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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十四章 フォーレ シチリア―ノ (シシリエンヌ)
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162 北のたより

 沙紀へ


 今、利尻(りしり)島にいる。

 昨日は礼文(れぶん)島で一泊して、今朝港で、日本一派手な見送りを受けた。

 そうだ、突然こんなメールしてごめん。

 実は今、雅人兄さんと北海道に来ている。

 いろいろ苦しんだけど、今日、利尻の海岸線を走って、すべて吹っ切れた気がした。

 それと、青山のことは、本当に何もない。

 バイト仲間で、昔のよしみで。

 それ以外の付き合いはないし、特別な感情も何もないから。

 

 家までの道を歩いていた彼女を俺の親父が見つけて、車に乗せたまでのこと。

 青山のおばさんも全部わかって言ってるんだ。

 青山が好きな人は店長なんだ。

 店長を尊敬して、そして彼の元で働きたい。

 そんな純粋な気持ちを全うするため青山は母親と対峙しているんだ。


 十時頃電話する。

 沙紀に知らせたいことがあるんだ。

 びっくりする内容だぞ。

 二時間ドラマやアカデミー賞受賞の映画どころの騒ぎじゃないからな。

 覚悟しておくように。

 じゃあ、後ほど。



 沙紀は口をぽかんと開けたまま、何度もそのメールを読み返した。

 ほ、北海道? 利尻、礼文って……。

 目の前がチカチカして、沙紀の脳は容量いっぱいの警告音を発する。

 そして、美ひろが好きな人が店長だとも書いてあった。

 康太ではなく、店長だと。


 ますますわけが分からない。

 あの店長はどう若く見積もっても、三十はとっくに越えている。

 もしかしたら、妻子だっているかもしれない。

 じゃあ、そのことも知ってて、美ひろの母親は康太とのデマをさも真実のように告げたとでも? 


 沙紀はパニック寸前だった。

 友人の恋のことや、康太の旅のこと、その上、びっくりするような内容の話って……。


 時計を見た。

 大変だ。あと三十分ほどで十時になる。

 大急ぎでシャワーを浴び、麦茶と携帯をベッドの横に用意して、受信音が鳴るのを今か今かと待った。




 沙紀は身体中の力が抜けて、くたくたになって電話を切った。

 走ってもいない。

 声を出し続けたわけでもない。

 ただひたすら、彼の話を聞いていただけだった。

 それなのにこのとんでもない疲労感と悲壮感に打ちのめされるのだ。

 ここがベッドの上でよかったと思う。

 それは、立っている事もままならないくらいの、衝撃的な電話の内容だった。


 康太は父親の慶太からすべてを聞かされたという。

 というか康太のしつこさに根負けして、母親には内緒ということで真実を教えてもらったらしい。


 夏子にピアノの手ほどきを受けていた慶太が彼女に一目ぼれして、何度もアタックしてあきらめかけた時に、彼女が妊娠していることを告げられたという。

 もちろん、慶太の子どもではない。

 その時、夏子が師として慕い、尊敬もしていたピアノ講師兼声楽家だった木下との間に出来た子供だったらしい。

 木下にはすでに心に決めた人がいたが、仕事に熱中するあまりその人に愛想をつかされ逃げられた丁度その時、弟子でもある夏子と深い関係になった。

 でも二人の間にあるのは音楽に対する憧憬とお互いを尊敬し合う気持ちだけだというのにいち早く気付いた夏子が、木下からのヨーロッパへの帯同の誘いをギリギリまで悩んだ末断り、そばで支え続けてくれた慶太に寄り添っていくことに決めたという。

 もちろん慶太は、すべてを知って、理解して、夏子を受け入れたのだ。


 愛する人は、その全てが愛おしい。

 身ごもっている子どもが自分の子どもでないとしても、生まれてきた康太は本当にかわいくてしかたなかったと涙を流しながら語ったという。

 そして、何があっても、誰が何と言っても、康太は自分の子だと言い張ったのだと……。

 康太はその時、自分の父親はやはりこの人だと、慶太しかいないと心の底からそう思ったと言い切った。


 そして、それと同時に星川が実の兄であることも、しっかりと受け入れることにしたと言うのだ。

 だが……。星川は確かに言ったのだ。

 自分は木下の子ではないと。

 沙紀はそのことを康太にどう説明するべきかと迷った。


 ただ、康太の話からすると、どう考えても星川はやはり木下の子どもでしかありえないのだ。

 夏子は木下にすでに子どもがいると言うことも知っていたらしい。

 木下が同棲していた彼女と別れてから生まれたその子の写真はどう見ても木下に瓜二つだったという。

 そして木下もそれを認めていた。

 彼女がいくら口を閉ざそうとも、この子の父親は自分以外ありえないと。


 ただ、その同棲していた彼女がその子の父親が誰であるかを一切誰にも言わなかったし、木下に責任を求めることもしなかったらしい。

 二人の同棲を知っていた親同士が、子どもも出来た事だし、なんとか結婚させようと仕向けたようだが、それでも彼女の意思は固く、一人で子どもを育てると言って訊かなかったそうだ。

 その二人が復縁しているというのを夏子が知ったのは、ドイツに行ってからだった。

 高校の入学式でピアノを弾いていた少年の名前を手元の式次第で確認した時、胸騒ぎがしたそうだが、星川という苗字は日本中にはたくさんあるだろうし、まさかそんな偶然があるはずがないと思い、深追いしなかったとも言っていた。


 もし何か事情があって、星川が親子関係の事実を誤認していたとすれば、これはこれで大問題ではあるのだが。

 このことはまた康太が帰ってから直接話したほうがいいかもしれないと沙紀は思い直し、その事には触れずに電話を切ったのだった。


お読みいただきありがとうございます。

文中にあります日本一派手な見送りの宿は、礼文島の桃岩壯というユースホステルのことです。

私も社会人になってから学生時代の仲間たちと行ったことがあり、さまざまなパフォーマンスに感銘を受けました。

各地から集まった人々との話も楽しく、忘れられない思い出の地でもあります。

利尻島は自転車で一周しました。

さわやかな風に美しい海。思い出しただけでも涙が出そうになるくらい素敵なところでした。

康太の心も癒されたのではないでしょうか……。

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