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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十五章 ショパン ピアノ協奏曲第一番ホ短調
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174 カミングアウト

康太視点になります。

 予行演習が終わり、明日の運動会に備えて子ども達がいつもより早めに一斉下校した後、康太はある決意を抱いて校長室に来ていた。

 沙紀が長一郎の入院している病院に向かったのは、すでにラインで確認済みだ。


「吉野先生。今日はご苦労様でした。六年生の演技はどれもいい仕上がりでしたよ。明日の本番が楽しみだわ。……で、話とは何でしょう」

 

 キリットした口元とは対岸にある優しそうな目をした校長は、穏やかな笑みを浮かべながら机の上に載せた手をすっと組み替えた。

 それは校長が真剣な気持ちに切り替わった合図のようなものでもある。


「失礼します。……あっ、先客がいるようだな。ではまた改めて」


 山のような書類を抱えて突然校長室に入ってきた教頭が、康太を見るや否やそのままバックして出て行こうとする。


「教頭先生。あのう、よろしければ一緒に話を聞いて頂けませんか」


 康太は二人に向かって軽く頭を下げると、いきなり本題に入った。


「今日これから早退させて頂きたいと思っています。運動会を明日に控えて、まだ準備や検討内容が残っているのもわかっているのですが……。無理を承知でお願いします。今すぐ帰らせてください」


 校長は康太のあまりにあけすけな要望に驚きながらも、落ち着きを保ったまま目の前の若い教諭をじっと見ていた。


「もちろん休暇願いを出して帰って頂いてもかまいませんよ。いつも仕事熱心な吉野先生がおっしゃることですから、きっとのっぴきならない出来事が起こったのでしょうね。立ち入ったことをお聞きして申し訳ありませんが、お身内になにかあったのですか? ならばどうぞ遠慮せずにすぐに帰りなさい。届けは後日でもいいですよ」

「すみません……」


 康太は校長の前に立ったまま両手を握り締め、覚悟を決めたようにゆっくりと口を開いた。


「婚約者の祖父が危篤という知らせが先ほどありました。病院に行って容態を見守りたいと思っています」

「婚約者の? そうだったの。それは大変だわ。その方のためにも早く行っておあげなさい」

「ありがとうございます」

「あの……。立ち入ったことをお聞きして申し訳ないのですが。さっき幼稚園の相崎先生もそのようなことを言ってらしたようだけど。もしかして、婚約者って……」

「そうです。相崎です。きちんと結婚の予定が決まれば報告するつもりでしたが、このような形でお二方にお話しする結果になってしまい申し訳ありません」


 職場どころか、まだほとんど誰にも言っていない沙紀との交際を初めて世間に公開した瞬間でもあった。

 康太は深々と頭を下げながら、こうなったらもう何もかもさらけ出してしまうべきだと腹をくくっていた。


「そんなこといいのよ。そうですか、相崎先生と……。わかりました。さあ、顔を上げて。訊きたいことはいっぱいあるけど、今はそんな事をしている場合ではないですから。もたもたしてないで、すぐに学校を出なさい。ねえ、教頭先生、そうしていただいてもいいですね」


 そう言って校長は、隣で固まったまま口をぽかんと開けている教頭に同意を求めるように視線を向ける。


「そ、そ、そうですね。他の先生方には私から伝えておきます。だが、ねえ。校長……」


 教頭は何か言いたげに校長と康太を交互に見た。


「言いにくいんだが、その、明日はちゃんと学校に来てくれるんだよね? 」 

「わかっています。何があっても明日は出勤します。子ども達を裏切るわけにはいきませんから。みんなと心を一つにして作り上げてきた運動会ですから。必ず成功させます」

「それを聞いて安心したよ。……ならば校長、一刻も早く吉野君には学校を出てもらいましょう」

「そうね。後のことは気になさらずにこっちにまかせておきなさい。相崎先生のこともしっかりと支えてあげてくださいね」

「はい。ありがとうございます。それと相崎とのことは必要ならば職員のみなさんに言ってもらってもかまいません。もうすでに園児にもひやかされましたし、古澤先生にもばれてしまいましたから」


 わかりましたと校長が深く頷くのを見届けると、康太は急いで帰り支度を整え、車で一目散に病院に向かった。



 そこは、康太の勤務先と翠台とのちょうど中間点に位置する救急病院だった。

 祖父母の家の近隣の病院はどこも受け入れ態勢が整わず、ようやく見つかったのがその病院だったと聞く。

 康太にしてみれば、少しでも勤務先から近いという点がありがたかったのだが、長一郎と同居している身内が見舞うには距離がありすぎるかもしれない。


 康太は、あわててスーツに着替えたため、ネクタイも締めていなかった。

 カッターシャツの襟も折れ曲がったままだ。

 ナースステーションで部屋番号を聞き、呼吸を整えて、その病室に向かった。

 面会謝絶の札のかかったその病室の前の廊下は、消毒液の臭いが鼻につき、幾分脈拍が上がるような錯覚を覚えるほど、妙に緊迫した空気が漂っていた。


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