165 必要のない人間
康太視点になります。
沙紀の適格な道案内で、康太の車が水田家の真ん前で停車する。
いち早く車から降りた沙紀は、その玄関を見るなり呆然と立ちすくんでいた。
「どうしたんだ? ここであってるんだろ? 水田って表札もかかっている」
康太が運転席の窓から顔を出し、沙紀に向かって訊ねる。
「うん……。でも、なんかへん。門もドアも開いてるけど、先輩の気配がないし。いないのかな? 水田先輩? 相崎です。先輩? 」
門は開け放たれ、ドアも半開きのままだ。
沙紀が何度か水田を呼んでいるが返事はない。
康太も車から降り、周囲を見回した。
「なあ沙紀。もうここにはいないんじゃないかな? すでに空港に行ったとか……」
「え? そんなはずないよ。絶対にいるって。先輩! 水田先輩! 」
尚も沙紀は水田を探し続けている。
庭の後方に回ったり、開いたままのドアから室内を遠慮がちに覗いたり、ありとあらゆる手段で水田との接触を試みるのだが、反応はない。
「康太……。やっぱ、いないみたい。空港に行ったのかも。せっかくここまで連れて来てもらったのに。ごめんね」
「いや、別にかまわないよ」
沙紀が深いため息をつき、申し訳なさそうな視線を向けて来る。
「北海道から帰って来たばかりで疲れているのに、振り回しちゃって。ホント、ごめんね……」
「俺なら大丈夫だよ。そもそも、バイクを運転してたのは雅人兄さんなんだ。俺はただバイクにしがみついて、観光名所で降りて、食って、寝て……の毎日。フェリーでも眠りっぱなしで、夕べも家でぐっすり寝たし。いつもより元気なくらいだよ。でなけりゃ、さっきみたいに頑張れないだろ? まだ何ラウンドかはいけそうだ! 」
などと、ついうっかり口が滑ったとたん、しまったと思った。
いくらこれまでに付き合いの期間が長いと言っても、さっきの一連の成り行きは二人にとっては初めての領域だったのだ。
今の言い方は、あからさますぎたようだ。
沙紀の頬がみるみる赤くなり、うつむいてしまったではないか。
「……康太のバカ……。ここでそんな話、いくらなんでも恥ずかしいよ」
「ご、ごめん……」
と、頭をかきながら謝ることしか出来ない。
サッカー部の仲間との集まりだと、こんなソフトな会話では済まされない。
康太ですら耳を塞ぎたくなるような下ネタ満載の話や、おススメのラブホや風俗の情報などが赤裸々に飛び交うのが常だ。
これでも多少なりとも自粛したつもりだったが、足りなかったようだ。
まだまだ学ばなければならない課題は多そうだ。
すると、ふと何かを思いついたかのように沙紀が突然瞳を輝かせた。
「あ、そうだ。きっとそうだよ」
「どうした? 」
「あの水田先輩がいくら取り乱しているとはいっても、戸締りも忘れて空港まで行くなんてありえないと思うんだ。あそこに行ったんだと思う」
すると沙紀は、急にくるりと向き直り、風の森幼稚園の生垣に沿って駆け出した。
「おい、どこに行くんだ」
急に走り出す沙紀に、康太もついていく。
「なあ、沙紀。もしかして、星川の家か? 確か、この近くのはずだよな」
康太の顔を見てうんと頷く沙紀を横目に、走っているスピードを突如落とす。
仮にも本当の父親だと名乗る人物の家に向かっているのだ。
康太は躊躇するのは当然とばかりに眉をひそめて、ためらいがちに沙紀を見るが、彼女の決意は変わらない。
何があっても水田に会うんだと、意志の強そうなその目が訴えかけていた。
観念した康太は腹をくくった。
木下家に同行することを決め、再び走り出したのだ。
木下家のそばまで来ると、沙紀の判断が間違っていなかったことが判明する。
今まさに星川が携帯を片手にもう一方の手にはトランクを引きながら家を出ようとしていた。
そしてその後ろを真っ赤な目をした水田が、待ってといいながら後を追っている。
「星川部長! 」
沙紀の声に驚いたように顔を上げた星川が、携帯を操作する手を止め、立ち止まった。
「相崎……。それに吉野まで。いったいどういうことだ! 」
星川は振り返り、水田に説明を求める。
「私が、相崎さんを呼んだの。だって……篤也が……。突然こんなことするんだもの。私には何も知らせてくれないで、今朝になって急にアメリカに行くだなんて。どうして? 大学だってまだ残ってるでしょ? 」
「もう決めたことだ。おまえが何を言おうと、俺は俺の思うようにする。もうこの家には用はないから」
「そんな。おじさんもおばさんもきっと悲しんでいらっしゃるはずよ。音楽の勉強に行くのなら、大学院を卒業してからでもいいじゃない。なのに、なんでこんなに急に? 」
「だから俺はもう、この家に必要の無い人間だってさっきから何度も言ってるだろ? いい加減にしてくれ。もう時間がない。俺は行くから」
「それは、篤也がおじさんの本当の子どもじゃないから? だからそう言ってるの? 」
水田が真っ直ぐに星川を見据えて、はっきりと言い切った。
「杏子……。なんで知ってるんだ。いつからそれを? 」
「子どもの時からよ。篤也が日本に帰ってきた時から。うちの母親とおじいちゃんが夜中にそんな話をしてて、私、聞いちゃったの。だから……」
「だから、俺を不憫に思って、ずっと面倒を見てきたっていうのか? なるほどね。そういうわけか。さぞかし小さい頃の俺はおまえの目にかわいそうに映っていたんだろうな。本当の父親でもない人と嬉しそうに一緒に暮らしている俺が……。その頃の俺はあの人を父親だと信じて疑わなかった。それなりに幸せな日々だったよ。でも杏子にこっぴどく振られた後、徐々に疑問が膨らんで、高校生になってあれこれ調べ始めて、ようやく最近、全容がわかって来て……。今の杏子の話で、すべてが決着だ」
それを聞いていた沙紀は、困惑の表情を浮かべ、康太に何か訴えかけてくる。
康太もそんな沙紀と視線を絡ませながら、星川の不可解な言動に首をかしげるばかりだった。