147 浮気する生き物
「私もね、中学生になったばかりの頃までは、まさしく姉御肌で見かけも性格もまるで男みたいだったのね」
「し、信じられないです……」
「この話をしたら、みんな相崎さんみたいな顔をするの。信じられないって。それでね、まあ、いろいろあって、ある時を境に百八十度生き方が変わっちゃったんだけど。どうあがいても、もうあの頃みたいにはなれない。今思えば珠玉の思春期時代だったのかもしれないわ。でもね、あの頃の私も正真正銘、自分自身だし、今もやっぱり自分自身なのよね。中身は何も変わっていない。あなたもそうでしょ? 」
「ええ……。まあ」
「人間ってね、心の中までそうそう頻繁に変えることなんてできないのよ。見かけは天と地ほど変わっても。だから吉野君も、心変わりしてないと思うんだけどな……」
沙紀も出来ることならそう思いたかった。
でも、美ひろと康太が密会していたところを見たという目撃者までいるのだ。
それもただの密会ではない。
車の中で二人が誤解されても仕方がないようなふしだらなことをしていたと……。
こればかりは弁明の余地はない。
「でも……。男の人って、浮気性だって。好きな人がいても、長い間会えなかったりすると、すぐに移り気になるって、友達が言ってました」
「まあ。誰? そんなこと言う人は……。もしかして井原さん? 」
「そうです……」
沙紀は前にまどかが男性論を力説していたのを思い出していたのだ。
結局、いつの間にか葉山と恋人同士になっているまどかが、彼がすぐに後輩たちに甘い顔をすると言って怒りを爆発させ、沙紀はその愚痴聞きを定期的に行なうのが恒例になっていた。
恋愛指南本を片っ端から読み漁っている彼女の口から、男ってそもそもが浮気する生き物なのよ、と事あるごとに聞かされていた沙紀は、今回の事件はまさしくまどかの言う通りではないかとあきらめの境地に至っているのだ。
吉野のような一見真面目そうな男こそ、要注意だと、まどかのアドバイスはぬかりない。
「ふふふ。彼女なら言いかねないわね。ただし、それは一般論よ。だからと言って誰にでも当てはまるとは言えないわ。吉野君はそのようには思えないけど」
確かに水田の言うことにも一理ある。
沙紀は康太がどれだけ一途に自分を愛してくれているのかは一番よくわかっているつもりだった。
何年も付き合った恋人同士ならばとっくに越えているだろう一線も、まだ守り通してくれているのだ。
沙紀にしてみれば、ほぼそれに等しい行為もすでにあるのだし、そこに何としてもこだわっているというわけではないのだが、身体を気遣ってくれる康太に不満などあるはずもなく。
でも……。もしそれが逆に康太を苦しめているのだとしたら。
そして他の女性にそのはけ口を求めているのだとしたら……。
沙紀の心はやりきれない思いで、ぎゅっと締め付けられてしまうのだ。
それも、見知らぬ相手ならまだしも、誰よりもよく知っている美ひろときている。
浮気の中でも最もタチが悪い。
「あの……。先輩が今まで付き合って来た彼氏はどうでしたか? 浮気とかありましたか? 」
その相手が星川だという願いもこめて、失礼を承知で訊ねてみる。
「え? 私? ど、どうだろう……。あのね、相崎さん。なんかこんな事言うの、恥ずかしいんだけど。私ね、この年になるまで、まだ誰とも付き合ったことなんてないのよ。だから、浮気とか、まだ未経験。ごめんなさいね、参考にならなくて。でもね、友だちの話や、身近な人たちを見てても、みんながみんな、井原さんが言うような男の人ばかりじゃないし。だから、私の意見は一般論として受け止めて」
「あ、ご、ごめんなさい……。あたし、こんな事、ずけずけと訊いちゃって……」
「いいのよ。そうね、じゃあ、身近な所で。とある男の友人の話だけど。あ、そこは誰だって追及しないでね。ふふっ。彼が言うには。もちろん、世の中には大切な人がいても魔が差して浮気しちゃう人もいるけど、その人は絶対に浮気はしないって言ってた。ちゃんと一人ずつけじめをつけて、次に行くって。なんか堅苦しいけど、そんな人もいるってことで」
「そ、そうなんですか……。いろいろなんですね」
沙紀は水田が言う所のその友人が誰であるのかはすぐに予想が付いた。
星川なら言いそうなことだ。
「相崎さん、吉野君のこと、勝手にあれこれ考えていても何も解決しないわ。それで、明日の旅行はどうするの? 待ちに待った二人きりの旅行なんでしょ? 」
「そのことなんですけど。このままじゃ、とても行けそうにないです。友人のおばさんが言った疑惑が晴れない限りは、康太を許すことはできません。彼が、あたしの古くからの友人を車に乗せていることはまぎれもない事実なんですから……」
沙紀は真っ直ぐに水田を見て、きっぱりとそう言い切った。
「わかったわ。なんだか切ないわね。楽しみにしていた旅行なのに……」
「はい……」
「本当にそれでいいのね? 」
「……はい」
「じゃあ、今夜はうちに泊まっていけばいいわ。そうそう、家に電話する時、私にも代わってね。正々堂々とアリバイを証明してあげるから、ふふふ」
その夜、水田と布団を並べて眠りについた沙紀は、ここに来て本当によかったと、心の底から彼女に感謝するのだった。
夢にまで見た明日の旅行は。
とうとう実現することなく、幻に終わってしまった。