18 本当の気持ち
「沙紀ちゃん、今まで黙っててごめんね。だって、実は沙紀ちゃんも吉野君のことが好きなんじゃないかと思ってたから。わたしなんか、沙紀ちゃんみたいにかわいくないし、恥ずかしくて、こんなこと誰にも言えないもん」
美ひろは頬を赤くしながら、俯き加減で小さくつぶやいた。
そのうす桃色の肌は、ほわっと柔らかそうで、何もつけなくても紅く見える唇をより一層惹きたてている。
「かわいいなんて誰にも言われたことないし。あたしよりひろちゃんの方がずっとかわいいよ。それに女の子らしいし。そりゃあ、吉野だって、ひろちゃんの方がいいに決まってるじゃん。あいつは基本いいやつだし、なんならあたしが二人の仲を取り持ってあげようか? 」
沙紀はそんな風に言ってしまってから、なぜか突然、胸が締め付けられるような何ともいえない苦しさに襲われたのだ。
どうしてそんな気持ちになるのかわからないが、とにかく心が痛い。しくしくと痛むのだ。
でも沙紀は美ひろのことが大好きだから、彼女のためならどんなことをしてでも力になりたいと思ってしまう。
彼女の思いが実ることを心から願っている反面、康太が自分のそばから遠ざかっていくようで、言い知れない寂しさに襲われる。
いったいどうすればいいのか。沙紀は勇気を出して気持ちを教えてくれた美ひろに報いるために自分がすべきことをあれこれ思い巡らしてみるが、康太に自分じゃない女の子が関わって来ることがこんなに辛くて切ないものだとは実際経験してみるまでは少しもわからなかったのだ。
でもそんな気持ちとは裏腹に、心にもない言葉が次々と出てしまう。
「今夜でも、明日でも、ひろちゃんの気持ち、アイツに伝えてあげるよ。どうする? 」
沙紀はそんな風に勝手に暴走する自分の口を止める方法をついに見つけられなかったのだ。
それは、さっきの河原での出来事が原因なのかもしれない。
昔、二人でよく遊んだ思い出の河原で康太が言ったことといえば、勉強のことと、沙紀の弾くピアノのことだけ。
よくよく考えてみれば、そばを離れないというのも、隣に住んでるよ、というだけのこと。
康太が沙紀のことを、ただの近所の同級生としか思っていないとはっきりと確信したからだ。
美ひろがいつになくきりっとした表情になり、沙紀をじっと見据えて言った。
「沙紀ちゃん、ありがとう。でもね、わたし、自分で告白するつもりなの。こんな個人的なことで沙紀ちゃんに迷惑かけられないよ。別に両思いにならなくたっていいの。ただこの気持ちだけでも伝えられたらそれでいい」
あまりにきっぱりとした美ひろの態度に、沙紀は圧倒されてしまった。
「それでね、沙紀ちゃんに聞きたいんだけど……。吉野君って、松桜学院で彼女とかいるのかな? もしいるのなら、告白しても無駄だし……」
沙紀は返事に詰まった。そんなこと考えたことも無かった。
ただ漠然と、松桜学院にはきれいで頭のいい女の子がいっぱいいるんだろうなと思ったくらいで、康太に本命の彼女がいるかどうかなんて見たこともなければ聞いたこともない。
想像したこともなかった。
もしいるなら、親達が大騒ぎするだろうし、夏休みもあんなに暇そうに家にこもってなんかいないだろう。
沙紀は康太には彼女はいないと結論付けた。
「いないんじゃないかな。あっ、本人に確かめたわけじゃないから本当かどうかはわからないけどね。嬉しそうにニヤニヤしながらどこかに出かけるところも見たことないし、彼女の自慢話も聞いたことない。ただ、アイツはそういうの面倒だって思うタイプだよ、きっと! 」
沙紀は美ひろを励ますつもりで自信満々にそう言ったのだが……。
「ええ? そうなの? じゃあ、わたしが告白なんてしたら、迷惑だよね? 嫌がられるかな? 」
沙紀は自分の言ったことが全くフォローになっていなかったと気付き、慌てて訂正する。
「そ、そんなことないよ! ひろちゃんは翠台中学イチの美少女だし、性格もハナマル! そんなひろちゃんから告白されて迷惑だって思うやつはいないよ! あたしが保障する! だから自信持って! 」
沙紀は美ひろを応援するうちに、この二人、案外うまくいくんじゃないかとも思ってしまう。
高校生になった宏子の隣に並ぶ松桜学院の制服を着た康太を、いつの間にかふと思い浮かべていた。
とても幸せそうに身を寄せ合う二人。ためらいがちに手なんかもつないだりして……。
そこに沙紀の入り込むスペースは1ミリだってないのだ。
そんな沙紀の妄想が現実とシンクロするように、にっこり笑う美ひろが沙紀の視界に入ってきた。
「沙紀ちゃん、いろいろ力になってくれてありがとう。やっぱりわたし、勇気を出して自分で言ってみるね。あ、もうこんな時間。数学、ありがとう。それじゃあ、今日はこれで……」
「うん。それじゃあ、がんばって! 結果報告もよろしくね! 」
沙紀は精一杯の笑顔を美ひろに向けて、彼女を見送った。
がんばってね、吉報待ってるよという言葉も添えて。
美ひろが帰った後、沙紀はさっきのノートをぱらぱらとめくってみた。
康太のやや右上がりの力強い文字が目に入る。
沙紀が理解できるまで、何度も何度も説明してくれた康太の文字が、そこにあった。
急にその文字がぼやけて二重三重になったかと思うと、大きな涙の粒がぽたりとそこに落ちた。
水性ペンで書かれた部分が、たちまち滲んで輪郭がなくなっていく。
沙紀はその時初めて、自分の心の中で育っている大切なものに気付いてしまった。
本当は康太のことが好きで好きでたまらないことに、はっきりと気が付いてしまったのだ。




