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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第十一章 サティ グノシエンヌ 第一番
120/188

118 一生を託せる人

 康太は喜んでいるけれど。

 ああ、今日のところは、もうこれで勘弁してほしい。

 名前を呼ぶ、たったそれだけのことがこんなに恥ずかしいなんて、思ってもみなかった。


 沙紀は自分に置き換えて考えてみた。

 彼はものごころついたころから「沙紀」とずっと呼び捨てで呼んでいる。

 その事に関して、何も疑問を持たずに今日まで来たのだが、よく考えてみると、男子の同級生でそのように呼んでいるのは康太だけだと気付く。

 あれだけ親しくしてきた伊太郎であってもそうは呼ばない。

 女子の友人たちは美ひろを除いて、みんな、沙紀、と呼んでいる。

 これがニックネームだからだ。

 親しみを込めて沙紀と呼んでくれている康太のことに今初めて思いを馳せる。

 これはすごいことなのではないかと。

 彼も最初は恥ずかしくて言いにくかったのかもしれない。

 そんな康太に報いるためにも、彼の希望に寄り添いたいとも思う。


「ねえ、ねえ」


 沙紀は康太の方に向き直り、話しかける。


「なんだよ」

「あのね、こうちゃんは……って、ごめん。こ、康太は、あたしのこと、沙紀っていつも呼び捨てにしているけど、初めてそう呼んだ時、やっぱり恥ずかしかった? ねえねえ、どうだった? 」


 きっと彼も最初はとまどったはずだ。

 今の沙紀と同じように。


「ええ? そうか、そうだよな。俺も最初はどうだったのかな? あ、いや、でも何も思わなかったんじゃないかな。だって、考えてもみろよ。小さい頃は、沙紀は沙紀男(さきお)だっただろ? 俺よりたくましくて、足も速くて。公園の階段だって、八段目から飛び降りられるのは沙紀だけだったし。他の女子は触れなかった昆虫も沙紀は臆することなくなんでも触ってた。だからなのか、遊びの中で、自然と沙紀って呼んでいたような気がする。ほとんど男同士みたいな関係だったしな」

「………………」


 聞かなければよかった。

 沙紀は再びプイと横を向き、小さい頃の活発だった自分をほんの少し呪った。


「それにしても沙紀。よく寝てたな」


 沙紀は康太が別の話題に移ったのを確認すると、ゆっくりと、顔を正面にもどした。

 そして。


 な、なに……? 


「隙あり! 」


 今、ほんのわずかばかりの瞬間に唇をかすめたのは、確かに沙紀がよく知っている柔らかい物だった。

 その日一番のキスを奪った康太は、勝ち誇ったような満面の笑顔を浮かべてシートベルトをしめ、再びハンドルを握る。


「ねえねえ康太。今からどこに行くの? かなり走ったよね。この道ずっと行くと大変だよ。もしかして、九州まで行っちゃうの? 」


 沙紀は、高速の案内板にある見知らぬ地名を見て、驚いたように康太に問いかける。

 西に向かっているのだけはわかる。


「んなわけないだろ。関門トンネルまでいったいあと何キロあると思ってるんだ」

「そっか。九州じゃないんだ。じゃあ、どこ? 」

「沙紀はエーゲ海って知ってる? 」

「ああ、聞いたことある。ギリシャだっけ。めっちゃきれいな海があるんだよね、確か……」

「そうだな。でもな、日本にもあるんだ」

「うそ。そんなはずないじゃん! 」

「沙紀にどうしても見せたい物があるんだ。とっておきの素晴らしいヤツを見せてやりたい」


 高速道路をぐんぐん進んでいく。

 そして、やや薄明るくなってきた山あいの道をも、ものともせずに、康太はハンドルを握り続けた。

 ようやく視界がひらけた展望台公園のようなところに着き、誰もいない駐車場に車が停める。

 車を降りて、ひんやりする空気の中をフェンスに向かって歩いていく。

 かなり明るくなったその公園からは海が一望できるのだ。

 島も見える。

 何かの養殖をしているのだろうか。

 海面に規則正しく人工物が浮かんでいるのも見える。

 より一層明るさを増してきた東の空を見ながら康太が隣にたたずむ沙紀に話しかけてきた。


「ずっと前におやじに連れてきてもらったんだ。瀬戸内の島でキャンプした帰りに。その時は夕方だった。でも、そのとっておきは、言葉にならない美しさだった。きれいなんてもんじゃない。その時おやじ、なんて言ったと思う? 」

「わかんない。おじちゃんって案外ロマンチストだよね。だったら……。でも、やっぱ、わかんないよ」

「それがな……。俺はまだその頃中学一年くらいだったから、おやじがいったい何を言い出すのかって、あの時はマジであせった。絶対おやじは変だって、そう思ったんだ」

「うん。で、何て言ったの? じらさないで、早く言ってよ」


 沙紀は、どこか楽しげでそれでいて少し恥ずかしそうな康太の口調に、どんどん引きずり込まれていく。

 早く知りたい。康太の父親がいったい何を話したのか、知りたくてたまらなくなっていた。


「夕日は家族で。朝日は、彼女と見に行けって」

「夕日は、家族で。朝日は、彼女と? 」

「ああ。自分の一生を託せる相手が見つかったら、その子を連れて見に行けって」

「…………」

「おやじは結婚前に、おふくろを連れてここまで来たらしい。だから、俺も……。沙紀? お、おい、どうした」


 沙紀は次第にキラキラと明るくなっていく東の水平線を見ながら、その輪郭が揺れて滲んでいくのがなぜなのかわからなかった。

 そして大きな涙の粒がぽたぽたと続けて二つ、フェンスの上に載せた手の甲に落ちた時、沙紀はようやくそれが自分の流した涙だと気付いたのだ。


 今、目の前で少しずつ顔をのぞかせている朝日は、今までに見たどの朝日よりもきれいだ。

 いつもあたりまえのように頭上に輝き街を照らしている太陽だが、それを見て泣いたのは初めてだった。

 彼と一緒に見た朝日は、今までに見たどんな素晴らしい景色よりも美しくて、心温まるものだった。

 

いつも読んでいただきありがとうございます。

「日本のエーゲ海」とも言われている、岡山県の牛窓のあたりに二人はやって来たようです。

ぽーかーふぇいすの舞台は、だいたい中部地方から近畿地方あたり……という大まかな地域設定なので、もし東部に在住だと、岡山まではかなりの距離になります。

この先、まだまだ紆余曲折がありますが、二人の世界にお付き合いいただけると嬉しいです。


ぽーかーふぇいすのすぐ後に書いた「かくれんぼ」という物語がありますが、ちょうど今の時期に沿った内容になっているからかもしれませんが、この一週間で急激にアクセス数が伸びています。

お読みいただき、ありがとうございます。

当初はバレンタインデーをテーマに書いた短編でしたが、書き進めて行くうちにこれもまた長編になってしまいました。

興味を持たれましたら是非ご一読下さい。

メッセージやランキング等も含め、過去一番反響が大きかった作品になります。

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