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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第九章 ドヴォルザーク 新世界より
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99 決断

 キャンプ場に着いてからも雨が止む気配はなく、あちこちに大きな水溜りが出来ていた。


「この時期、このように雨が続くのは、ここ最近では珍しいですね。今朝は雲も切れていたのですが、それもほんのわずかの間だけでした。上流のダムも満杯の状態で低地の川沿いのキャンプ場は、ここ数日、用心のために閉鎖しているところもあります。幸いここは少し小高い丘になっているので、このような雨天続きでもみなさんにおいで頂いておるわけですが……」


 キャンプ場の管理人は、この悪天候が自分の所為であるかのように、腰を低くして申し訳なさそうに説明し始めた。


「このまま降り続くと、たとえここでも安全というわけではありません。裏山の土砂崩れも心配ですし、すぐ下の川が増水したら、今通って来られた橋も通行止めになる可能性があります。まだ警報には至っておりませんので、今夜は様子を見られて、明日にも今後の予定を検討されることをお勧めします。せっかく来て頂いたのに、本当に残念なことで……」


 主任は話を聞いてしばらく考え込んでいたが、職員同志で何か打ち合わせをしたかと思うと、沙紀たち学生のところにやってきて小さな声で言った。


「今夜は体育館でゲーム大会をします。そして就寝はテントではなく、キャビンで過ごすことに決まりました。子ども達が寝た後、明日以降のことについてミーティングをするのでそのつもりで」

 

 主任の指示を聞いて、学生はそれぞれにやり場のないため息をついた。

 テントの中で寝袋を使って眠るのを楽しみにしている子どもたちも多かったのだ。

 この調子だと、明日には撤収、解散ということにもなりかねない。

 自然の前にはなすすべのない人間の無力さを沙紀はひしひしと感じていた。


 その夜も雨足が弱まることは無く、昼よりもいっそう激しくなっていた。

 管理棟ロビーでは、主任と沙紀と康太が一台のテレビを前に、天気予報士の説明を一言一句、聞き逃すまいと真剣に見入っていた。


「太平洋高気圧に押し上げられていた梅雨前線が再び南下し、本州にかかり始めています。南から湿った空気が吹きつけ、前線が刺激され、今夜から明日にかけて雨足が強まる恐れがあります。今までに降った雨で地盤が緩み土砂崩れなどの災害も予想されます。また所により河川の増水も考えられますので周辺地域の方は、今後の天気予報にご注意くださ……」

「江藤リーダー、ちょっと厳しい状況のようですね」


 康太が主任に話しかける。

 沙紀も今の天気予報を見る限りでは、予報士の言葉通り、あまり好ましい状況ではないと感じ始めていた。


「うーむ。これは早急に判断しないと大変なことになりそうだな。過去にも似たようなことは何度かあったんだが、今回は性質が悪そうだ……」

「はい。管理人さんもおっしゃってましたけど、橋が通行止めになったら子どもたちに何か緊急事態が発生しても、病院にすら行けなくなるわけですよね? 」

「そうだ。管理人さんは自然の怖さを一番よくわかっておられるからな。子どもたちはかわいそうだが、明日には帰らざるを得ないだろう。こういう決断はほんとうに心苦しいよ。まだ警報が出ているわけではないから、この状況で帰ったら保護者からクレームが出る恐れもある。また逆の場合、子どもたちの安全確保について問いただされる……。辛い役回りだけど、一番大切なのは子どもたちの身の安全だから、ここは判断を誤らないように素早く的確な決断を下さないといけないんだ」

「いろいろなプログラムを心待ちにしてこのキャンプに参加してくれた子どもたちのことを思うと、胸が痛みますね」

「そこが一番辛いね。けれど、子どもたちのみならず、君達学生諸君にも何かあってはいけない。私と学生まとめ役の康太リーダーと沙紀リーダーとも、ここは連絡を密にして最善の方法を考えようと思っている。まだ学生の君たちには荷が重いかもしれないが、協力をお願いするよ」


 主任は子どもたちだけではなく、学生達にも心を砕く。

 子どもを預かりキャンプをするという一見何でもないように思えることが、実はとんでもなく大変なことであると、沙紀は生まれて初めて身をもって知るのだった。


「はい。わかりました。江藤リーダーの指示をしっかり他のメンバーに伝えて、子どもたちの安全に留意したいと思います」

「よろしく頼むよ」


 康太がこの場を締めくくる。

 沙紀も彼の言葉と同じく、子どもたちの安全を一番にこのキャンプを乗り切ろうと誓った。


 体育館からゲーム大会を楽しんだ子ども達が頬を紅潮させて出てくると、班ごとに分かれてそれぞれのキャビンに向う。

 九時に消灯した後、ロビーでミーティングが始まった。

 主任はためらう様子もなく、明日の朝食後、キャンプを中止して帰るという旨を告げた。

 隣県にはすでに大雨洪水警報が出ているため、この決断に反対する意見は出なかった。

 各キャビンの担当を確認した後、それぞれの持ち場にもどった。


 戸外にある水場で顔を洗っていた沙紀のところに、首にタオルを掛けた康太がやって来た。


「よう」

「あ、こうちゃん……。さっきの主任の話、ちょっと緊張したね。今夜、状況が急変しないといいな」

「うん。そうだな。ほかのみんなもいるし……仕方ないさ。でもまさかこんなことになるとは驚きだよ。子どもたち、きっとがっかりするぞ」

「うん。なんか胸が痛いね」

「明日、無事駅に送り届けるまでは気が抜けない。キャンプらしいことはあまりできなかったけど、こんなハプニングも子どもたちにとってはいい経験かもしれないな」

「うん。……でもほんとにどの子もかわいいよね。あたしも小学校の先生に鞍替えしちゃおかなって思うくらいあの子たちの素直さにやられちゃった。今夜の一泊でお別れだと思うと、眠るのももったいないよ。一人一人の顔をじっくり見て胸に焼き付けておこうと思ってる」

「ほんとにそうだな。……じゃあ、がんばれよ! また明日」

「うん お休み…」


 沙紀は康太との会話にじわっと心の中が暖かくなるのを感じていた。

 二人っきりの旅行では味わえなかったであろう何ともいえないこの充足感に、このキャンプに参加してよかったと、心からそう思えるのだった。


 翌日になってもやはり天候の回復は見込めず、沙紀たち一行は主任の判断どおりキャンプを中断し昨日出発したばかりの駅前ロータリーに舞い戻って来た。

 すでに連絡を受けていた保護者たちが出迎え、心配していたクレームもなく、無事子ども達を全員引き渡すことができた。


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