11月19日 同じ傷
「あなたはおとこ?」
不意に掛けられたその言葉により僕の運命の扉が開いた。
カチカチと鳴る時計の秒針の音さえ鮮明に聞こえる程静まった教室。外からは部活動をしている人達の活気溢れる声が聞こえる。
今日は色々な部活動(文学部限定)を見て回ろうかなと思ってたけど、それより大事な用事が出来てしまった。
そう。
僕の隣の席に座っている銀色の髪を靡かせた、この世の全ての美しさを手に入れたかのような容姿に身を包むーー
「銀楼鈴音」
彼女の正体を掴むということだ。
僕は姉に犯されたことによって女性が視界に入るだけで体が震えてしまい、自分を保てなくなる程のパニックに陥るという考えうる中で最悪の傷跡を遺されてしまった。
しかし、彼女だけは例外なのだ。
普通、視界に入る女の人の顔には黒いモヤのようなものがかかっている。その黒いモヤと言うのは僕にとっては何よりも純度の高い邪悪性を含んだ『深淵よりも深いところにある黒色』だ。
その黒が僕がパニックになる要因でもある。
だが何故か彼女のまわりにはには黒いモヤなどは一切なく無く、黒どころか全てが透き通った容姿端麗な美しい顔しか見えない。
なので彼女の顔を凝視していても手は震えないし、心臓も痛まない。
この症状に気付いてからまだ2週間程しか経っていないため、僕自身その全容は掴めていないのだが、『女性を見ると拒絶反応が起こる』という事実だけはしっかりと体の芯の部分に刻み込まれていた。
だからこそ謎が深まる。なんで……僕は彼女を見れるのだろうか。
まさか、この症状には何かしらの例外があるのか?
だとしたらその条件は一体ーー
「うーーん……」
「…私の顔に何かついてる?」
「あっ…ご、ごめん別に、、」
無い頭を捻って必死に考察している間、無意識の中で僕はずっと眉毛を下げながら彼女の顔を見ていた。
目は口ほどに物を言うと言うが、万に一つも僕の本心に辿り着いているということは無いだろう。
ただ銀楼さんの顔に見惚れている馬鹿な男くらいにしか思われていないはずだ。
「もう本題に入りたいんだけど…大丈夫?」
「あっ、はい!」
どうやら僕は気付かないうちに時間を無駄にしていたらしい、今見ると心做しか銀楼さんの顔がすこし不機嫌になっている様に感じる。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「君咲…優蘭」
「君咲君…」
「うん」
僕の名前を呼んだ銀楼さんは目を細め横を見た、よく見ると瞳は淡い光を反射しゆれている。
それが僕には何かに迷っているようにも見えた。
「銀楼さん?」
「…」
銀楼さんは目を閉じ何かを決心したかのように揺れる瞳で僕の顔を見た。
「私は男の人の顔をみるとパニックを…おこしちゃう…だけど」
銀楼さんは椅子を倒しながら勢いよく立ち上がりその美しい目を見開き雪のように白い頬を紅色にそめ話を続ける
「何故か…何故か貴方だけは平気…なの」
迫真の顔で告白する銀楼さんをポカーンど阿呆面かまして見る僕。そんな僕を見て銀楼さんは縮こまってせかせかと倒れた椅子を直 戻し、座った。
「可笑しいよね…わかってる…だけど、これはーー」
ようやく頭に理解が追いついた僕は銀楼さんの言葉を遮って立ち上がった。
そうか。そういうことか……銀楼さんは……
「僕と…同じなんだ」
「…え?」
「僕も……ッ女の人の顔を見るとパニックになっちゃって、黒いモヤみたいのが顔についてて、もうダメだって僕はもうダメなんだって思ってて」
頭が纏まってなから語彙力も壊滅的だ。
言葉がチグハグだ、ただ、この思いは脳で美しい言葉に変換される前の鮮度の高い感情を今すぐ銀楼さんに伝えないといけないと思った。
だから僕は続ける、チグハグな言葉を綴って銀楼さんに伝える。
「人生終わりだと思った、だって女の人見ると自分が自分でないくらい動悸が早くなってパニクッて……言葉も出せなくなるんだ、もうやってけないでしょ」
気付けば僕の視界はぼやけていて、なにか熱いものが目の下の辺りに溜まっている感覚がする。
視界が蜃気楼に覆われ銀楼さんの表情がよく見えない。
だから言葉に肯定しているか否定してるかは分からない、ただのそ美しい目の中心はただ真っ直ぐに僕を射抜いている……。
そう信じて言葉を綴る。
「だけど君が見えた、君も見えたんだ……」
急に我に戻った僕は少し恥ずかしくなり椅子に座った。
しかし銀楼さんの目は先刻とはひかり方が違ってみえた。
「嬉しい。」
「え?」
「嬉しいの、私も君と同じだった。男の人が見えなくていつのまにか女の人も見えなくなってて、もうダメだとおもった」
「…うん」
「君が居てくれて少し……いや、だいぶ心が軽くなったとおもう」
「…っっ僕も…」
彼女は僕を見つめる、僕も彼女を見つめる。
目の下に溜まっていた熱いものが頬を伝って手の甲におちた。
ああ、これは涙だったんだと少し気恥ずかしくなるが。
そんなことどうでもいいと思えるほど救われた気がした。
銀楼さんは僕のトラウマでさえ肯定し、優しく包み込んでくれる。
何故かそんな心持ちでいた。
考えて見ればさっき初めて言葉を交わした異性。
なのにこんなに心を許すなんてどうなんだろうって正直思っている。だけど……それでも。
「会えて……良かった」
「私も……あなたにあえてよかった」
自分は孤独だと思っていた。
この傷を抱えていることなんて友達には明かせない。だから僕は1人でこの傷と戦わなければいけないんだと……そう思っていた。
それはある種の孤独と言って差支えがないだろう。
だけど、この傷を持っている人が目の前に現れた。
僕はひとりじゃなかったんだ。
何も無い、ただただ黒い正方形の世界に僕を閉じ込めていた世界に少しの隙間が生まれてそこから銀楼さんが現れた。
初対面かどうかなんて些細な問題でしかない。僕は迷いなく、銀楼さんを自分の世界へと引き入れた。
もう1人で……戦いたくない。
これはエゴなのだろうか。
ただの自己満足の思い上がりなのだろうか。
それでも……それだとしても。
この瞬間、僕はあまりに多くのものを。
彼女から受けとってしまった。
教室の窓から差し込む夕暮れのオレンジが僕達を包んで行った。
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ガチャ
家のドアを開け、靴を乱雑に脱ぎ捨てまだ沢山ある山積みのダンボールを躱しながらベッドのある部屋へと向かいそのままベッドにダイブする。
心地いい冷たさと制服のブレザーの煩わしさが重なるこのなんとも言えない時間。僕はおもむろにポケットからスマホを取り出した。
そこには
『銀楼 鈴音』
の文字がある。
朝、家を出た時とは違う高揚感が僕の体に溢れていた。
「銀楼さん……ありがとう」
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「君咲優蘭君」
私は今日出会った転校生の名前を思わず口にする。
思わず口に出るくらいには彼のことが気になってる、私は男の人を見るとパニックに陥る欠陥品だ。
それに最近は女の人を見てもパニックになるようになってしまった。
だから学校には行けない。行けるはずがない。
だから単位を落とさないぎりぎりを計算して出来るだけ学校に行かないように心がけている。
しかし、そんな学校で、彼と出会った。
彼は間違いなく男だった。なのにも関わらず目を合わせせても……同じ空気で呼吸をしても……彼の上履きをつま先で触れても。
なんともならなかった。
その上彼も私と同じ欠陥品だったのだ。
ずっと死ぬまで孤独だと思っていた。
理解者なんて得られるなんて思わなかった。
だってこんな爆弾を抱えてるのは狭い世界の中では……私だけだと思ってから…。
だけど彼は狭い世界に居ながらも私と同じ爆弾を抱えていた。
これほど嬉しいことは無い、これほど幸運なことはない。
もはや言葉にすることなんて叶わない程の嬉しさだ。
スマホのメッセージアプリの画面を見る
『君咲優蘭』
そこに表示されていたのは彼の名前。
「…なんであなたは…私のトラウマの効力を受けないのか…」
「知りたい…あなたのことが」
暗に包まれた部屋にいる私を、これほどまで異質な存在だと思ったのは今日が初めてだ。