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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十三章 ドヴォルザーク スラブ舞曲
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133 誰なの?

 風の森幼稚園での教育実習もようやく一週間が過ぎた。

 沙紀は配属された年長クラスの片付けを終え、明日の絵画製作の準備を整えていた。

 まだまだ何をするにも時間がかかってしまう。

 他の保育室の先生達がすでに準備を終え、帰宅し始めているというのに、当分終わりそうにない自分の手際の悪さに、大仰なため息をひとつつく。

 担当の先生にあなたが最後よと言われて、半ば追い出されるように幼稚園を後にする。

 続きは明日の朝早めに来てやるしかないと腹をくくった。


 この一週間、毎日がこんな調子だ。

 朝は誰よりも早くやってきて、夜は最後まで居残る。

 帰宅後は、翌日の指導計画の作成のために朝方まで机で頭を悩ます日もある。

 幼稚園への往復途中は子ども達に教える新しい季節の歌の歌詞や読み聞かせ絵本の暗記で、居眠りすらままならない。

 そして家で少しだけ眠ってまた幼稚園へと、とんでもなくハードな日々を送っているのだ。


 もちろんこの間、康太とは一度も会っていない。

 彼もバイトが遅くまであるので、真夜中に窓越しにしゃべるわけにもいかず、短いメールをやり取りするのが関の山だ。

 その前は康太の小学校の実習があり、ほとんど会えなかった。

 沙紀のベッドからほんの数メートル先に康太が眠っているというのに、なんという遠距離恋愛なのだろうと思う。


 いつの間にか日が落ちあたりが暗闇に包まれる中、幼稚園の門を出るころには、沙紀の疲れもピークに達する。

 足元がふらつき、あまりの眠さに歩いたまま寝てしまいそうになる。

 そんなことも含めて、何もかもが生まれて初めての体験の連続だ。


 バス停までのたった数百メートルの距離がとんでもなく長く感じるのも、疲労と緊張のせいなのだろう。

 その時、後ろから鳴き声が聞こえてきた。

 初めは遠くの方からだったのに、段々と近付いてくる。

 沙紀が後ろを振り返ると、電柱の影に白い生き物が止まっているのが見えた。

 そしてわざと数歩前に進むと、その生き物も同じだけ前に進み、沙紀が止まったとたんその動きも止まる。

 常に同じ距離を保ちながら後をついて来るその生き物は、どこか見覚えのある姿をしていた。

 もしかして……。


「……あっくん? 」


 沙紀がそう呼ぶと、にゃあーと小さく鳴いて、足元に擦り寄ってきた。

 やっぱりそうだった。水田先輩の白い猫だ。

 このあと交通量の多い大きな交差点を渡らなければならないので、もしこのままついてきたら危険だ。

 沙紀は腰をかがめて猫に言い聞かせるようにゆっくり話した。


「これ以上はだめだよ。早く家にお帰り。水田先輩が待ってるよ」


 沙紀の顔をじっと見て、再びにゃあーと鳴いた。

 まるで返事をするかのようにベストなタイミングだった。

 もうこれで大丈夫だろうと前を向き歩き始める。

 そして信号のところまで来た時……。

 しっかりと決まった間隔をキープしながらまたもや彼女のあとをついて来るのだ。

 あっくん、だめだよ、と言ってそばに近寄り抱き上げると、沙紀はしぶしぶ来た道を戻って行った。

 いつもこうやって水田に抱かれているのだろうか。

 いやがりもせずに沙紀の懐でじっとしている。

 時折、甘えたように、にゃあと鳴くのも忘れずに……。


 幼稚園の門の手前の路地を曲がって、一度だけ行ったことがある水田家を目指す。

 幼稚園の敷地が広いため、かなり奥まで行かないとたどり着かない。

 いくらスマートで小さめの猫だと言っても、沙紀の細い腕に重みがずっしりとかかり、足が思うように前に進まない。

 ここで下ろそうかとも思ったが、またついてきたら永遠に同じことを繰り返さなくてはいけない。

 沙紀はなんとか家の前まではがんばろうと、そのまま歩き続けた。


 前方から車のライトが照らされる。

 沙紀は狭い車道の端に寄り、車がすれ違うまで猫を抱いて立ち止まっていた。

 そしてまた歩き始める。あともう少しだ。


 すると、沙紀のすぐ後方でさっきの車が止まり、ドアがパタンと閉まる音がした。

 そして、靴音と共に、誰かがこちらに近付いてくるのがわかった。


 な、何? 誰なの? もしかして、変な人? 

 街灯も少ない慣れない路地で、身体じゅうが心臓になったような錯覚を覚えながら、沙紀は恐怖に(さら)されていた。

 陸上を辞めてから膝の調子はまずまずだ。

 ここで猫を下ろし、ダッシュするべきかと、ものの数秒の間にあれこれシミュレーションをする。

 そして勇気を奮い起こして後ろを振り返った。


「やっぱり、君か……。相崎だろ? 」


 沙紀はその人をじっと見た。

 暗すぎてあまりよくわからなかったが、その声の主はきっと星川に違いない。

 髪は以前より長くなり、幾分明るく見える。染めているのだろうか。

 星川に限ってそんなはずはないともう一度目を見開いて、じっと見つめ直した。


 シロ、さあおいでと手を伸ばし、沙紀の腕から猫を抱き取った時、立ち位置が変わり、星川の上半身がはっきりと沙紀の目に映る。

 まるでその姿は、どこかのロックグループのメンバーのように華やかで、赤みがかったゴールドの髪をした星川がそこにるではないか。


「ぶ、部長……」


 怪しい人じゃなくて良かったとホッとしたのも束の間、あまりにも以前と違う星川の姿に、沙紀はただただ唖然とするばかりだった。


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