02 ミネルヴァ
ラーテルが目を閉じ、すやすやと寝息をたて始めたのを見て、ミネルヴァは立ち上がる。
「さて、はじめようか。ユーイ、いるね?」
『ここに』
何もないように見えた空間から、一人の男性が現れる。
黒髪黒目、肌は透き通る様な白で、身長は180㎝ほど。
凛とした表情で佇む様はまさに絵のようであり、見る女性をうっとりさせること間違いなしの美形である。
人ではないのではないかと思いたくなる美しさは、その通り。
彼は人ではない。
背後に淡く紫色に光る紋様が浮かぶ。
精霊紋と呼ばれるその紋様は、精霊の強さの階級の証。
その紋様の筆画数、すなわち何本の線や点で構成されているのかで精霊の位がわかるようになっている。
1~2画が下位。
3~4画が中位。
5~6画が上位。
大体の下位精霊はVのような一画紋である。
ユーイと呼ばれた精霊が背後に灯した精霊紋は六画。すなわち上位精霊である。
「さて、同調率を上げるよ」
『ああ』
ユーイの精霊紋が淡い光から徐々に輝きを強める。
ミネルヴァの鎖骨部分の肌にもユーイの精霊紋と同じ紋様があり、紫色に輝いた。
精霊と契約する際、契約者は自分の身体の好きな部分に契約精霊と同じ紋様を刻む。
契約者の精霊紋は、精霊との接続端末のような役割を持つため、できるだけ露出させていることが推奨されている。顔や手の甲などが一般的とされているが、鎖骨部分も少数派ではない。
精霊紋は魔法的な力によって刻むため、契約者が望むならばいつでも場所を移すことはできるのだが、大体の契約者は一度決めた場所からは動かさない。
決めたからには貫き通す、一蓮托生である精霊への覚悟の証とも言うべき精霊契約者の信念である。
精霊紋は活性化させなければ黒く、刺青のような感じになる。
活性化させることで契約精霊の属性の色に輝く。
紫のマナは闇の精霊であることを示していた。
「今日こそは成功させるよ」
眠るラーテルの上に手を翳すミネルヴァ。
ユーイから精霊紋を介して流れ込んでくる精霊のマナと自分のマナをあわせて、魔法を行使する。
ラーテルに飲んでもらった錠剤はユーイのマナを凝縮させたもの。
闇のマナを取り込ませ、ラーテルを闇属性にすることがミネルヴァの狙いだった。
グッとうめき声をラーテルがあげた気がするが、ミネルヴァは止まらない。
ユーイの力も借りて、ラーテルの中にあるマナを操作する。
「どうだい?」
『染色には成功した』
「上々だね。次は定着だよ」
マナに力を込める。
ラーテルのマナをユーイのマナが染めあげていく。
しかし、それも長くは続かなかった。
錠剤が完全に溶けてから約五分で、ラーテルのマナが元の色に戻っていくのがわかる。
「チッ」
小さく舌打ちをすると、ミネルヴァは椅子にどっかりと座り込んだ。
『だめだったか』
「だめだったね。なんでなんだ? 理論上では完璧なはずなんだ」
『さぁ、私にはわからない』
「量を増やすか? しかしこれ以上は身体に負担が大きいだろうしなぁ。小動物で実験したいんだが、この小僧と同じ属性の動物なんて見たことないよ」
『そうだな』
「ああもう焦れったい」
『そう焦るな。ラーテルのことは私も気にかけておく。すぐにどうこうなるわけではあるまい』
「焦るなと言われてもな」
『お前が言ったんだろう?こういうのはリラックスが大事だと。焦るなと』
「これは一本とられたね。確かにそうだ。この学院には精霊が多い。ラーテルがすぐにどうこうなるわけではない、か。確かにな」
確かに確かにと頷くが、焦りは消えない。
人のマナに属性があるのは、神話における夜の帳が関係している。
邪神が討たれた後、邪神の残滓とも呼べる黒きマナが夜の闇に溶けていった。それからというもの、夜になると黒きマナが形を作り、黒き精霊となって器を求め徘徊するようになったのだ。
動物の死体や無機物に黒き精霊が入り込むと、それらは『魔物』として受肉し、この世界に干渉する力を得る。
また、黒き精霊は力の程度にも依るが属性の弱い精霊や生物にも取り憑く。
未だ人に取り憑いたという話は聞かないが、それでも一度魔に堕ちてしまえば、もう戻ることはできない。
だからこそミネルヴァは焦っていた。
ラーテルと同じ属性を見たことがない。つまり、ラーテルと同じ属性の精霊はいないということだ。
精霊の加護なくして黒き精霊に対抗するのは分が悪い。
そこで考えたのが、闇のマナを取り込ませることだった。
闇の属性にすることができれば、闇の精霊との契約が可能になるのではないかと思ったのだ。
人が黒き精霊に取り憑かれないのは、一説によればマナの属性値が他の動物たちと比べると比較的高いからと言われている。
しかしラーテルはどうだろうか。
初めは風の属性だと思っていたのだが、周囲の精霊が首を横に振っていたので違う。
ならば他の?
しかしどんな?
孤児院でお手上げ状態になったラーテルは、神父の紹介でここに来た。
国の認定を受けた、王政精霊魔法師であるミネルヴァを頼ってここに来たのだ。
そのミネルヴァが投げ出すわけにはいかない。
試行錯誤の末、導きだしたラーテルの属性は過去に聞いたこともないものだった。
「まったく、どうしたらいいんだ」
『すまないな、私も生まれてからまだ150年しかたっていない。聞いたこともないからお前に示せる答えがない』
「いいんだ、わかってる。でもお前も感じているだろう? ラーテル、また強くなってる」
『ああ、ここに来た時に完全に隠伏した私を視ていたな。その上、目まで合わせて会釈してきた』
「あの様子だと、授業中に居眠りしているのは隠伏した精霊たちの動きが気になって仕方ないからだろうな」
『普通に寝ていた、が正しいと思うが?』
「あはは、違いない。さて、そろそろ小僧を起こさねばな。ユーイ」
『わかった』
ユーイがラーテルに手を向け、ラーテルのマナに刺激を与える。
ほどなくして目覚めたラーテルは、ミネルヴァと少し会話した後、保健室を退室していった。
「――――無属性、か」