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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十二章 ショパン ノクターン変ロ短調 作品9-1
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129 いびつな親子

「こんなところで、何やってるんです? 」

 

 星川は目の前の状況がすぐには理解できないのだろう。

 木下教授を疑わしげな目つきで睨みつける。


「あっ、いや。おまえにはまだ言ってなかったが、その、吉野君とは、面識があってな……」

「……確かにそのようで」

「彼との経緯を話せば長くなるが、吉野君は私の友人の一人だ」

「友人? 」


 ますます星川の視線が厳しさを増す。

 自分の息子より年下の学生を友人だという父親に懐疑心を抱いているのだろう。

 それは当然だ。

 がしかし、教授がそう言うしかなかったのもわかる。

 偶然、ここの楽器店で出会い、親交を深めるうちにレッスンまで受けるようになった。

 言い方を変えれば、同じ趣味を持った人間が共感し合い、その内容を高めるために、それぞれの情報を開示して同じ時を過ごしているということだ。

 趣味仲間の会合にその一方の家族が足を踏み入れ、発覚しただけのことにすぎないのだが。


 星川は、教授の前に呆然と立ち尽くしている康太に近付き、話しかけてくる。


「……吉野。君とはよほど縁があるみたいだな。その人とどういう関係があるのかは知らないが、結局、何も知らなかった俺は蚊帳の外というわけか。まさか、その人の息子が俺であることは知らなかったとか、ないよな。今の君の様子を見る限りでは、すべてを知ったうえでここにいると、俺は読んだのだが」

「あ、はい……」


 この期に及んで、知りませんでしたなどと嘘をつくのもしらじらしいし、そうするつもりもなかった。

 いつかは知られるとは思っていたが、まさかその日が今日で、こんな形で訪れるなどとは全く持って想定外だった。

 そんな中、康太は、星川の意外な言い回しに何か引っかかる物を感じた。

 父でもなく、おやじでもなく、その人と言ったのだ。

 親子関係にも何かねじれが生じているのかと疑わざるを得ない。


「篤也。おまえに黙って吉野君と交友関係を持っていたことは謝る。でも吉野君にその言い方はないだろう。かりにもおまえの高校の後輩じゃないか。もっと言いようがあるだろう。別に隠しておくようなことでもないから言ってしまうが、私は彼の音楽性を高く評価している。夏にひょんなことで吉野君の演奏を聴く機会があって、それからの付き合いだ。僭越ながらアドバイスをさせてもらっているのだよ。けれどそれは子弟関係とは全く別物なんだ。彼はすでに生徒の域は超えてしまっている。私なんかよりずっと技術的にも優れているんだよ。そんな人物が、聞けば、ピアノとは全く違った道を生きているというじゃないか。放っておけるわけがない。かと言って、無理やり彼の人生を変える権利は私にはない。それでこのような形で、吉野君と時々時間を共有しているということだ。彼の解釈は私にも勉強になるし、いい刺激にもなる。今夜もここのレッスンルームを借りて、ピアノを聴かせてもらっていた。それだけだ」


 星川は何も言わず、ただじっと教授の話を聞いていた。


「星川さん。俺の態度を不快に思われたのなら謝ります。すみませでした。でもこれは俺と教授の問題ですから、星川さんには関係ないとわりきって、今までレッスンしてもらっていました」

「もちろん、何をしようが君達の勝手だ。俺には関係ない。でも吉野。君は音楽よりも別の人生を選んだ。どういった理由かは知らんが、現に教員を目指している立場なんだろ? なのにこの人を利用するのはおかしいんじゃないか? 」

「では聞きますが、音楽とは関係ない仕事や生き方を持った人間が音楽を続けるのは、ダメなんでしょうか? 教員であれ、会社員であれ、誰であっても好きならば音楽をやってもかまわないと思うのですが」

「ははは……。なに話をすり替えている。今君が言ったのはあたりまえのことだ。趣味で誰が何をやろうが俺の知ったことじゃない。違うだろ! そうじゃないだろ? 君が一番わかっているはずじゃないか。俺がどれだけ努力しても乗り越えられない物を、君は高一のあの時すでにクリアしていた。なのにその先を目指さず、周りをやきもきさせて、挙句この人まで巻き込んで」


 星川は教授をちらっと見て、再び康太を見据える。


「それでいい大人が二人してピアノごっこか? あきれて物も言えないよ」

「篤也! おまえ、いったい何が言いたいんだ。どうしておまえはいつもそうやってひねくれたものの見方しか出来ないんだ。私は昔からずっと言い続けてきたはずだ。おまえがピアノを志すのなら私の持っているもの全てをおまえに注いでやると。でもおまえはいつだって拒んで、私から逃げてばかりだった。おまえがもし、それを後悔してるのなら今からでも遅くはない。明日、私の研究室に顔を出せ」


 前に立つ康太の肩を手で押すようにして廊下の端にやり、教授が星川ににじり寄る。


「勘違いしないで欲しい。俺はいつだって後悔なんてしたことはない。あなたの手を煩わせるようなことはしませんから。まあ良かったじゃないですか。息子がふがいないから、希望通りの後継者を見つけられたってところですか? 俺と違って、素直でやりやすい……」

「こ、コノヤロウ……」


 いつもの穏やかな教授はもうどこにもいなかった。

 目を血走らせ、口をゆがめ、星川の首元のシャツを締め上げる。


「……殴りたければ殴ればいい」


 顔色一つ変えず教授に対峙する星川が康太の目に奇異に映る。

 この二人は本当に親子なのかと勘ぐりたくなるくらい異様な光景だった。

 挙句星川は、親に向ってあなた呼ばわりだ。

 どこまでも父親を敵視するような星川の態度に根深い物を感じる。

 他人である康太には二人の間に存在する溝を埋めることなど不可能にも等しい。


 咄嗟に後ろから羽交い絞めにして今にも息子に殴りかかろうとする教授をどうにか寸前で止めた康太は、その時後ろを振り返った教授の言いようのない悲しそうな目をその後もずっと忘れることができなかった。



 康太はその日を最後に、ばったりと星川の姿を見なくなった。

 沙紀の情報によれば百合の葉学院には在籍しているのだが、北高音楽部OB会にも顔を見せなくなったらしい。

 教授とのレッスンはその後も続けていたが、お互いあの日の出来事には触れないまま時が過ぎていくのだった。


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