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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十四章 フォーレ シチリア―ノ (シシリエンヌ)
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148 小競り合いの夜

康太視点になります。

 沙紀に電話すら取ってもらえない康太は、今夜は友人の家に泊まると言って先に店を出た青山を見送ると、店長の小崎のおごりで、店で一番人気の創作料理を一人でもくもくと食べていた。

 まさか沙紀が車から外に出て、すべての事の成り行きを実際に見ていたとは、想像だにしていなかった。

 青山の母親のあの過激な口撃には、もう誰も太刀打ちできない。

 あの時、沙紀が逃げ出したのも無理はないと思う。

 にしてもあの足の速さには苦戦した。

 単純な速度であれば、康太の方が明らかに速い。

 けれど、コーナーの回り方や、障害物の避け方、とどめは信号機をも味方に付けるタイミングの合わせ方にいたっては、完全に康太の上をいっていた。

 あと少しというところで彼女を留めておけなかったことが悔やまれる。


 家に帰ったのだろうか。

 そうでないとすれば井原の家に行ったのかもしれない。

 食事が済み次第沙紀のいるところに直接出向き事情を説明すれば、全ての誤解はすぐに解けるなどとのん気に構えていた。

 康太にしてみれば、青山の母親の言ったことなど、すべて事実無根なことばかりだ。

 沙紀だって冷静に考えればそれくらいすぐにわかってくれるだろうと安易に結論付けていた。


 食事を終え、修羅場に巻き添えを食った形になった康太にしきりに詫びを入れる小崎をよそに、ポケット内で鳴った携帯を取り出し、意気揚々と着信相手を確かめる。

 沙紀に違いないと思っていた電話の相手は、見事に裏切られ、木下という名まえがそこに表示されているのを見て、康太は違和感を覚えた。

 次のピアノのレッスンは一週間後の予定だ。

 教授自らの電話に、何があったのだろうかと首をひねりながら立ち上がった。

 康太は小崎に食事の礼をして店を出ると、車に向かいながら教授と話し始めた。


「もしもし、吉野です。こんばんは」

『ああ、吉野君、こんばんは。今ちょっといいかな? 』


 木下の声の調子からすると、取り立てて気を揉むような内容ではないと察した康太は、ふうっと息を吐いて肩の力を抜き、大丈夫ですと答えた。

 いくら友人だと言っても年齢も違い過ぎるし、大学教授である事実は揺るがない。

 やはり突然の電話は、交友歴が重ねられた今でも緊張してしまう。


『以前から言っていたあの話のことだけど、考えてくれたかい? そろそろ申し込まないと締め切りが近いからね。学生最後の思い出に是非とも出てみないか? 』


 康太は木下の言いたいことをすぐに理解した。

 三年に一度あるという、地方都市の国際ピアノコンクールのエントリーのことだと。


「でも、僕は音大生でもないし、ピアノ一本でやってるわけでもないので……。予選落ちするのをわかってて申し込むのも、なんか違うような気がして……」

『別に予選落ちでもいいじゃないか。そこが君の一番の強みだってことに気がつかないのかい? 音楽だけをやってるやつにとってはそれこそ命がけのコンクールかもしれない。これで入賞しないと、もう先がないし、つぶしが効かない、という若者がほとんだよ。でも君はピアノが好きという気持ちだけでやっている。純粋な気持ちでピアノに向かっているんだ。楽しめばいいじゃないか。君の演奏をいつも私だけに聴かせて、もったいないと思わないか? 賞レースに加わるだけが目標じゃなく、みんなに聴いてもらえるチャンスだと思えばいい』

「それはそうですけど、そんな中途半端な気持ちで出ても……」


 そうは言っても出場するからには康太とてプライドがある。

 いくら音大生でないにしても、それは何の言い訳にもならない。

 優勝を目指さないコンクールならば、出ない方がましだ。


『わかった。じゃあ、出るからにはトップを目指してもらう。その方が君にはいいのかもしれない。きれいごとではなく、真正面から賞レースにぶち当たるんだ。この先レッスンが厳しくなるがそれでもいいか? 』


 この数年のレッスンで康太の性格を知り尽くした木下は、正論で真っ向から攻めてくる。

 若い頃の自分にそっくりな性分のこの若造を落とすことくらい、容易(たやす)いとばかりに、ぐいぐいと康太の領域に入りこんでくる。


「もう、僕にはコンクールに出ないという選択肢は用意されていないようですね。……では、次のレッスンまでに返事します、というか。……わかりました。出ます」

『よし、それでこそ、私の友人だ。そうと決まれば、話は早い。書類はこっちでそろえておくから。顔写真の準備、よろしく頼むよ。……それで、参考までに聞いておきたいんだが、えっと、生年月日は、平成何年かな? 息子より二つ年下だからプラス二年でいいと思うのだが。ちなみに息子は七月生まれだ。それで合ってるだろ? 』

「はい。僕は四月二十日生まれですから、息子さんの生まれた年度プラス二年で大丈夫です」

『そうか。わかった……平成……年の……しがつ……はつか、と』


 木下は康太の生年月日を早速メモしているのだろう。

 木下の強引な口車にうまく乗せられた感じもしないではないが、康太の覚悟はほぼ固まりつつあった。

 雅人にもずっと出るように勧められていたコンクールだ。

 腕試しはもちろんだが、自分の解釈や技術がどこまで世間に認められるのか、それを知る最短の機会でもある。

 過去の参加者を調べてみても、どの人たちも輝かしい経歴を持っている。

 そんなつわものの中に混ざって戦いを挑むのだ。

 今のままでは到底勝ち目がないのはわかっていた。

 けれど、今回の初出場を足掛かりに、参加資格のギリギリの年齢まで挑戦する長期計画も悪くないなと思い始めていた。


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