98 雨
沙紀視点になります。
その年の夏は、梅雨が明けた後も雨の日が多く、気温も低めの日が続いていた。
教育大の最寄り駅にあるロータリーに、県内の小学生たちが数十名集まり、点呼を受けているところだった。
どの顔もこれから始まるキャンプに期待を膨らませているようで、空模様とは反対に晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
沙紀と康太を含む七人の学生たちとキャンプ企画団体の職員三名というチームで、目の前の子ども達をキャンプ場のある山間部へと引率していくのだ。
様々な学校から集まっているので子どもたち同士も初対面だからなのか、嬉しさの中にもまだ緊張感が幾分残っているようだ。
どの子も場を乱すようなことはなく、整然と並んでスタッフの説明を聞いている。
沙紀も初めての経験なので、子ども達と同じくやや緊張した面持ちで、話を聞いていた。
「相崎さん、どの子もまじめでまとまりがいいように見えるだろ? まあ見ててごらん。あと十分もしたら素の子ども達の姿が見えてくるから」
職員の中でもリーダー格の江藤主任が沙紀の横でそっと耳打ちした。
二台のバスに、学生と職員のスタッフがそれぞれ五人ずつに分かれて乗車し、バスの中で改めて自己紹介が行われた。
そして自己紹介も終盤を迎えるころには、さっきの主任の言葉どおりに、子どもたちの活気が車内に溢れ出し、点在して座っているスタッフに馴れ馴れしく話し掛けて来るのにそう時間はかからなかった。
その日も曇り空だったが、キャンプ場は現在、晴れ間が覗いているとの情報から、今夜のミッドナイトツアーも予定通り行われるだろうと子ども達に伝えられていた。
ミッドナイトツアー。つまり昔でいうところの肝試しであるが、あえて、まだ土地勘も仲間意識も薄い初期の段階に設定することで、連帯感を強めていくねらいがあるらしい。
低学年の子どももいるので、お化けなど恐怖を与えるようなものは登場しない。
オリエンテーリングみたいなもので、懐中電灯やランタンの明かりのみで道をたどって行くゲームだ。
現地スタッフも合流して、万全を期して行なわれるこのオプションは、毎年大好評で、これに参加したいがために、毎回キャンプに申し込む子どもも大勢いると聞く。
沙紀たち学生スタッフも綿密な打ち合わせをして今夜に備えてきた。
是非ともどの子ども達にもいい思い出を残してあげたいと、頭の中であれこれ手順をシミュレーションしていた。
出発して一時間くらい経っただろうか。
なんとなく雲行きが怪しくなってきた。
バスの窓に当たる雨粒が、さっきより大きくなっている。
「ねえ、沙紀リーダー。雨がふってきたよ。もし夜も雨がふっていたらミッドナイトツアーはどうなるの? 」
沙紀の隣に座っている四年生の真由美が心配そうに訊ねる。
学生スタッフは全員下の名前でリーダーを付けて呼ばれるのが習わしだ。
「このまま雨がやまなければ延期になるかな……。でもその場合は、体育館でゲーム大会があるから楽しみにしててね」
それを小耳にはさんだ前の席の三年生の倫太郎が息をはずませて沙紀の方に向き直った。
「ええっ! ゲーム大会? やったあー! ボク、RPGもすきだけど、対戦物もうまいんだ。沙紀リーダーは何がすき? 」
もしかして、ゲームを勘違いしてるのだろうか?
沙紀が言ったゲーム大会は、手遊びやハンカチ落とし、フルーツバスケットなどのレクリエーションゲームの類のことを指しているのだが、あきらかに倫太郎は、家庭用ゲーム機器で遊ぶのだと思い込んでいるようだ。
今やゲームと言えば、指先でピコピコするあの機械しか思い浮かばないのだろう。
すごろくやトランプすら子ども達の遊びから消えつつあると聞く。
なぞなぞや歌遊びなどは、彼らにとってゲームの範疇には入らないようだ。
倫太郎に感化されて次々子ども達が沸き立っていく。
もう沙紀の手には負えなくなってきた。
状況を察した主任がすかさず立ち上がり前方のマイクを使って子ども達に話し始めた。
「残念ながら雨がひどくなってきたようだね。このままやまなければ、今夜のミッドナイトツアーは中止になります。でも明日に延期なので、楽しみにしてて下さい。で、今夜の特別プログラムのゲーム大会ですが……」
主任の話が終わらないうちに子ども達から歓声が上がる。
「ぅわーーい! ゲーム、ゲーム! 」
高学年の子ども達はわかっているようで、一歩引いたところで様子を眺めている感じなのだが、低学年の子ども達は手を叩いてゲームコールを続ける。
「そうだ。君達も楽しみにしてくれているゲーム。しかし言っておかなければならないことがひとつあります」
突然、声のトーンを下げた主任が、少し悲しそうな表情をして、バスの中の全員の顔をゆっくりと見渡した。
静かにしろとも何も言わないのに、その雰囲気を感じ取った子ども達が、自然に静まり返り、主任に視線が集まる。
「江藤リーダーも、沙紀リーダーも、もちろん他のリーダーも全員の分のゲーム機械を持ってきていません。それに今日のメンバーは全員で五十人くらいいます。もし一台あったとして、全員に順番が回るかな? 」
「回らない! それに女子はゲームがきらいな人もいるよ」
倫太郎が得意そうに答える。
「そうだね。待ってる人はすごく退屈だし、ゲームが嫌いな人もいる。そこでリーダーたちは、待たずに男の子も女の子もみんなが楽しめる特別なゲームを考えてきました。けれど、みんなにもいっぱい手伝ってもらわなくてはいけません。今夜のゲームはみんなの身体がゲームの機械です。でも、手も足もそして頭も使うのでちょっと難しいかもしれません……」
主任はさも困ったような顔をして子ども達に説明を続ける。
「ええっ。難しくなんてないよ。ぼく、出来るもん」
「出来る出来る。簡単簡単。あたし手伝うよ。早く夜にならないかな……」
いつの間にか、子ども達の心の中からゲーム機器の幻影は消え去り、難しいという特別なゲームに興味の矛先が向き始めた。
一部始終を聞いていた沙紀は、主任の言葉のマジックに、ただただ感心するばかりだった。
彼女も子ども達と一緒になって、主任の話にぐいぐい引き込まれていたのだ。