163 やっぱり好き
昨夜、苫小牧からフェリーに乗って日本海側の港に戻って来たと康太から知らせを受けた沙紀は、今すぐにでも康太に会いたくてたまらなかった。
フェリーの到着場から翠台までは高速を使っても三時間はかかる。
真夜中に会うのはさすがに周りの目もあるし康太も疲れているだろうからと、翌日の昼頃に会う約束をして、今か今かと首を長くして待っているのだ。
春江は朝の十時から夕方の六時まで、駅前のカルチャーセンターで受付のパートをしているので不在だ。
康太と心置きなく話が出来る状況に一人にんまりとしてしまう。
ちょうど十一時頃、玄関のチャイムが鳴り、ぱっと顔を輝かせた沙紀はドアのところまで一目散に走った。
ドアの向こうにはどこか照れたような顔をした康太が大きな袋を提げて立っていた。
「沙紀……。久しぶり。はい、これ」
そう言って、袋を突き出す。
日焼けした顔に笑みがこぼれ、白い歯が際立つ。
「あ、ありがとう。おみやげ? 」
「ああ。沙紀の好きな白い恋人と、六花亭のチョコとクッキーのセット。あと、利尻こんぶも」
「うわーー。いっぱい。嬉しいな……」
久しぶりに会えた喜びと、お礼の気持ちを全身で表そうとするものの、どこかぎこちない。
沙紀は目を合わすことなく手を伸ばし、土産ではちきれそうな袋を受け取った。
「じゃあ……」
「ま、待って。康太……」
あっさりと帰ってしまいそうになる康太を、あわてて引きとめる。
「ん? なに? 」
「あの時は……ひろちゃんちの玄関で、理由も聞かないで逃げるようにして帰って……ごめん。あたしがあそこにいちゃだめなような気がして……。北海道からのメールも電話も……嬉しかった」
沙紀はやっとのことでそれだけ言った。
よかったら昼食も一緒に食べようと言いかけたとたん、玄関で向かい合っている康太が一段高いところにいる沙紀を抱きしめてきた。
その瞬間、手にぶら下げていた袋がドサッと足元に落ちる。
「沙紀……。こっちこそゴメン。本当ならすぐにでも沙紀を追いかけて引き止めないとダメなのにな。自分自身のことで精一杯で、そばにいてやれなかった」
より一層、康太の抱きしめる力が強くなる。
「い、いいよ、そんなこと。康太こそ、大変だったよね。あたしなんかより康太の方がずっと辛かったのに」
「辛くなんかないよ。俺は幸せ者だと思うよ。俺は他の誰の子どもでもない、やっぱりおやじとおふくろの子どもなんだって、そう思えたから……」
「康太……」
「俺、バイト辞めたから。もうあそこのレストランには行かないよ。最初からそうするべきだったんだ。これからはすこし真面目にピアノをやるよ」
少し身体を離して見つめ合った。
そしてなつかしいはずの康太の唇がほんの少しだけ、沙紀の化粧っ気のない唇に触れる。
いつもの彼の唇だった。
するとすぐにまた離れて……。
「まさかとは思うけど……。おまえんちのおふくろさん、いないよな? 」
康太は首を伸ばして廊下の奥を覗き込んだ。
「いるわけないじゃん。さっきパートに行ったよ」
「なら、よかった……」
そう言って目を細めると、再び康太の唇が重なった。
そして沙紀の吐息がかすかに震える。
やっぱり好き、康太が好きだと心の底から思いながら、今度はゆっくりと応えていく。
でも、ほんのちょっぴり胸が苦しいのは……あのことがあったから。
康太、ごめんね。
もう康太以外の誰ともこんな風に抱き合ったりなんかしないから。
部長とのこと、許して……。
沙紀は、許しを請うように、何度も何度も自分から康太の唇を求めていくのだった。
「ねえ、康太、こんなところであたしたち、何やってるんだろうね」
久しぶりの康太とのキスを堪能した沙紀は、彼と見つめ合いながら、ふふふと笑う。
「ああ。そうだな」
康太の目も沙紀だけを捉えて微笑んでいる。
「あの……。二階に、行かない? 」
「いいのか? 」
「うん……」
沙紀は康太の手を引き、自分の部屋へと導いていく。
本当なら、先週の旅行の時に、彼とこうやって二人の時を過ごしていたはずだった。
それが少し先延ばしになっただけ。
沙紀は心の中でそう繰り返し、彼を部屋に招きいれた。
「沙紀……」
「何、康太? 」
「ああ、好きだ。沙紀のことが、やっぱり好きでたまらない」
そう言いながら再び抱きしめられる。
「あたしも好きだよ。こんなに長い間、離れていたの初めてだったけど。あなたのことが恋しくて、苦しくて。どれだけあなたを愛しているのか、思い知った毎日だった」
「俺も同じだよ。なあ、沙紀。いいのか? このままだと俺。おまえのすべてを奪ってしまうかも」
「いいよ。ずっと、何年も。あなたを待たせてしまったんだもの。あたしこそ、今までごめんね」
「沙紀……」
抱き合ったまま、二人してベッドに倒れ込んだ。
それからは。
いつものように、お互いを求め合い、そして……。
もう一つ先の停車場へと、二人の乗った馬車がゴトゴトと積み荷を揺らしながら前へ前へと進んでいくのだった。