101 パニック
康太の真意を理解した沙紀は真っ赤になって俯いた。
「そ、そうだよね。こうちゃんには、その、ずっと待ってもらってるんだもんね」
「まあな……」
「じゃあ。どこかよそに、泊まろうか。あたしは、その……。いいよ。こうちゃんの気持ちを大切にしたいから」
「沙紀……」
「じゃあ、どこにする? キャンプは山沿いだったから、今度は海にする? 水着は持って来てないけど、浜辺で遊ぶくらいなら……」
「沙紀、ありがとう。その気持ちだけで充分だ。で、どこの海に行くんだ? 予算内で行ける海は、きっとどこも大雨さ。だから、今回は見送ろう。正直、金もあまり余裕ないし、沙紀のおばあちゃんちで世話になってもいいかな? 」
「え……。いいの? 本当に? 」
「いいさ。そしてAパークに行こう。お化け屋敷は苦手だけど、沙紀が一緒なら大丈夫さ」
「こうちゃん……」
「今度はきちんと計画して、沙紀の行きたいホテルを予約して出かけような。その日まで、お楽しみは大事にとっておくことにするよ」
「……」
なんでいつもこうなるのだろう……と沙紀は康太に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
そしてそんな煮え切らない自分を疎ましく思うのだが、今の康太との距離が急速に縮まるのが怖いと思っているのも事実だった。
沙紀は祖父母の家に連絡を入れて、康太と共に駅に向い、一時間ほどの電車の旅に出た。
たとえ一泊であってもキャンプの疲れが出たのだろう。
すぐに二人とも肩を寄せ合って眠ってしまった。
康太に起きろと揺り動かされて目を覚ました時には、もうあと一駅で倒着というところまで来ていた。
まだ半分寝ているような状態で立ち上がり、棚から大きなキャンプバッグを降ろす。
電車から降りると、改札の前のロータリーに停まっている白いセダンから手を振る見知った人物に、視線が釘付けになる。
祖父の長一郎だ。
「おーーい! こっちだぞ! 」
二人に向って長一郎が大声で叫ぶ。
傘をさして駅前を通る他の乗降客も、一斉に振り向くくらいのよく通る大きな声があたりに響く。
寝起きでフラフラだった沙紀もその声を合図にシャキッと背筋を正し、大きなリュックを背負ったまま車のそばに駆け寄った。
「おじいちゃん! 迎えに来てくれたんだ。ありがとう。あの……こうちゃんも一緒なの」
沙紀の背後に少し照れながら立っている背の高い青年を確認するや否や、長一郎は目を細めて頷く。
「よく来てくれたね。さあ、遠慮はいらんよ。早く乗りなさい」
長一郎が運転席で操作して開けた後部のトランクに、沙紀の大きなリュックと、康太のドラム型のキャンプバッグを詰め込み、康太は後部座席に、沙紀は長一郎の隣の助手席に座った。
「こんな雨の中、大変だっただろ? でも嬉しいね、沙紀が来てくれると元気が出るよ」
長一郎の機嫌は最高潮だ。
ずっとニコニコして、声も張りがある。
「こっちこそ急に連絡してごめんね。さっきも電話で話したけど、キャンプが中止になちゃって」
「ああ、そうだな。でも仕方ないよ。雨を侮ってはいかんからな。毎年、同じような気象下で悲惨な事故が起こっている。主催者の判断は賢明だったというわけだ」
「うん。だから、今夜泊めてもらうかもしれないけど、いいかな? 」
「ああ。事務長もそのつもりだよ。ちょうど診察も今日明日と休みだから、医院の方も閉めてるし、いい時に来てくれた」
前回康太の運転で祖父の家に向かった時とは少し違う道を通り、幾分、早く医院の前に着いたような気がする。
きっと地元の人のみが知る近道を通ったのだろう。
家ではタキが夕食の準備をして待ち構えていた。
村の名産の路地物のトマトにそら豆、ナスの煮浸しに、きゅうりの辛味漬けと、野菜中心のメニューがにぎやかに並ぶ。
シャワーを済ませた二人は、色とりどりのご馳走を前に感嘆の声をあげた。
普段、雅人の作る大雑把な料理しか口にしていないだろう康太は、久しぶりのおふくろの味に満足そうに舌鼓を打つ。
それだけでは足りないと思ったのか、揚げたてのエビフライも登場して、若いんだからたくさん食べなさいと、次々と皿に取り分けられるのだ。
沙紀も康太もせっかくの好意を無駄にしてはいけないと、話すことも忘れて必死で食べ続ける。
必要以上に食べ過ぎたため、デザートが出てきた時には、大好きなスイカでさえも、もう食べられないと断らなければならなかった。
夕食を終え、沙紀は康太と共に洗い物を買って出る。
じゃあ私は寝床の準備をして来るね、と言ってタキがいそいそと台所から出て行った。
いつもは沙紀の父親の弟夫婦がいて、いろいろと手伝ってくれるのだが、今日は休診日のためお嫁さんの里に二人して帰省しているらしい。
そのせいか、普段は指定席でお茶をすすっているはずの長一郎までもが借り出されて、客間でどたばたやっているようだった。
後片付けも終わりタキに呼ばれて客間に行くと、おもわず目が点になってしまった。
八畳ほどの和室には、二組の布団が隙間なくピッタリとくっついて敷かれていたのだ。
それはまるで、テレビショッピングに出てくるような派手な花柄の生地でくるまれたおそろいの布団で、見事に色違いの代物だった。
もう一組セットで九千八百円というあれだ。
「あなたたち、一緒のお部屋でいいでしょ? 幸い今日は歩たち夫婦もいないし、遠慮なくゆっくりしていってちょうだいね」
ゆっくりしてって……。
この状況についていけない沙紀は慌てて叫ぶ。
「お、お、おばあちゃん! 」
「なーに? 」
部屋を出て行こうとしたタキが、不思議そうな顔をして振り返った。
「こ、こ、これって、あたしがこうちゃんと、その、一緒に寝るってこと? 」
「そうだよ。いったい他に誰がいるっていうの? 」
タキは、きょとんとして沙紀を見ている。
何をおかしなことを言ってるんだろうね、この子は、というような目をして。
「お、おばあさん、ありがとうございます。それでは、俺達、先に休ませてもらいます」
康太がすかさずタキにそう言うと、あわわわと言葉にならない声を出す沙紀の腕をがっしりとつかんで離さない。
「こ、こ、こうちゃん! 」
「沙紀の気持ちもわかるけど、別にいいじゃないか。せっかくおばあさんもゆっくりしろって言って下さってるんだし」
「で、で、でも……」
「大丈夫だから」
「そ、そうだね」
ここで大騒ぎすると、せっかくの祖父母の好意を無駄にしてしまうし、その上康太が悪者になってしまう。
沙紀は体の力を抜き、半ば覚悟を決めて彼に微笑みかけた。
「ふふふ。仲がいい二人だね。それじゃあ、お休みなさい」
「お休みなさい」
タキが居間に戻ったのを確認すると、康太が待っていましたとばかりに襖をピタッと閉める。
そして、沙紀はいつの間にか康太に抱きしめられていた。
久しぶりの彼のぬくもりにホッとしたのも束の間、ここは二人だけの世界。
そして、足元には、華やかな寝具が二組。
すべてのお膳立てが整った空間の中、彼の顔をまともに見ることができない沙紀の脳内は、シーツもお付けしてたったの九千八百円、というテレビショッピングのお決まりのフレーズが、何度も何度も駆け巡るだけだった。