番外編 別れと出逢い
沙紀の親友、まどか視点になります。
「終わったね」
「ああ……」
「いい結婚式だったね」
「うん。吉野のあんなに幸せそうな顔を見たのは今日が初めてかもしれない」
「そうだね。沙紀だって、彼のサプライズのピアノ演奏を聴いて、すっごく幸せそうだった」
「そうだな。あれはマジですごかった。あいつが本物のピアニストだってことを、改めて再認識させられた気がする」
「うん。本物だった。会場にいたすべての人がぽかんとしてたもんね。特にスタッフの人の驚きようったら……」
「テレビのドッキリ番組の比じゃなかった」
「……今日が終われば、お互いの道を……」
「なあ、まどか。もう、考え直せないのか? 」
「うん。もう充分考えた。順平をこれ以上縛り付けておくことはできないって」
「そんなことないよ。まどかはいつだって俺のことを尊重してくれていたじゃないか」
「でも、もうあの頃には戻れない」
「ごめん……」
「だってしょうがないじゃない。あたしたち、これ以上一緒にいたって、前に進めないんだもの。それに後輩のあの子ほどの情熱があたしには無いって、よくわかったから」
「本当に、ごめん。でも今ならまだ引き返せる。一時の感情で、まどかとの今までの歴史を忘れ去れるほど、俺には覚悟が備わっていないんだ」
「だから、もういいってば。たとえ一時の感情でも、心変わりしたことには変わりないんだし」
「悪かった。ごめんな、まどか……」
「謝らないで。どちらかの気持ちが無くなったら、終わりだって。昔から男と女の関係はそう決まってるんだから」
「…………」
「でも今日だけは、親友の門出を祝う日なんだし。だから式場ではいつもどおりに振る舞って……」
「そうだな。多分、誰にも気づかれなかったと、思う。今日が終われば、俺たちも、もう……」
「そうだね……。じゃあ、これで」
「うん……」
「今まで、ありがとう」
「俺の方こそ。ありがとう。まどかとの日々がどれだけ俺を幸せにしてくれたか……」
駅前のカフェで、久しぶりに葉山順平と向き合っているまどかは、苦いコーヒーを飲みながら誰にも言えない悲しい時を過ごしていた。
これ以上彼と共有する時間はもはや一瞬たりとも用意されていない。
まどかは立ち上がり、テーブルにコーヒー代を置いて、一人で外に出た。
今日は、親友の結婚式だった。
突然の結婚報告に驚きはしたが、同棲までしている二人が近いうちにそうなるだろうことは薄々わかってはいた。
まどかはその親友に、順平との関係がすでに終わっていることをまだ告げていなかったのだ。
順平とは高校の時に合唱部で意気投合し、卒業後、周囲に内緒で付き合っていた。
たとえ卒業後であっても、同じ部活内での恋愛は立場上好ましくないのではと判断して、親友である沙紀にも知られることなくこっそりと付き合っていたのだが……。
けれど、沙紀の方が上手だったことがのちに判明する。
大学生の時に、イタリアンレストランでばったり彼女と出くわしたのだ。
それも、我が母校の北高一の秀才イケメン君と仲睦まじく一緒にいるところに……。
その二人がただ一緒にいるだけなら何も疑うことはなかった。
彼らは普段から顔見知り同士だし、気心の知れた幼なじみだというのはすでに周知の事実だったからだ。
何かの拍子に二人で出かけて食事をしたとしても、ふーん、そうなんだと軽くスルーできるくらいの案件だった。
けれどその時の二人は違った。
男性の方が沙紀に似た女性をエスコートして、恋人同士のようにべったりと寄り添っていたのだ。
ちらっと見えた横顔が、同級生の吉野だとわかるのに時間はかからなかった。
というのも吉野は、当時付き合い始めたばかりだった順平の親友でもあったので、彼が吉野のことにいち早く気付き、お互いに顔を見合わせ驚いたものだった。
かの秀才君の彼女ってどんな人なのだろうと、興味津々だった。
なんとかその相手を見てみようと遠くからチャンスを窺うも、なかなかその正体を現さない。
が、しかし。その隣にいる女性がどうみても沙紀に瓜二つなのだ。
後ろ姿しか見えないが、背格好も、着ている服のデザインも、持っているバッグも靴も……。
どれもが沙紀そのもので、彼女以外の誰でもないと確信する。
それで意を決して彼らの後方ににじり寄り、沙紀らしき人物に声をかけたところ、そのいちゃつくカップルがまさしくその二人だったという衝撃の結末を目の当たりにする。
本当にその日まで二人が付き合っていることを知らなかったのだ。
確かに、沙紀には謎の彼氏がいるのではと疑惑を抱いていた時もあったが、最後までしっぽを見せることはなかったし、休日に遊びに誘っても断られることもなく、本当にお一人様だとその瞬間まで信じ切っていたのだから。
それが、あの天才ピアニストとも噂されるサッカー青年とできていただなんて。
まどかにとってあの日の衝撃は、彼らの同棲や結婚報告よりも強烈だったのだ。
そんな身近な二人の結婚式が本日催され、なつかしいメンバーとも再会した後、順平との別れ話にも決着をつけ、あふれ出る涙をこらえる事も出来ないまま、三月の夜道を一人で家に向かって歩いていた。
電車なら二駅。タクシーに乗れば十分ほどで家に着く距離だ。
けれどそのどちらも選ばずに、川沿いの道を薄手のパーティードレスにショールをまとっただけの姿で歩いていた。
彼との思い出は一言では語れないほどいっぱいあった。
あちこちに旅行もしたし、彼のことを親にも紹介して、結婚への道も秒読み段階だった。
けれど、昨年のクリスマスに起こった彼の裏切りに、その幸せだった日々がついに幕を閉じてしまったのだ。
皆に公にせず、こっそりと付き合っていたのが悪かったのだろうか。
後輩にも絶大な人気があった順平が、その中の一人でもある星羅という女性のひたむきな姿によろめき、間違いが起こってしまったのだ。
彼の必死の謝罪に一瞬許してしまおうと思ったことがあったのも事実だ。
けれど、まどかの存在を知った星羅が、体当たりで彼を奪いに来た。
「まどか先輩の事は尊敬しているし、大好きでした。けれど、葉山先輩のことは高校時代からずっと好きだったのです。葉山先輩を幸せにできるのは私しかいません。まどか先輩。どうか、彼から身を引いて下さい。お願いします、お願いします……」
星羅のいちずさに、まどかは返す言葉が無かった。
実際、本当に葉山を愛していたのかもわからなくなるくらい動転してしまい、星羅に押し切られる形で終わってしまったのだ。
結局、それだけの関係でしかなかったのだ。
多分、順平のことは愛していたのだと思う。いつだって大好きだった。
けれど、順平のまどかへの愛は、決して特別な物ではなく、その他大勢の人へも平等に向けられる博愛に近いものだったのかもしれない。
いつしか涙も乾き、家の近くまでたどり着く。
コンビニの前を通り過ぎようとした時、明日の仕事で割りばしがいることを思い出す。
工作で動くおもちゃを作るために必要なのだ。
家にある使い古しの物を持ってくるように言ってはいるのだが、用意できない家庭のために準備しておくのも、保育士の役割の一つだ。
まどかはショールを掛けなおし、照明が煌々と輝くコンビニに入って行った。
そして。
「あっ……」
「あ…………」
まどかが中に入るのとすれ違いざまに出てきた人と目が合った。
「井原……さん? 」
「しょ、翔太君? 」
さっき式で久しぶりに会った吉野の弟の翔太だった。
昔、吉野の母親にピアノを習っていた時に、顔見知りだったなつかしいその人だ。
かわいくて、ちょっぴり生意気で。
兄の吉野とは正反対の明るい性格だった弟が、再びまどかの前に姿を現したのだ。
買い物が終わり店の外に出ると、なぜかまだそこに彼がいた。
「今日は兄と姉の結婚式に来ていただき、ありがとうございました。家まで送りますよ」
えっ、どうして? と思ったのだが、拒む理由も見つからず。
彼の話術に見事にはまり、夜道に時折り笑い声を響かせながら、まどかは家までの道のりをゆっくりと歩いて行った。