112 とばっちり
「そうなんだ。でも、一緒に出かけたりしてるんだよね。それと、こうちゃんに聞いたけど、今度、旅行にも行くって」
「それはね、そうだけど……。ほら、沙紀と買い物行ったり、映画観たりするのと一緒。旅行だって、演奏会を見に行くのがメイン。後は声楽のワークショップの参加。だからさ、葉山を男として見るなんて、一ミリだって考えたこともない。ホテルの部屋にしても、もちろん別々。それよか、小笠原先輩。相当、怒ってるよね」
「確かに。なんか、あたしでいいのかな、って、申し訳なくって」
「沙紀の気持ちもわからなくはないけど。でも、大丈夫だって。小笠原先輩は、ただびっくりしただけだよ。前の打ち合わせの時は、地元の合唱団の練習があるからって来なかったんだ。だから沙紀が推薦されてることも知らなかったんだね、きっと……。自分に相談もなく、勝手に決めて、許せないーーーー! って感じ? にしても葉山、遅いよね。何やってんだか。細かいことは先輩たちに任せて早くこっちに来ればいいのに。ああ、おなか空いちゃった。じゃあ、葉山は置いといて、先に店に行こうよ。後で連絡いれとくからさ。沙紀もそんな暗い顔しないで、おいしいもの食べて、元気だそうよ。ね? 」
まどかに肩をポンと叩かれて気を取り直した沙紀は、彼女と共に、ピアノのところにいる先輩達と小笠原に向かって、お先に失礼しますと挨拶をして他目的ホールから出ようとしたのだが、星川とちょうど目が合ってしまったのだ。
彼に見られると、なぜかドキッとしてしまう。
別に、先輩に対して恋心を抱いているというわけでは決してないのだが、なぜかいつもドキドキしてまともに彼の顔を見ることが出来ない。
理由はわからない。
どこか懐かしいような、よく知っているような、とても身近に感じる視線とでも言うのだろうか。
その視線に心の中まで見透かされているようで、沙紀は星川と目を合わせるのがどうも苦手で仕方がない。
厳しい練習の後の、この何ともいえない憂いを含んだ星川の眼差しが、沙紀の心を何の前触れもなく震わせる。
と言っても、それは部員なら誰もが感じることで、沙紀だけが特別なわけではない。
その証拠に隣のまどかも同じように星川の眼差しにノックアウト寸前になっている。
頬までピンクに染めて、それはまるで恋する乙女のようでもある。
そんなまどかを見て、星川のすぐ左隣にいる葉山がどことなく機嫌が悪そうに見えるのは、気のせいだろうか。
その時だった。
相崎、と自分を呼び止める声に直立不動になり、再び星川と目が合う。
「ソロのところ、あらかじめ伝えておきたいことがあるんだが。今から時間はあるか? 」
星川が静かに話しかけてくる。
沙紀は止めることの出来ない意味不明な胸の高鳴りを必死で押さえ込んで、星川ではなく右隣で目を細める水田に向って、あります、大丈夫です、と答えた。
「葉山、今日は無理を言ってすまなかった。おかげで助かったよ」
「い、いえ。そんな。いい経験になりました」
「悪いが井原と先に帰ってくれるか? 相崎は俺と水田で責任持って家まで送るから心配いらない」
えっ? そ、そんなあ。まどかちゃん、葉山君、あたしを置いて行かないで……。
などとはとても言える雰囲気ではなくて、沙紀はまどかに向かって伸ばしかけた手を、あえなく引っ込めてしまう。
この後、ソロの打ち合わせが長引くということなのだろうか。
おまけに先輩達が家まで送ってくれるなんてとんでもないと、沙紀はふるふると顔を揺らした。
その時、キッと口を引き結んでいた小笠原が水田に向き直り、肩で大きく息をした。そして。
「水田さん。OB会長が認めたからって、すべてが決まったわけじゃない、とあたしは思うんだけど。なぜあなたの一存で決めるの? 相崎よりも、もっと、ふ、ふさわしい、人物が、大勢、いるんじゃ……ない、かしらっ! 」
小笠原は沙紀をちらちらと視野の端に捉えながら、途中で呼吸を荒げ、プツプツと言葉を途切れさせる。
かなりの剣幕のようだ。
「小笠原。勘違いはやめてくれ。相崎を推薦したのは俺だ。……水田は関係ない。遅くならないうちに、小笠原、おまえも帰ったほうがいい」
星川が冷ややかに返す。
「い、言われなくても帰りますから! 星川部長。きっと後悔するわよ。あたしは……。あたしは絶対に認めない! 相崎よりも、もっとふさわしい人がいるんだから! そうよ、必ずいるんだから! 」
小笠原は椅子に置いてあったカバンを鷲づかみにすると、最後にキッと沙紀を睨みつけ、カツカツと靴音を響かせて小走りで部屋を出て行った。