彼女に告白する資格などない……と。
その時だった。ある決定打に脳裏を打ち砕かれたのは。
昨日の夕方、河原から帰った後、沙紀の家に青山が来ていたのは康太も知っていた。
ということは、さっきの彼女の康太への告白を沙紀は事前に教えられていたのではないかと危惧したのだ。
つまり、沙紀が今日のことを知っていて、青山を後押ししたとなれば……。
康太の沙紀への想いは行き場をなくし、宙に浮いたままになる。
康太は焦った。
もしそうだとすれば、何としてでも想いを告げて、沙紀の気持ちを繋ぎとめなければならない。
康太は自転車にまたがりペダルに足を掛け、ガガっとギアチェンジを行なうと、ありったけの力をふりしぼって最後の急な上り坂を家に向って駆け上った。




