表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十三章 ドヴォルザーク スラブ舞曲
138/188

136 けじめ

 沙紀は家に帰ってからもずっと星川のことを考えていた。

 誰にも愛されずに、小さい頃から自分しか頼れる者がいなかった……。

 星川は自分がそうだったと本当に思っているのだろうか。 

 沙紀はどうも腑に落ちないのだ。

 彼の両親は健在で、人格的にも申し分のない人たちだ。

 なのにそこに軋轢(あつれき)が生じているなどとはどう考えてもそうは思えない。

 園長は仕事には厳しいが、どんな時であっても笑顔を絶やさず、教諭にも保護者にも、もちろん園児にも優しく、理不尽な無理強いをすることもない。

 沙紀が遅くまで翌日の保育の準備をするのも、園長に叱られるからだとか、他の先生方に気を使っているとかではない。

 どういうわけか、いろいろやりたくなってしまうのだ。

 園児たちの喜ぶ顔や、一生懸命取り組む姿が見たいからこそ、ついついがんばってしまう。

 先輩の先生方のように的確な指導が出来るようになりたい一心で、試行錯誤する毎日なのだ。

 そんな中、相崎さん、もう帰りましょう、ここは私がやっておきますから、といつも気遣ってくれるのは、園長の方だった。

 そんな園長と、星川がいがみ合っているとは信じがたい。

 高校生の時にコンサートをした時も、親子関係は良好そうに見えた。


 とすると。

 やはり、教授である父親と何かあると考えるのが妥当ではないかと思いいたる。

 海外にいて、寂しい思いをしたという過去がずっと尾を引いているのだろうか……。


 沙紀はその夜、もう何をする気も起きなかった。

 あれほど打ち込んでいた実習の日々だったのに、指導計画も何もかも、もうどうでもいいと思った。

 またあんな風に星川が自分にかかわってくるのなら、明日からあの幼稚園に行きたくないとまで思ってしまう。


 ぽっかり空いた心の空洞を埋めてくれるのは、やはり彼しかいない。

 沙紀は康太がバイト中であるのを知りながらも、声が聞きたくてたまらなくなっていた。

 休憩時間に電話をくれるようメールに伝言を残す。

 そして彼からの連絡を待った。

 睡魔に襲われながらも待ち続けたのだが……。

 沙紀の努力も虚しく、結局連絡を受けることなくそのまま眠ってしまい、いつもの朝を迎える。

 携帯にはメールがひとつ届いていた。



 電話できなくてごめん。

 新しいバイトにまだ慣れない。

 自分のためではなく、客のため、店のために弾くことの難しさと苦闘している。

 また連絡する。

 おやすみ。沙紀。



 それだけだった。眠って正解だったのだ。

 起きていたとしても待てど暮らせど電話なんてかかって来なかったのだ。

 沙紀は、あきらめにも似たため息をひとつつくと、早朝の少し湿気を含んだ空気を胸に吸い込み、重い足取りで風の森幼稚園に向ったのだった。



 ようやく実習も最終日を迎え、反省会と称する実習生お別れ会が行なわれていた。

 概ね沙紀の実習の成果は認められ、将来、現場での活躍を期待していますね、と担当の先生からも労いの言葉を掛けられる。

 子ども達との別れの時にあれほど泣いたというのに、またもや先生方の優しい言葉に涙腺が緩み始める。

 決して納得のいく実習結果ではなかったが、最後までやりきった達成感と充実感は得ることが出来たのだ。

 先生方ひとりひとりに感謝の気持ちを伝え終わると、幼稚園を後にする時が刻々と迫ってくる。

 沙紀はみんなが帰り支度を始めるのを見計らって、こっそりと園長室に足を運んだ。

 いろいろ迷ったのだが、借りを作らないためにも、これだけは最後にやっておきたかったのだ。


「あら、相崎さん。どうしたの? まだ何かあるのかしら? 」


 ノックをして部屋に入ってきた沙紀を見て、園長は不思議そうにまばたきを繰り返した。


「す、すみません。園長先生。ひとつだけお願いがあるのですが……」


 沙紀は言いにくそうにして園長をチラッと見た。


「まあ、何かしら。どうぞ、何でも言ってちょうだい」


 よく見ると星川にそっくりな口元をふわりと緩めて、優しく微笑む。

 実習期間で見慣れたといっても、やはり園長の美しさは同じ女性であってもついつい見惚れてしまうほどだった。


「あのう、これなんですが……」


 沙紀はカバンの奥から小さな包みを出して園長に差し出した。


「これは? 」


 園長は怪訝そうに首を傾げる。


「星川部長に、これを渡していただけませんでしょうか。実習中にお世話になったことがあって、気持ちばかりのお礼の品です」


 決して値の張るものではない。それは男性用のハンカチだった。

 星川に車で送ってもらった後、あんな別れ方をして、それがずっと心のどこかに引っかかっていたのだ。

 沙紀が星川に訊ねたことは、決して間違ってはいなかったと思う。

 彼が心を許す相手は沙紀ではないとわかってもらうためにも必要だった。


 しかし、送ってもらった親切にはきちんと礼を尽くさなければいけない。

 それにこのままだと借りを作ったままになってしまう。

 きちんと線引きをするためにも、けじめとして感謝の意を告げたかったのだ。

 でもさすがに本人に直接渡すのだけは避けなければならない。

 実習も無事終わったことだし、部長の母親としての園長にこと付けるのが一番いいと判断したのだ。

 園長は包みを手にすると、神妙な面持ちになって困惑の表情を浮かべていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ