114 電話、代わろうか?
「もしもし、こうちゃん。ご、ごめん。連絡遅くなって」
『沙紀、今どこなんだ? 何回電話したと思ってるんだよ』
「ほんっとにごめんなさい。でも、ここがどこかわかんないの……」
『お、おい。いったいどういうことなんだよ。星川と一緒なんだろ? 違うのかっ!! 』
沙紀は、初めて聞く康太の大声に押しのけられるようにして、携帯を一瞬耳から遠ざける。
にしても、なんで知ってるのだろう。星川とここにいることを。
沙紀は康太の不可解な言動に首を傾げる。
まさか尾行されている? いや、それはないと思う。
「こうちゃん、そのまま待ってて。水田先輩もいるから、ここがどこなのか訊いてくる」
沙紀は携帯を耳に当てたまま化粧室から飛び出し、水田を探した。
もう外に出たのだろうか。さっきまで座っていたソファには誰もいなかった。
来た時に通った通路を戻り、駐車場に向う。
そこには運転席側のドアにもたれるようにして立っている星川がいた。
「相崎、もう帰り支度はいいのか? 」
ズボンのポケットから手を出し、ドアに手を掛けながら沙紀に話しかけてくる。
「あ、はい。遅くなってすみません。あ、あの……。水田先輩は? 」
「あっ、言ってなかったっけ。たった今、あいつの母親が迎えに来て帰ったぞ。相崎によろしくってな」
「えっ? そ、そうなんですか」
沙紀は、携帯の送話口を手のひらで押さえながら瞬きを繰り返した。
どうして水田先輩が、母親とさっさと帰ってしまったのだろう。
それにこの星川篤也は、カノジョを送らずして、いったいどうするというの?
沙紀はこの短い瞬間に整理しなくてはいけない事項が多すぎて、息切れを起こしそうだった。
「あの、部長。ここはどこですか? 」
あまりにも唐突に沙紀がそんなことを訊ねるものだから、星川は怪訝そうに眉をひそめる。
「相崎、いったいどうしたんだ? 何をそんなに慌ててる。……電話中か? 」
沙紀が手の中に押さえ込んでいる携帯を見て、星川は全てを納得したように笑みを浮かべた。
「そうか、電話していたのか」
沙紀はコクリと頷く。
そして、咄嗟に出たのが次の言葉だった。
「は、はい。家族が迎えに来てくれるって言ってるんで、ここはどの辺りだろうって、そう思って……」
何故か電話の相手が康太だとは言えなかったのだ。
「ああ、それなら別にいいよ。俺が君を家まで送るから。翠台だろ? ここからだとちょうど通り道になるから。家の人にそう言って」
「で、でも」
「遠慮するな。何なら俺が電話、代わろうか? 」
「い、いや、いいです。あの……ちょっと待ってください」
それはいくらなんでもヤバすぎる。
家族だと言った手前、康太と話しをさせるわけにはいかない。
沙紀は車から少し離れたところで再び携帯を耳にして、康太に言った。
「……待たせてごめん。水田先輩がもう帰っちゃったみたいで、ここにいなくて。あ、あの、あたし、送ってもらえるらしくて、その、もうすぐしたら帰るから、家で待ってて。あとでまた電話する」
『何言ってるんだよ! おい、沙紀。そこ、どこ? 送ってもらうって、星川にか? 』
「うん、そう。大丈夫だよ。よけいなことは、言わないから……」
沙紀は声のトーンを落として、康太にそっと告げた。
康太が木下教授にピアノの指導を受けていることは暗黙の了解で、誰にも言わないって決めている。
もちろん沙紀の両親もそのことは知らない。
ましてや教授の息子である星川には康太も絶対に知られたくないのだろう。
それぞれの親が過去に恋人同士であったなんてことは、知らなくてもいいことだ。
『ああ、頼むよ。多分、教授も息子には俺のこと言ってないはずだ』
「わかった。だから、安心して。じゃあ……」
『待て! いいか、沙紀、周りをよーく見てみろ。なんか大きな建物とか、公園とかないのか? 本当に見覚えがないところなのか? 』
尚もまだ、康太が執拗に場所を探し当てようとする。
「あ、あの、だから……。そうだ、市民センターから車で二十分くらいだった」
『二十分? それだけだと何もわからない。それで、どっちの方角だ? 西か? 東か? それとも北か? 南は海だからないとして……』
「わかんない。だって、外、見てなかったんだもん。先輩の車の中ばかり見てたから……」
沙紀の背後に誰かが近寄ってきたかと思えば、そっと携帯を掴まれて、持って行かれてしまった。
そして星川が沙紀の携帯を手にして話し始めたのだ。
「もしもし、こんばんは。星川と申します。お電話かわりました。……はい。いいえ、きちんと送り届けますので……そうですか。はい、はい。……わかりました。市民センターの交差点を北方面に向って……はい。救急病院裏手の公園を東に……角のコンビニの……そうです。ではそのコンビニ前で。はい。のちほど」
目の前で繰り広げられているこの予想外の展開に、沙紀は危うくめまいを起こしそうになっていた。
電話の相手は家族だと言ってしまったのに、康太のことをどう説明すればいいのか。
兄です、弟です、従兄弟です……。どのように弁明すればいいのだろう。
沙紀が一人っ子であるのは、元部員なら皆知っている。
見え透いた嘘は吐けない。ああ、絶対絶命。危機一髪!
沙紀の思考回路はパチパチと音を立てながら火花を散らし、切断する一歩手前まで来ている。
「どうしても君を送らせてもらえないみたいだね。……電話の人、相崎のカレシ? 」
「あっ……」
携帯を受け取った沙紀は、星川の少し冷たい口調に、背筋がゾッと凍るのを感じた。
星川がじっと沙紀の答えを待っている。
「あ、あの……。か、カレシっていうか、その……。隣に住む、同級生です。彼のバイトが休みの時は、たまに迎えに来てくれるんです。うちの家のエリアは、十時を過ぎるとバスが無くなっちゃうので、あははは……」
沙紀は力なく笑うことしかできなかった。
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物語の中に出てくる音楽のタイトルを表記しています。
ドヴォルザークの新世界より、のみ、本文に出てきませんが、キャンプにつきもののキャンプファイヤーでよく歌われる遠き山に日は落ちてという曲にちなみ、このタイトルにしています。
本日は2話更新しております。
今後ともぱーかーふぇいすをよろしくお願いいたします。