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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十五章 ショパン ピアノ協奏曲第一番ホ短調
173/188

171 始まりの朝

 朝の職員室は空前絶後の慌しさだ。


「おはようございます! 」

「おはよう、相崎先生。今朝、電車がまた遅延だって。先生方も何人か遅れてくるかも」

「そうなんですか」

「それで、今日保護者あてに渡す運動会の観覧席のお知らせなんだけど、二十部足りなくて。今から至急印刷お願い」

「はい、わかりました! 」

「それと、相崎先生の保育室の椅子の数だけど、三十五脚で間違いない? 」

「はい」

「地域の高齢者への運動会の案内状、そろそろ準備お願いね」

「はい」

「あ、今日の運動会の練習の指揮は、後半、相崎さんにお願いするわね」

「はい」

「やっと来たわ、電車通勤組。西浜せんせーーい、明日の親子体操の練習での演技図のことだけど……」

 

 主任が遅れて来た同僚の西浜を捕まえるや否や、早口でまくしたてる。

 これはいつのも事だ。

 主任が意地悪だとか、要領が悪いとか、決してそういうのではない。

 こうでもしないと、一日の予定が回らないのだから仕方がない。

 毎朝繰り返される、いわば、朝の儀式のようなものなのだ。

 主任自らも誰よりも早く出勤して、準備に追われている。

 沙紀はこの主任の保育に対する前向きな姿勢にいつも感化され、彼女のように子どもたちに心配りのできる保育者になりたいと、常に思っていた。

 

 職員室を共有している幼稚園と小学校の教員が教材の準備に追われる中、子ども達の欠席や遅刻の電話が次々と鳴り響く。

 たまたま電話の前を通り過ぎようとしたジャージ姿の康太が受話器を上げた。


「もしもし、付属初等部吉野です。はい。あ、そうですか。ちょっとお待ちください。……相崎先生! クラスの田中さんから電話です」

 

 保留ボタンを押した康太が、事務的に職員室後方にいる沙紀を呼ぶ。

 たった今、お知らせの印刷を終え、工作で使う色画用紙を準備しようとしていた沙紀は作業の手を止めて、康太の声に振り向いた。


「はい。すぐいきます! 」


 同じようにジャージ姿の沙紀が、作業台のところから大声で返事をし、胸の前で揺れるホイッスルを片手で押さえながら、電話のところまで駆けつける。

 すると。


「……今夜少し遅くなる。晩メシよろしく」


 受話器を取ろうとする沙紀の耳元で、康太がすれ違いざまにささやいた。

 以前ならば心臓が止まりそうなほど驚いて、近くにいる先生達に気付かれなかったかと慌てふためいたものだが、慣れというものは恐ろしい。

 電話の業務連絡を取り継いだだけだと周りに思わせるには十分なほど沙紀の様子はそっけなく、これっぽっちも顔色を変えることなく、あたかも何事もなかったかのように電話の向こうの保護者と話し始めることが出来る。

 ここでも沙紀と康太のポーカーフェイスは、不動の完璧さを誇っていた。


 元気で活発な田中直哉の保護者の連絡内容は、幼稚園の園児にはよくあることで、病院で診察を終えてから遅刻して登園するというものだった。

 心待ちにしている運動会に元気に参加するため、風邪の初期の段階で医者に診てもらうという保護者の申し出だったのだ。

 子どもの病気と言うものは軽そうな症状に見えても、数時間後には急変して重くなることもある。

 初期段階で処置することの大切さは、沙紀も祖父からいつも言われていたので身にしみてわかっているつもりだった。

 沙紀は快く電話を受け、医者の許可が出れば、どんなに遅くなってもいいので登園して顔を見せてくださいと伝えて電話を切った。


 午前中はおもに運動会の練習に費やされ、昼食のあと、応援のための旗作り製作を始めていた。

 年長児ともなれば細かいハサミの使い方も出来るようになり、土台の色画用紙に色紙やクラフト紙を切り抜いてきれいな模様にして貼りつけ、それぞれのオリジナルの旗が完成していく。


 沙紀は指導を進めながら、今朝連絡をもらった園児がまだ顔を見せていないことが気になり始めていた。

 田中直哉。クラスでもムードメーカー的な彼がいないとなると、保育室中が静まり返って見えるから不思議だ。

 いくらなんでも遅すぎる。

 思ったよりも症状がひどかったのだろうか。

 それはそれでまた新たな不安材料になるのだが。


 二時過ぎには園児全員が迎えに来た保護者と共に帰宅したのを見届けると、沙紀はすぐに職員室に向かった。

 とうとう顔を見ることが叶わなかった直哉の保護者と連絡を取るために電話をかけるのだ。

 すると、そんな沙紀を待ち構えていたかのように、小学校の教頭に呼び止められる。


「相崎先生、ちょうどよかった。今、校内放送で呼び出そうと思っていたところだったんだ。田中さんとおっしゃるクラスの保護者から電話だ」


 教頭のデスク近くにある電話の受話器を渡された沙紀は、それを耳にあて母親の第一声を待った。


『もしもし、相崎先生ですか? 今日は幼稚園に行けなくてすみませんでした』

「田中さん、こんにちは。お電話、ありがとうございます。それで、直哉君の病状はいかがでしたか? 」


 沙紀は直哉のことが心配で一刻も早く様子を知りたかった。


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