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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十六章 エルガー 愛の挨拶 op.12
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エピローグ 2

「沙紀ちゃん、今日は遅くなってごめんなさいね。どうしてもレッスンの都合がつかなくて。春江さん達はもう向こうで待ちくたびれているかもしれないわね」

「うふふ。そうかもね。でもなんとか間に合いそう。康太も今年一年は、日本国内の演奏会を優先するって言ってるから、あたしも出来るだけ会場に足を運ぼうと思ってる。その時はお義母さんも一緒に行こうね」

「ええ、もちろん」


 駅から出て、すずかけの並木道を五百メートルくらい東に進むと、お目当てのホールが姿を現す。

 多くの観客が今か今かと列を成し、開場が始まるのを待っていた。

 ホール裏手の関係者通用口で、身分証明書を提示し、康太に割り当てられた楽屋に向かう。

 吉野康太様という張り紙のある扉を開けると、突然、カールした髪を揺らしながら、精一杯おめかしをした女の子が沙紀に抱きついてくる。


「ママ、おそいよ。パパのピアノ、はじまっちゃうよ。あっ、なつこおばあちゃん。こんにちは」


 今度は夏子に抱きつく。


「まあ、沙耶(さや)ちゃん、こんにちは。また大きくなったわね」


 夏子はかがんで沙耶の目線に合わせると、頭を撫でながら小さくて柔らかい身体をぎゅっと抱き締めた。

 まさしく目の中に入れても痛くないという言葉どおり、孫に会った時の笑顔は、沙紀とさっき対面した時とは比べ物にならないほど(とろ)けきっている。

 つまり、あさっての引っ越しの手伝いに来る面々は、この一人娘の沙耶に会うのが一番の目的なのだ。

 沙紀と康太のいいところのみをミックスして生まれてきたかわいらしい天使は、雅人にも翔太にも人懐っこさを惜しまず分け与え、彼らを虜にするのだ。


 沙紀が医学部在籍中に生まれた今年五才になるその子は、沙紀にそっくりな大きな黒目がちの目をきょろきょろさせながら、口を尖らせる。


「はやくもっともっとおおきくなりたい。だって、さや、パパのおよめさんになるんだもん! 」

 

 そう言って、くるっと身を翻した沙耶は化粧台の前の椅子に腰掛けてスタンバイ中の康太のひざに、靴を履いたまま飛び乗った。


「これ、沙耶ちゃん。パパのお洋服が汚れちゃいますよ」


 一足先に孫娘を楽屋に連れてきていた春江が、あたふたと沙耶を捕まえに行く。


「沙紀。この子ったら、本当に小さい頃のあなたにそっくりで、もう手に負えないのよ。そこにあるソファの上をぴょんぴょん跳ねるし、廊下は走り回るし……。こうちゃんが気の毒で。演奏前の集中も何もあったもんじゃないわね」


 春江は両手を広げて降参のポーズを取る。

 もう勘弁してよと言いながらも、孫娘を見る目はどこまでも優しい。


「お義母さん。僕は平気だから。こいつからエネルギーをもらって、かえっていい演奏が出来るくらいなんだし」


 そう言って康太は沙耶に微笑みかける。


「ママ。康太はね、沙耶のことは何でも許しちゃうの。何言っても無駄よ。沙耶、こっちに来なさい。おばあちゃんを困らせたらだめですよ。パパももうすぐステージに上がる時間だから、こっちにいらっしゃい」


 沙紀は康太のひざから娘を引き離し、膝を突いて向き合った。


「あのね、沙耶。沙耶はね、もうすぐお姉ちゃんになるのよ。今日の朝ね、ママの病院の先生が教えてくれたの。だから、もう沙耶はおばあちゃんやパパを困らせたりしないよね? 」


 きょとんとして沙紀を見つめている沙耶を後ろから康太が抱き上げて、そのままもう一方の腕で沙紀を引き寄せ、真顔で訊ねる。


「それ、本当か? 」と。


 沙紀がにっこり笑ってうんと頷くと、康太は沙耶を抱えたままくるくると控え室の中をステップを踏んで回りだし、二人の祖母もそれにつられるようにして満面の笑顔で喜び合う。

 そんなにはしゃいだら、腕が疲れて演奏できなくなるわという沙紀の助言も全く届かない。


 沙紀はここ最近の体調不良が予想通り二度目の妊娠だったとわかり、今日という記念の日にそれを康太に告げられることを、とても喜ばしく思っていた。

 たとえ結婚はしていても、まるで遠距離恋愛のような状態の二人にとって、妊娠は思いもよらない天からのプレゼントだったのだ。


「さあて……。子どもが二人になるんじゃ、こうもしてられない。パパはもっともっとお仕事、がんばるからな」


 沙耶を下ろし娘の髪をぐしゃっとかき回すと、じゃあそろそろ行くよと言って隣に立っていた沙紀の頬に唇を寄せる。


「ん……もうっ、康太ったら! おばあちゃんたちが見てるのに」

「あははは! 別にいいじゃないか。向こうじゃ普通だよ」

「ここは日本よ。……ったくしょうがないんだから」


 沙紀は真っ赤になってプリプリ怒りながらも、康太の蝶ネクタイの位置を正すのを忘れない。


「じゃあ行って来る。沙紀……。篤也兄さんも杏子さんと一緒に来てるはずだ。木下教授からは電話をもらった。行けないけど、成功を祈ってると」


 廊下に出た康太は、そっと沙紀の耳元でそう伝えた。

 沙紀はこくっと頷き、康太の背中をぽんと押した。

 

「今日のプログラムのショパンのピアノソナタ第三番は沙紀とお腹のこどもに。そしてアンコール予定曲の子犬のワルツは沙耶に捧げる。じゃあ、後で」


 振り返りざまにそう言って、背中に回した左手が沙紀に向かってピースを形作る。 


 沙紀は、舞台袖に消えて行く康太の後姿をいつまでもいつまでも見送っていた。

 娘の手をしっかりと握り締めて。











                                了





最後までお読みいただきありがとうございました。


この物語を書き始めたのは今から15年近く前の2005年の事でした。

ブログにて思いのままに書き綴り、こちらにも初稿をそのままの形で置かせていただいています。


構成や大まかな流れは初稿のまま、今回新たに改稿を加えました。

このポーカーフェイスが、次作こんぺいとうを生み出きっかけになりました。


今世界中の人々が不安な日々を送っている中、このまま連載を続けてもいいのかどうか迷った時もありました。

でも毎日読みに来てくださる皆様に背中を押され、今日まで続けることが出来て、感謝の気持ちでいっぱいです。


本文中に書ききれなかったエピソードもありますので、また改めて番外編として掲載できたらいいなと思っています。


他の長編物語もありますので、お時間のあります方は読んでいただけると嬉しいです。

本当にどうもありがとうございました。

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