119 うつろな瞳
沙紀はその日、いくつもの朝日を見た。
次第に輝きを増し、海をきらめかせながら昇って行く朝日はもちろんのこと、車に乗ってからも、カーブの合間に、重なり合う山の端に見え隠れする恥ずかしがりな朝日や、山の頂上から光のシャワーを惜しげもなく降り注ぐまばゆいほどの自信に満ち溢れた朝日もあった。
康太と一緒に見る朝日は、どれも沙紀の心に深く染み入る。
橋の上から見る朝日を浴びた静かな瀬戸内の海も圧巻だった。
さっき見た海面に浮いていた物は牡蠣の養殖筏のようだ。
ぽっかりと水面に浮かぶ様は、どこかよその国に来ているような錯角さえ憶えるほど幻想的かつ神秘的で、この橋が現実と夢の世界を結び付ける、天空の橋のように思えてならないほどだった。
ここの朝日を彼女を連れて見に来いなどと、どんな顔をして彼の父が息子に言ったのだろう。
思わずにやにやしながら、その時の様子を勝手に想像してしまう。
こんな朝日を見せられた日には、誰だってその相手への想いはマックスに膨れ上がるに決まっている。
たとえこの小旅行が、夕べの星川への嫉妬心がきっかけになって衝動的に取られた行動だとしても、沙紀は康太の気持ちが嬉しくて仕方がなかったのだ。
そのまま車は南西方向へと進み、海辺の町に入っていく。
朝食を取るため康太の車はペンションのようなカフェにたどり着く。
町の高台にあるそのカフェは辺りの海を一望できる場所にあった。
なるほどここが日本のエーゲ海かと唸らせるほどの海の青さだ。
まだ日本の海も捨てたもんじゃないなと沙紀は少し興奮した面持ちで向いに座る康太を見る。
「どう? 気に入った? 夏は海水浴も出来るんだ。来年の夏は泳ぎに来ようか……」
「うん。ねえねえ、まどかちゃんたちも誘って来ようよ。葉山君と運転を交代すれば康太も疲れないしね。あ、あの二人はどっちかと言えば、まどかちゃんの方が運転するタイプかも。葉山君はあたしと一緒でペーパーって言ってたっけ」
「あはは。でも、やっぱ俺、沙紀と二人がいいな。来年の夏こそは、二人で旅行に行きたい……」
康太の口元は笑みを浮かべながらも、その目はとろんとして、今にも瞼が閉じそうになっている。
ふあーーーと力ないあくびを幾度も漏らしながら、うつろな瞳をこちらに向ける……。
夕べ沙紀が助手席で寝てしまった間も康太はしばらく運転を続けていたのだろう。
多分彼はあまり寝ていないはずだ。
「康太。眠いの? このままじゃ運転続けるの無理なんじゃない? そうだ。お店の人に頼んで、駐車場で仮眠取らせてもらおうよ。少しくらいなら大丈夫かも」
「ここの駐車場で? それは営業妨害だな。……いや、いい。大丈夫。もう一杯コーヒー飲んだら行くぞ」
「ええっ! 本当に大丈夫なの? 」
「大丈夫……」
康太は何か考えるようなそぶりを見せしばらく黙り込んでいたが、ふっといつもの笑顔を見せて、二杯目のコーヒーを瞬く間に飲み干した。
「さあ、行こう」
コーヒーが効いたのだろうか。さっきよりは目つきが鋭敏になり、顔色も良くなったような気がする。
その変わり身の早さにびっくりさせられるが、昨夜からずっと康太に驚かされっぱなしの沙紀は、もう少々のことでは動揺しなくなっていた。
それどころか、次はどこへ行くのだろうと心待ちにするほどの様変わりだ。
「ねえ、次はどこに連れて行ってくれるの? でも、そんなに長居も出来ないよね。明日は大学行かなきゃならないし、遅くなるとママに怪しまれる。まどかちゃんちにお礼の電話とかされても困るし」
「ああ、そうだな。俺は夜に遅番で居酒屋のバイトがあるから、昼過ぎにはここを出るつもりだよ。でも……」
「でも、何? 」
「あっ、いや……。ここら辺りはリゾート地だから、その、ホテルも……。多い……はず。さ、行くぞ」
沙紀は康太のどこか奥歯に物の挟まったような物の言いを不信に思いながらも、彼の真意を汲み取ろうと、睡眠不足の頭でいろいろと考えを巡らせる。
リゾート地ならばホテルも多いだろう。
当たり前だ。それがどうだと言うのか?
そして、康太はある建物の前の駐車場に車を停めた。
そこは誰がどう見てもホテル以外の何物でもない。
ビジネスホテルのようでもあるし、国民宿舎のようでもある。
なんで? というようにどこか釈然としないままの沙紀を携えて、康太はフロントで手続きを進める。
「ここで休憩させてもらう。沙紀……。行こう」
「こ、康太……」
つかつかと歩みを速める康太に引き摺られるように手を引かれて、目を白黒させた沙紀があたふたしながらついて行く。
そしてツインルームに入るや否や、抱き締められた沙紀はそのままベッドに押し倒された。
「沙紀、こんなことして……ゴメン。……いきなり……ラブホじゃ、おまえもイヤだろ? ここなら……いいだろうと……思って……」
ら、ら、ラブホって、その、つまり、アレだよね?
沙紀は康太の腕の中であわあわと言葉にならない声をあげていた。
沙紀の額に頬にと、ふわりとしたぼたん雪のようなキスが次々と降ってくる。
そして首筋に顔を埋めるようにして、康太のくぐもった声が聞こえて……。
「…………」
沙紀は来るべき時が来たのだと、どうにか心を落ち着けて、康太の言葉を待った。
首筋に彼の髪の毛が当たってくすぐったい。
ところが。
「……康太? 」
「……」
「こう……ちゃん? 」
「…………」
沙紀の身体に康太のずっしりとした重みがかかる。
どうしたというのだろう。
「こうちゃん! 」
いつものように沙紀が康太の名まえを呼んだと同時に、うううっ……とうめき声が聞こえる。
そのまま仰向けに寝転がり、あろうことか、康太は口を半開きにしたまま眠ってしまったのだった。