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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十五章 ショパン ピアノ協奏曲第一番ホ短調
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177 だから心配しないで

 そして康太の車のところまでついて来た春江が、憔悴しきった沙紀にもう一度同じことを言う。


「さっきも言ったけど、明日は仕事、休んだら? 今までだって一度も休んだことないのでしょ? こんな時くらい休暇をもらってもいいんじゃない? 」

「それはそうだけど……」

「おじいちゃんのことが気になって運動会どころじゃないと思うし、おじいちゃんだって、いつどうなるかわからないし。沙紀がそばにいてくれると、おじいちゃんだって嬉しいと思うの」

「あたしだって本当はそうしたい。でもね、明日は何があっても休めないの。子どもたち一人一人にとっては、幼稚園最後の運動会だから、担任不在なんて、子どもたちに申し訳なくて。きっとおじいちゃんも、病院にいないで、ちゃんと仕事しろって応援してくれると思う。仕事が終わり次第、すぐに駆けつけるから」

「沙紀……」


 春江は尚も心配そうに娘を気遣う。


「それに、あたしは大丈夫だから。康太もいるし……ね? 」

「ふふふ。そうね。沙紀には強力なナイトがいるんだったわね。まさかね、こうちゃんと沙紀がこんなことになってるって、まだ信じられないんだけど。でも、本当なんだ」

「うん……」

「こうちゃん、今夜は本当にどうもありがとう。沙紀のこと、よろしくお願いします」


 春江の表情がかすかにゆるんだのを確認し、康太もホッとする。


「わかりました。あの……。俺がずっと沙紀のそばにいますから、安心してください」

「あらまあ。でも、こうちゃんも明日は運動会なんでしょ? この子のことは家まで送り届けてくれるだけで充分だからね。こうちゃんも早く宿舎に帰って休んでちょうだいね。本当に迷惑かけちゃったわ」

「あ、いや、その……」


 康太が言葉を詰まらせる。

 今日、初めて付き合っていることを伝えたばかりで、その上、実はすでに一緒に住んでいるなどとは、とてもじゃないがこの場では言えなかった。

 相崎家の大事な一人娘を奪った男は、当然立場は弱い。

 

「ママ……」


 そんな康太の気持ちを察したのか沙紀がゆっくりと口を開いた。


「何? 」

「あのね、あたしたちね、もうずっと……」

「ずっと? んもう、これ以上何があるっていうの? ママをびっくりさせるのはもう充分だから。本当に困った子ね」


 春江が首を傾げる。


「ママを困らせてばかりで、ごめん。それがね。その……。ずっと……。康太と一緒に……暮らしてるんだ」

「え……」

「だから、心配しないで。ひとりじゃないから。いつだって康太がそばにいてくれるんだ。結婚もしていないのに、一緒に住んでるってこと、なかなかママに言えなくて。もちろん、夏子先生にもまだ言ってない。ねえ、康太」

「あ、はい。すみません……」


 何も悪びれる様子もなく、さらりとそんなことを言ってのける沙紀に驚くと同時に、康太の方は今にも口から心臓が飛び出しそうなほどの衝撃を受け、春江の顔をまともに見ることなど出来るはずもなく。

 頭を下げることが今の康太に唯一課せられた行いだった。


「そうだ、パパにはまだこのことは言わないで。また改めてあたしの口から報告するから。じゃあ。何かあったらすぐに連絡してね、絶対だよ」

「あ……」


 春江の返事はなかった。当然の結果だ。

 康太を信用して沙紀を預けてくれたこの母親に、いったいどんな顔をして目を合わせればいいのだろう。

 さっきまでの決死の覚悟が急激にしぼんで姿を消していくのを認めつつ、ハンドルを握ったまま、真っ赤になってうつむくことしか出来ない。


 春江も、耳を疑うような真実を突きつけられた今、わけもなく何度か(まばた)きをしたあと、その場に微動だにせずに、ただ突っ立っている。


「……一緒に、住んでるの? そ、そうなの。あ、そ、そうよね。若い人たちなら、そんなこともあるわね」

「ママ、ごめん。今まで黙ってて、本当にごめんね。でもね、あたし、幸せだから。子どもの頃から、康太と仲良しで、大人になった今もずっと彼と一緒にいられて、夢みたいな毎日を過ごしているの。だから彼を責めないで。すべて、あたしが自分で決めたことだから」

「沙紀……」


 春江の受けたショックは、相当な物だったのだろう。

 その声もかなり上ずっている。


「おじいちゃんのこと、よろしくね。おじいちゃん、きっと良くなるから。あたし、信じてる」

「わ、わかったわ。おじいちゃんのことは任せて。そうなのね……。もう、こうちゃんと一緒に住んでるんだ。ああ、いろいろ考えなきゃならないことが山積みね。それに、パパには、まだ言わない方がいいわね。うん、そうしましょう。じゃあ、また改めて二人の同棲の話を聞くとして。夜道は危険だから、気を付けてね。おやすみ……」


 そう言って、ぎこちなく手を振る春江を駐車場に残し、康太は静かに車を発車させた。


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