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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十四章 フォーレ シチリア―ノ (シシリエンヌ)
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164 急いで

「康太、このチョコ、ほんっとにおいしいね」

「うん。沙紀がこんなに喜んでくれるのなら、もっといっぱい買って、送ってもらえばよかったな」

「ありがと。でもそんなにいっぱい食べたら、太ってしまうよ」

「かまわないさ。どんな体型になったって、沙紀は沙紀だから」

「ええ? そんなの嫌だよ。お腹がぽっこり出ちゃうし、足だって太くなっちゃうし」

「沙紀のことは、もう全部知り尽くしてるんだし、今さらどうなっても大丈夫。今のスリムな沙紀も好きだし、ぽっちゃりした沙紀も多分好きだ……と思う」

「そ、そうなんだ……」


 目のやり場に困ってしまう。

 ついさっきまで、薄明かりの中、すべてを見られ、すべてをくまなく彼の唇でなぞられたばかりだと言うのに……。

 リアルすぎる会話に、思わず頬を染めてしまう。


 今沙紀は康太と共にリビングで紅茶を飲みながら、土産のお菓子をつまんでいる。

 あれからゆうに二時間は経っただろうか。

 ベッドの上で彼は、終始沙紀を気遣い優しかった。

 繰り広げられる数々の行為にとまどいながらも、それはとても幸せなひと時だった。

 もう二度と彼と離れたくなかった。

 そのままずっと抱き合っていたかったけれど、彼に会いたい余り、朝食も喉を通らなかった沙紀にとって、空腹は夢心地気分から現実へと引き戻す。

 そろそろ一階に下りて、何か食べようかと提案するも、康太ときたら、食事よりも沙紀を食べ続けたいなどと言うものだから、なかなか部屋から出られなかったのだ。


 食卓テーブルにつき、チョコやクッキーをほおばりながら、北海道の旅の話をいろいろと聞いた。

 雅人のバイク仲間と現地で落ち合って、北の台地に十台ほどのマシンが連なる様は圧巻だったと、康太が嬉しそうに話す。

 沙紀は康太がまた前のように屈託のない笑顔を見せてくれることにほっとすると同時に、旅に連れ出してくれた雅人の機転の利く配慮に感謝の気持ちでいっぱいになるのだった。

 

 お茶も終わり、そろそろ帰るとするかと言って立ち上がった康太が、リビングのアップライトピアノの上に置いてあるフォトスタンドに目を留め、それを手に取った。


「これ、大学一年の時の、北高合唱部定期演奏会のOB演奏だよな? 」

「そうだよ」


 過去にも何度か彼に見せた写真だ。

 今ごろ急に何を言い出すのだろうと、沙紀は康太の顔をまじまじと見る。


「この指揮をしている星川の後姿、俺にそっくりだと思わないか? 」

「こ、こうた……」


 沙紀は康太の手元の写真を見て、まさしくそのとおりだと思った。

 今まではそんなことを考えもしなかったけれど、言われて見ればよく似ている。

 肩のラインも、腰の位置も、タクトを持つ指先の感じも……そっくりだ。

 ヘアスタイルも同じにすれば、見分けがつかないかもしれない。

 それくらい、よく似ている。


 でも……。当の本人の星川は、木下の子どもではないと言う。

 それも憎しみを(たた)えた目をして、きっぱりと言い切っていた。

 沙紀は今こそ康太にこのことを告げるチャンスだと、康太の腕に手を添えて、彼の名を呼んだ。


「ねえ、康太。星川部長のことなんだけど」

「なんだ? 俺の兄貴に何か? 」


 本当に何もかもふっきれたのだろう。

 余裕の笑みすら浮かべながら、少しおどけてそんなことを言う。


「何? 話してみろよ」

「それが……その……」


 あのね、実はね……と言いかけたとき、食卓テーブルの上に載せてある携帯が無情にも電話の受信を知らせる。

 あ、ちょっとごめん、と言って電話に出た沙紀は、その相手の叫ぶような声に応じるように、すぐに行きます、待っててくださいと大声で返事をした後、康太にすがりついた。


「康太、お願い! 今すぐ水田先輩の家に連れて行って。先輩が、水田先輩が……」


 沙紀の耳に今聞いたばかりの水田の悲痛な叫び声が蘇る。


『相崎さんすぐに来て! 大変なの。篤也がアメリカに行くって言って荷物をまとめてる。もう日本には何も未練はないなんて言いながら』

『私、どうしたらいい。今さらそばに居て欲しいだなんて言えない。あれほど冷たく突き放しておきながら……そんなこと、とても言えない』

『でも、嫌なの。離れ離れになるのは嫌。お願い、一緒に引き止めて。相崎さん、助けて……お願い』


 いつも水田にすがってばかりいた沙紀が、今始めて彼女に助けを求められているのだ。

 このまま放っておくことはできない。


「どうしたんだ? 何のことだかさっぱりわからないよ」


 康太が、沙紀の両腕を掴み揺すりながら問いただす。

 康太にはまだこのことは何も話していなかったのだ。

 彼が不信に思うのも無理はない。


「水田先輩、今日まで知らなかったみたい。星川部長がアメリカに行ってしまうことを……」

「えっ? 何だよ、それ。あいつ、アメリカに何しに行くんだよ。まだ院に行ってるはずだろ? 」

「うん。でも、自分のやりたい音楽の勉強をするために……」

「なるほどな。でも、なんでそんなことで騒ぐんだ。別にあいつらしくていいじゃないか。それがどうしたんだよ。院を途中で辞めるのが納得できないとか? 」

「そうじゃなくて……。わざわざアメリカに行かなければならない動機ってのが、ちょっと……。とにかく一緒に来て。そして、康太も水田先輩と部長に会って欲しい。あたしの言うとおりにして、お願い! 」

「わ、わかったよ。じゃあ、行こう。行き先は、風の森幼稚園の近くでいいんだな? 」

「うん。幼稚園に着けば先輩二人の家はすぐ近くだから。急いで! 」


 車に乗り込んだ沙紀は、この後、きっと康太の力を借りて事態が好転するに違いないと確信めいたものを感じながら、水田の家に向かうのだった。




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