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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十六章 エルガー 愛の挨拶 op.12
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180 ぽーかーふぇいす 3

「僕は、沙紀の本心に随分前から気付いていたんです」


 へ? と沙紀は気の抜けたような声を出す。

 康太の言うことはいつにも増して意味不明だ。

 まさか昔の話をほじくり返して、星川と浮気をしているとでも言いたいのだろうか。 

 沙紀は釈然としないまま、康太の話しに耳を傾けた。


「沙紀は、医者になるべきなんです。もちろん、今の幼稚園の仕事が彼女に向いていないとか、そういうわけではなくて。子どもの頃から抱いていた興味や夢は、なかなか溶けてなくなることはない。ますます、夢が膨らんでいくことがあると思うんです。沙紀自身がいちばんよくわかっているはずです。間違いありません」


 今度は徹と春江が、言葉にならないような驚きの声を上げ、お互いに顔を見合わせている。


「それで、僕は、徹底的に彼女に協力しようと心に決めました。医学部に入るには勉強も大変ですが学費もかかる。今まで五年間働いてきて、それなりの貯金もあります。それで足りない分は、銀行で教育ローンを組みます。ですから結婚しても沙紀は勉強を続けられるんです……。どうかそういう事も含めて、おじさんとおばさんには僕と沙紀の今後を見守って欲しいと、そう思っています」


 土下座までしかねない勢いで、康太はそこまで話した。

 沙紀は激しく拍動する心臓をなんとか落ち着かせて、やっとのこと、声を出す。


「こ、康太。いったい何を言ってるの? さっぱり意味がわからない。あたしがいつそんなこと言った? お医者さんになりたいだなんて、一言も言ったことないよ。どうしてそんな風に思うの? あたしは、あたしは……」

「医者になるべきなんだ。本当はおじいさんの後を継いで、医者になりたいんだろ? 」

「康太……」

「わかっていたよ。もうずっと昔から沙紀は医者になることを目標にしていたはずだ……。時々、夜中にうなされていたのもそのせいだろ? 夜中に起きだして、考え事をしている時もあった。それに、結婚を渋っているのも……迷いがあるからだ。ちがうのか? 」


 その時、徹の眉がピクッと反応した。

 沙紀が夜中にうなされたり起きだしたりしているのを、どうして君は知っているんだい? と訊ねたいのを何とか堪えて、娘とその彼氏の生々しいやり取りを黙って傍観している哀れな父親がそこにいることを、沙紀はまだ気付いていない。


「それは違うって。運動会のことや、子どもたちのことを考えると眠れなくなっちゃうの。それだけだよ。康太だって、夜中に起きだして、ヘッドホン付けて電子ピアノを弾いているの、あたし、知ってるんだから」

「それは、運動会に必要な音楽をアレンジしたり、眠れなくて気分転換にいろいろ弾くことは俺にだってあるよ。そうじゃなくて、沙紀が今でも医者になる夢を捨てていないことは、もう隠し通せないことなんだ。おじいさんが亡くなってから、より一層思いが強くなってる気がする」

「康太……」


 沙紀は康太の言ったことがあまりに的を得ていることに驚きを隠せない。

 誰にも悟られずに平常心で過ごせていると思っていたのは自分だけだったというわけだ。


 が、しかし、二人のやり取りを聞いていた徹の我慢もそこまでだったようだ。


「沙紀、康太君。途中で水を差すようで悪いが。二人は、その。もうすでに一緒に住んでるのかい? 」

「あ……」


 沙紀が口元に手をやり、徹の質問に唖然とする。

 しまった。

 今の康太との会話は、徹に不信感を抱かせるには充分だったようだ。


「ぱ、パパ……。あの、それが……」

「一緒に暮らしていなければ、深夜のそれぞれの様子も、そこまで把握できないと思うんだが……」

「あ……。おじさん、すみません。僕たち、その、一緒に、住んでいます」


 康太がすべてを認め、ひれ伏す。


「そ、そうなのか。あ、いや、別に咎めるわけではないけど。だけど、それなりに、ショックなものだな」

「本当に、すみません」


 康太は頭を下げたまま、ひたすら謝り続けている。


「パパ。いろいろと内緒にしてて、本当にごめんなさい」


 沙紀も康太に倣って頭を下げ続けた。


「それなら、こんなのんびりはしていられない。沙紀の医者になりたい話もいいけど、それより先に、結婚を急いだ方がいいんじゃないのか? こんなことが職場に知れたらマズいよ。もちろん、誰も知らないんだろ? 」

「うん……」

「はい……」

「なら、いい機会だ。今からでも役所に行って婚姻届けを……」

「それはそうだけど……。でもね、パパ。あたしの話も聞いて欲しい! 」


 沙紀はついに黙っていられなくなった。

 徹の現実的な提案をもみ消すようにして主張する。

 同棲が徹にバレてしまった事はもうしょうがないと半分開き直り、今度は自分の言い分も聞いてもらおうと、鼻息も荒くまくしたてるのだ。


「康太がそう言うなら、あたしにも言わせて! これを見てちょうだい。マンションの見積もりよ」


 沙紀はバッグから分厚い大き目の封筒を取り出し、テーブルの上に書類を広げた。

 はあ? 何だよこれ? と康太の間の抜けた声が沙紀の耳に届く。

 (おもむろ)に胸のポケットから老眼鏡を取り出し、それをかけた徹が、見積書を食い入るように見つめる。

 春江も、どれどれと徹の横に顔を並べ、一緒に覗き込んでいる。


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