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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十五章 ショパン ピアノ協奏曲第一番ホ短調
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173 知らせ

 秋晴れの続く九月の終わりの週末、翌日に運動会の本番を控え、予行演習が幼稚園、小学校の合同で行なわれていた。

 この運動会の花形はなんと言っても六年生だ。

 プログラム最後の組体操は歴史も古く、学校創設当時からの演目も含まれていて、昼休みや放課後の時間も使って練習を積み重ねてきた演技は誰もが見るのを楽しみにしている。

 昨今の安全重視ムードでピラミッドは廃止されたが、平面を使っての様々な見せ場は過去のそれより一層の複雑さと美しさを誇る。

 中央の演技台に立ち、笛で合図を送る役目は、六年生の担任の康太だ。

 これまでも練習中に、子ども達を指導する康太のよく透る声が、幾度となく運動場に響き渡っていたのを沙紀もよく知っている。

 

 ここの付属で教育を受けるためのシステムは至ってシンプルで、幼稚園への入園試験は、実質、抽選と面接しかない。

 過酷な倍率を潜り抜け、強運をつかんだ四歳児は、そのまま高校までほぼエスカレーター式に進学出来る。

 加えて、中学校で一般入試があり、その時の外部受験生が眩いほどの成績を引っさげて受験してくるので、ここの付属は大学進学においても目を見張るような結果を出すという特典つきだ。

 つまり一貫教育の強みで、小学校から中学受験をする子どもがほとんどいないため、進学塾に通う必要もない。

 おかげで大きなテーマに全員で一丸となって取り組めるという利点があり、さまざまな経験を積み重ねることが出来るのがここの子ども達の日常なのだ。

 運動会はもちろん、音楽会や生活発表会など、すべての行事が中身の濃いものになっているのも頷ける。

 幼稚園児はそんな小学生の競技や演技を見て、自分達も早くあんなふうになりたいと、夢や希望をふくらませるのだ。

 沙紀の受け持ちのクラスの子ども達も、先日作ったカラフルな旗を応援席で振りながら、紅白それぞれのチームに声援を送っていた。


 演技も終盤に差し掛かった頃、職員室から誰かが沙紀に向かって駆けて来るのが見えた。

 まだプログラム途中なのになんだろうと不審に思いながらも、次第に近付くその人の顔つきが険しいことに気付く。

 沙紀は不吉な胸騒ぎを覚えつつ、小学校の図画工作教師の古澤に自ら駆け寄った。


「相崎先生。今、ご実家のお母さんから電話がありまして。おじいさんが交通事故に遭われて危篤状態なので、すぐに帰って来て欲しいと……」


 古澤は肩で息をしながら手短に言い放った。

 沙紀はすぐには話の内容が理解できなかった。

 春江から電話というのはわかった。

 仕事中は遠足や園外保育の時以外は携帯の電源を切っている。

 また今日のように運動場で動き回る時は必然的に携帯は職員室に放置だ。

 なので、緊急の時はこうやって職員室か事務室で取り次いでもらうことになっている。

 ということは、やはり緊急事態には違いないのだが……。

 沙紀には祖父と呼べる人物は長一郎一人しか存在しない。


「祖父が危篤? そんなわけないです。先月会った時、とっても元気だったんです。だから……」


 診察時間も以前より増やしたって、あんなに得意げに仕事のことを語っていたのに……。

 これは何かの聞き間違えだ。沙紀は信じられないとでも言うように首を横に振った。


「相崎先生? 大丈夫ですか? とにかく一度家の方に電話してみてください。そのあと、すぐにでも帰られたほうがいいのではないかと……」

「で、でも、今はまだ予行演習の途中だし、子ども達もいるので……。あの、すべて終わってから連絡しますから。古澤先生、ありがとうございました」

「ちょ、ちょっと、相崎先生! 」


 沙紀は自分が顔面蒼白になっているのも気付かないまま、古澤が呼び止めるのも聞かず、再び子ども達のいる応援席に戻ろうとしたのだが……。

 六年生の最終演技である組体操が終わって、白線ライン引きのカートを片づけていた康太が古澤のただならぬ声に気付いたのだろう。

 次の瞬間、古澤よりも先に沙紀のところに駆け寄って来た。


「さき、じゃなくて、相崎先生! おい、待てよ。どうしたんだよ」


 あっ、小学校の先生だ、という幼稚園児達の歓声にかき消されそうになりながらも、康太が必死で沙紀を呼び止めていた。


「吉野……先生。何か? 」


 突然の康太の出現に驚きながらも、沙紀は冷静に返事をする。


「何があったんだ、沙紀。顔色悪いぞ」


 さきって言った、小学校の先生が相崎先生をさきって呼んだ! とますます騒ぎ立てる園児をよそに、康太は沙紀を倉庫の隅にまで引きずり出して問いただす。


「こ、康太。あたし、どうしよう。おじいちゃんが、おじいちゃんが……」


 沙紀は康太と向き合ってやっと緊張の糸が切れたのか、今にも泣き叫びそうになるほど、感情を昂らせていた。

 ようやく二人のもとに追いついた古澤が康太に助けを求めるように言葉をかぶせる。


「吉野先生も言ってくださいよ。相崎先生のおじいさんが危篤だって今連絡もらったんですけど、この人、わかってるんだかどうだか、子ども達が心配だからって僕の言うことを聞いてくれないんです」

「古澤先生、どうもありがとうございます。なあ、沙紀、先生もそう言って下さってるんだ。とにかく、家に電話して訊いてみろよ」


 事態の概要を把握した康太は、とにかく春江と連絡を取って早退しろと沙紀の取るべき道を示す。


「でも、まだ仕事が……」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。子ども達のことは主任と園長に俺から言っておくから。おまえはとにかく早く行け」

「わ、わかった。康太、ありがと……」


 その時のそこに居合わせた古澤の間の抜けた顔といったら……。

 二人の親密な関係を感じ取ったであろう古澤は、呆気に取られながらも、ようやく沙紀を職員室に連れ帰れることに安堵しているようだ。


 職員室に入った沙紀は大きく二度ほど深呼吸をすると、自分の携帯を取り出し、春江に電話をかけた。


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