113 驚きの素顔
沙紀は、星川と水田が並んで歩くすぐ後ろを、緊張の面持ちで適度な間隔を保ちながらついて行った。
多目的ホール内で打ち合わせをするのかと思いきや、彼らは他のメンバーが退室するや否や、荷物をまとめ外に出たのだ。
当然、どこに行くのかなんて訊ねる勇気もなく、はぐれないように、ただひたすら二人の後を追うように歩く。
市民センター北側の路地に出て、次は地下に続く階段を降りていった。
ここは市営の地下駐車場だ。ということは車でどこかに移動するのだろうか。
時折何かを話しながら、あうんの呼吸で頷き合う前の二人を見るにつけ、沙紀は、自分がただのおじゃま虫以外の何者でもないと思い始めていた。
嘘も方便。約束があるから今夜は帰りますと言うべきだったのだ。
星川は黒のスポーツカータイプの高級国産車の前でリモコンキーをかざし、カシッという音と共に開錠されたのを確認すると、どうぞ、と沙紀に後部座席を指し示す。
そこに乗れと言っているのだ。
車内には見たこともないような未来空間が広がっていた。
車高が低く、スペースは少し狭く感じるが、ダッシュボード上のインパネがまるでSF映画に出てくる宇宙船のコックピットのようで、噂には聞いているデジタルスピードメーターが、フロントガラスにくっきりと映し出されていた。
それはまるで宇宙空間に漂う光のオブジェのようにも見える。
沙紀の家の車は、こんな近未来の機器は装備されていない。
もちろん康太の車とて同じだ。
沙紀は俄然楽しい気分になってしまい、シートから身を乗り出して、星川と杏子の間の隙間からじっとそればかりを見ていた。
二十分ほど走ったのだろうか。
メーター付近ばかりに気をとられていた沙紀には、あっという間の乗車時間だった。
車が停まったところは、二時間ドラマに出てくる主人公が行きつけにしているバーやスナックのような類の小さな店の前だった。
「ここはね、俺のバイト先でもあるんだ。昼間は普通のカフェ風レストランなんだけど、この時間はラウンジタイムと言って、酒類を扱うバーみたいになっている。でも心配いらないよ。夕食のメニューも出してもらえるよう話してあるから。俺も今夜は車だからアルコール類は飲まないしね」
そう言いながら、星川は薄暗い大人の雰囲気が漂う店に慣れた感じで入っていく。
沙紀はこんな店に足を踏み入れるのは初めてだ。
星川は二学年年上なので、二十は過ぎている。
こういったお酒を出す店でも堂々とバイトできる年齢なのだと改めて気付く……のだが。
思っていたより店の中は広く、ソファのような低い座席のあるテーブルに案内され、ゆらゆらと柔らかい光を灯すキャンドルを前に沙紀はぎこちなく腰を下ろした。
星川は、ちょっとと言ったきり、店の奥に姿を消したままだ。
沙紀はありったけの知識を総動員して、ここがどういう店であるのかを必死で分析していた。
それで出た結論は……。
でも、もし違っていたら。いや、でも、星川部長ならありえなくはない。
沙紀は自問自答を繰り返しながら導き出した答えを、星川のいない今のうちに隣に座る水田に確かめてみようと、小さい声で訊いてみた。
「ええっ? ほ、ホスト? 篤也がホストだって? あはははは! 」
水田は沙紀の的外れな質問に、涙を流しながら腹を抱えて大笑いしている。
「いきなりこんな暗いお店に連れてこられて、あの端正な顔でバイトしてるなんて言われたら、誰だってそう思うのかもね。でも残念ながらここにはお酒を勧めてくれる綺麗なお姉さんや、優しいお兄さんはいないの。篤也はね、ここでピアノを弾いているのよ。ランチとディナータイムは主にクラシックの名曲で、ラウンジタイムはジャズやボサノバのナンバーなんかを……ね」
ドラマや映画でしかホストを目にしたことのない沙紀は、とんだ勘違いに恥ずかしさの余り真っ赤になる。
それにしてもピアノの演奏のバイトだったとは。
確かに、部屋の中央にグランドピアノが置いてある。よく考えれば誰でもわかることだ。
星川がピアノを弾くのであれば、きっと彼目当ての客が大勢通って来るのだろう。
「水田先輩。星川部長には、今あたしが言ったこと、内緒にしてくださいね。お願いしま……」
「相崎、何が内緒だって? 」
星川がオードブルの載った皿を、沙紀の頭上を経由しながらテーブルに並べる。
いったいどこまで話を聞かれていたのだろうか。
背後で響く星川の声に、沙紀は口から心臓が飛び出しそうなほどドキドキして、今にも倒れそうになってあえいでいた。
星川は二人の斜め向かいに移動すると、さあ、食べようと言って、料理を取り分けた小皿を沙紀に差し出した。
それは、まるでパーティー料理のようなメニューだった。
スタッフが次々と料理を運んでくる。
沙紀はいったい何事なのだろうと面食らったまま、ポカンとしていた。
「あ、あのう。こんなご馳走、どうしよう……。星川部長、水田先輩。あたし、その、バイトの給料日前で、持ち合わせがそんなになくて……」
「何言ってるの、相崎さん。遠慮しないで食べて。今夜はね、私と篤也のおごりなの。ソロの打ち合わせなんて、実は嘘なのよ。いろいろと忙しいのに、難役を引き受けてくれたお礼にってことで、こっそり計画していたのよ」
沙紀は驚きのあまり言葉も出ない。
「だからあなたがすんなり引き受けてくれて、ホッとひと安心だった。だって相崎さんに断られたら、この料理、篤也と二人で全部食べなきゃならないんですもの。どう考えたって無理よ。でもね、小笠原先輩の激高は予定外だったわ」
そのお蔭でさっさと帰ってくれたから追い払う手間が省けたんだけどね──と、平然と言ってのける水田が頼もしく思える。
それにしても、星川がこんなキャラだったのだろうかと疑わしくなるくらい、別人に見える。
慣れたバイト先だというのもあるのかもしれないが、なんと言っても水田との語らいが自然なのだ。
いつもの冷たい視線はどこにもなく、くったくのない笑顔に沙紀の緊張感もいつしかほぐれていく。
以前水田が星川とは特別な関係ではないと言っていたが、それは違うと沙紀は感じていた。
楽しい食事を終えて、化粧室で口紅を引き直す。
そして時計を見ればもう十一時になろうとしていた。
沙紀は、ハッとして、携帯を取り出した。
スーっと、汗が引いていくのがわかる。
練習が終わったら康太に連絡をして、市民センターに迎えに来てもらう手はずになっていたのを、たった今、思い出したのだ。
九時頃には終わるかもと最後にメールをしたのが、七時の休憩の時。
沙紀は急いで切っていた携帯の電源を入れて、康太とのメッセージ欄を開いた。